柴又・医王寺にある石碑の謎

医王寺

葛飾区内で霊場めぐりの研究をされている方から教えてもらった柴又医王寺の石碑の謎です。最初は永遠の謎かも…と思っていたんですけど、この記事を書いてるうちに謎が解けてしまったかもです(汗)

 最近さすがに自分の時間が無限ではないことを切々と感じるようになり、それなら以前にもまして濃密な活動をすべきとは思うのですが、なぜか沢山のことができないのですよね。あれもしたい、これもしたいという気持ちだけはあるのに!

 六地蔵調査も続けたいんですが、札所(霊場めぐり)の話を始めてしまったので、以前教えてもらった謎の石碑のことを記事にしておこうと思います。

 北総線の新柴又駅のすぐ近くに、医王寺というお寺があって、こういう石碑があります。

IMG_5954s ▲医王寺の石碑

IMG_5955s ▲石碑の向かって右面を写したもの

 この石碑は葛飾区内で霊場めぐりの研究をしている方から教えてもらって見に行ったものです。写真だと見づらいと思うので、何が書いてあるかイラストにしてみました。

医王寺

 文字を書き起こすと下の通りです。かすれて読めない文字は■としました。

(石碑正面)
四国第七十四番
梵字(Bha)讃岐国甲山寺写
西国第九番

(石碑向かって右面)
大和国南円堂写
寛政四年壬子天七月吉日
当村 真言講中

(石碑向かって左面)
医王寺現住
法印中■
    代

 あきらかに札所の案内なのですが、現在知られている霊場めぐりの、どれにも属さない案内だと言う事でした。

西国第九番の謎

 まず、石碑の正面についてですが「四国第七十四番・讃岐国甲山寺」というのは、霊場巡りのオリジナル・四国八十八ヶ所の 74番甲山寺のことです。医王寺を甲山寺と見なしている、ということですね。梵字は甲山寺の本尊・薬師如来の種字と考えられます(Bhaiとする場合が多いですが)。

 甲山寺の写しということは、正面の記述は弘法大師の霊場めぐりの案内だってことです。

 ここで謎なのですが、正面には「西国第九番」とも書かれています。これは一体なんなのでしょうか。

 医王寺は南葛八十八ヶ所の 57番です。江戸時代までの旧村名・柴又村内の札所は 5件しかないので柴又村内の第九という意味でもなさそうです。

 一体「西国第九番」とはなんなのか? 未知の霊場巡りなのか?!

右面を解読して謎が解ける!

 石碑に向かって右面にはちょっと欠けがありますが「大和国南円堂」「寛政四壬子天七月吉日」「当村 真言講中」と刻まれています。

 大和国南円堂というのは奈良県の興福寺内にあるお堂で、不空羂索観世音をおまつりしているそうです。

 ん? 観音様?!

 霊場巡りには観音様系のものも多いですね。医王寺も東三十三観音めぐりの 10番ということになっています。

 八十八ヶ所のオリジナルが四国なら、三十三ヶ所のオリジナルは近畿地方の西国三十三ヶ所めぐりじゃないでしょうか。

 と思って、調べてみたら、西国三十三観音めぐりの第九番が大和国南円堂でした!

◎興福寺公式サイト・南円堂
https://www.kohfukuji.com/construction/c03/

南円堂は「西国三十三所」の第九番札所として人々の参拝が多い御堂です。この堂は弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父の内麻呂(うちまろ)追善のために建立しました。

 つまり、正面に書かれている「西国九番」というのは、大和国南円堂の事を言ってるんじゃないでしょうか。書く場所がおかしいですけど!

 というわけで、石碑は未知の霊場めぐりの案内ではなく