東金町天王橋の天王って誰? #神社仏閣 #葛飾区

スクリーンショット 0028-10-19 15.35.47 水元の気になるところ・その4くらい? 「東金町天王橋の天王って誰?!」です。

 水元公園の東のほう、都道54号線を北に行くと、埼玉県に入ったところに「東金町天王橋」というバス停があります。東金町は東京都葛飾区の町名です。

 天王というからには、近くに神社かお寺がありそうなものですよね。でも現在の地図を見てもそれらしいものがないんです。埼玉県側に宝蓮寺がありますが、ご本尊は阿弥陀様だし。

 場所はここです。赤いポイントが東金町天王橋バス停です。橋そのものはバス停より南にあります。

 今の地図にないなら、古地図を見ればいいんじゃないか?! ということで戦前の地図を見てみましょう。

スクリーンショット 0028-10-19 15.22.23 のコピーs ▲昭和16年の葛飾区詳細地図(礼文社の復刻版)より一部を引用。色はわたしが塗りました。緑色の部分が旧・水元小合町です。現在の町名では水元小合町の一部が東金町に変わっています。

 戦前の地図には天王橋がしっかり表記されています。そして、すぐ近くに「須賀神社」があるじゃないですか。やった、これだ!!

 須賀神社はスサノオノミコトを祀る神社ですが、明治以前は仏教と神道が混ざり合っていたので、スサノオは牛頭天王と同じものと見なされていたのです。天王橋の天王は、スサノオ(牛頭天王)でした! #東金町天王橋の由来 地名の由来

 その須賀神社ですが、今どうなっちゃってるかっていうと、東京都に敷地が買収されて残ってないんです。現在は都立水元公園の一部になっています。

IMG_8015s ▲ここがまさに須賀神社の跡地(都立水元公園内)。まだ建物の土台だけ残っています。

IMG_8013s ▲手前に建ってる看板。ボロボロだけど面白いことがいろいろ書いてあります。

  須賀神社
 ここにある小さな森は、須賀神社のあとです。
 須賀神社には、牛頭天王様(ごぜてんのうさま)
という神様がまつられていました。
 江戸時代には。神社を中心とした地区の租税が免
除される制度があり、須賀神社の周辺も租税が免除
されていました。そのため、いまでもこの付近のこ
とを「天王免」と呼ぶことがあります。
 須賀神社では、きうり(野菜のキューリ)まつり
というお祭りがおこなわれ、こどもすもう大会など
でたいへんにぎわったそうです。
 須賀神社は、昭和17年東京都の用地買収にともな
い移転しました。
            水元公園

 わたしなんか天王免(てんのうめん)という地名にまずビビっと来ますね。

 お隣の足立区に八百免公園というのがあるんですが、もとは八百免耕地という小字(こあざ)だったそうです。おそらく何かの理由で租税が免除されてたんじゃないでしょうか。

 これまたお隣の埼玉県三郷市にも番匠免(ばんしょうめん)があります。番匠というのは、今でいうと宮大工のような職人のことですが、番匠も租税を免除されてたらしいですよ。古い地名にはドラマがありますね。

 キュウリ祭りもグッと来るものがありますね。どんな由来のある祭りだったんでしょう。先日、ツイートで「西水元の中川沿いにある大銀杏下の祠にはキュウリを串に刺してお供えする」という話を聞いたばかりですが、何か関係あるのでしょうか。

 移転したと書かれているのも気になります。金町にも水元にも須賀神社はないと思うのですが、どこかの神社の境内社になっているのか、あるいは合祀されてしまってもうないのか…

スクリーンショット 0028-10-19 15.35.47 ▲現在の地図(google地図を加工)。青い○で囲ったのが東金町天王橋。赤い↓が須賀神社の跡。

 神社跡の南にある小道に注目してください。水産試験場のオニバス池と権八池の間を通って都道54号に抜ける道です。この道は今では公園内の小道でしかないのですが、

東金町天王橋  古地図に重ねてみると、なんと戦前からある道なのでした。

IMG_8008s  そう思って改めて眺めると、整備されきってないこの道が輝いて見えたりするのはわたしだけ? #この道はどうやら公道のようです(どおりで金網があるわけだ)。時間制限はあるもののバイクや小型車は通れるのでした。

IMG_8233s ▲天王橋の跡。いちおう今も道の下は昔の用水路なんですが、現在は橋ではなく暗渠のような扱いなのかもです。交差点の名前にその名残があります。

 余談ですが、この場所にわざわざ「東金町」が付くのは、三郷市内にも別の天王橋があるからです。東金町天王橋と天王橋南というバス停があり、両方とも通るバス路線があり、ぜんぜん別の場所なので頭がクラクラします。

 なお、先日来しばしば引用している古地図は「葛飾区詳細図-復刻大東京三十五区分詳図 34-昭和16年」というもので、葛飾区の図書館にあります。
http://www.lib.city.katsushika.lg.jp/clis/detail?NUM=000867362&CTG=1&RTN=01&SID=JOmyERwcpZf6Oe2&TM=141301928
 図書館の検索結果にはリンクできるんだろうか。できてなかったらごめん。


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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

東金町天王橋の天王って誰? #神社仏閣 #葛飾区 への5件のフィードバック

  1. 一円 のコメント:

    なるほど。それで先日の水元大師の「〇番」が公園内にあったとしても少しもおかしくない、ということになるわけですか。となるとやっぱり探してみないといけませんね。とにかくまだほかにも何か出てきそうです(唆しているわけじゃありませんよ。笑)。

     公立図書館の個別資料へのリンクは不可のところがほとんどだと思います。以前は国会でも出来ませんでしたが、これは改められました。

    • 珍獣ららむ〜 のコメント:

       あ、ほんとだ。図書館の個別資料へのリンクはセッション切れになってますね。蔵書の情報を隠す必要はないし、個人のプライバシーともなんの関係もないのに、なんでダメなんでしょうねえ。

       それはそうと、水元大師ですけど、もともとの設置場所で言うと公園内の可能性も否定はできないんですが、あったとしても路上だったと思います。水元公園になっている場所には須賀神社、日枝神社、浅間神社があったことは確かですが、お寺はなかったようです。もし当時、神社にも設置していたとしたら、現存してる神社にもあったってよさそうなものです。

       今残ってるかという意味では、公園内にはないですね。あったらもうとっくにわたしが知ってるはずなので。仮に昔、設置されてた時代があったとしても、都に買収された時に近隣のお寺に納められたことでしょう。

      水元水郷弘法大師二十一ヶ所
      http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20160928p5515
       まだ三番、七番、九番、十番の弘法大師像がみつかっていません。なんせ戦前(昭和8年)に作られたものですから、壊れて廃棄された可能性もあります。

  2. 一円 のコメント:

    > 壊れて廃棄された。
    以下は死んだ父が何度か話していたこと。
     以前獅子舞を見に来てもらったお寺の前の道は江戸時代には羽田道と呼ばれた穴守稲荷参詣の道筋でした。これを北北西に行くと川のへりで東海道にぶつかります。この分岐点のところにあったのが駿河屋という旅籠でした。芝居で幡随院長兵衛と白井権八が鈴ヶ森で出会う場面。どっちがどっちだか判りませんが、一人はその駿河屋の名の入った提灯を提げています(現在でもこの小道具にはきちんと駿河屋と記されています)。
     で、その分岐点の角の辺りに、江戸でも数は多くなかった迷子石が在ったのだとか。ところが戦争末期の空襲でこの辺が焼けたときに倒れたか何かしたらしく、世の中が落ち着いて気が付いた時には既に無かった。近所の者が何かに使ってしまったのか、単に邪魔だからと捨てて埋もれてしまったのか。
     一方で、区史や各種の郷土資料を見てみても、そんなものが存在したという記述は全く見当たらない。誰かがそんなものが在ったと話しているのを聞いたことも無い。迷子石の場合浅草寺境内のものは戦災で失われたとあるので、全くのでまかせでもないと思います。果たして真相は如何に、というところです。

    • 珍獣ららむ〜 のコメント:

       各地の博物館に、地域の思い出を投稿できるシステムがあればいいのにね。ハッキリ場所までわかっているんだから、今ならまだ記憶に残っている人がいないとも限らないのです。

       「何年くらい前にここにこういうものがあった」と投稿してもいいし、展示物にまつわる思い出を語ってもいいし。それを少し大変かもしれないけどデータベース化して公開したら、面白い読み物になるかもしれないし、ならないかもしれないけど(笑)

      http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764082/70
       迷子石だと明治時代のこの本に7件記録されてて、芝に2件もあるくらいだから、知られてないだけで昔はけっこうあったのかも。

      1. 両国橋の際(不明)

      2. 一石橋南際(現存)満よひ子の志るべ:まよひ子のしるべ
      http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/week/chuo/chuo03.html

      3. 浅草観音仲見世(復元)南無大慈悲観世音菩薩まよひこのしるべ
      http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/week/taito/taito07.html

      4. 芝赤羽橋(不明)

      5. 下谷湯島社内(現存)奇縁氷人石
      https://www.stroll-tips.com/yushima_tenmangu/

      6. 芝太神宮前(不明)

       ああ、ちなみにわたしのコメント欄に濃い事を書き捨てる人は全員がもれなく一度くらいは言われますが、無駄です。わたしは身の回りのことにしか興味ないです。そういうことを言われたくないと思ったら、自分でtwitterアカウントでもとって書くといいですね。

       だいたい、インターネットはテレビや出版物と違って、発信する側と受ける側の境目がないものです。ときおり「わたしに言わずに自分でなされば?」と返事をすると激怒する方がおられますけど、違う言い方をすれば「あなたがスターになる番だ」と言われているのになぜ怒り出すのかわたしにはさっぱりわかりません。

  3. ピンバック: 三郷市戸ケ崎の天王橋の話 #神社仏閣 #昔話の拾い読み | 超・珍獣様のいろいろ

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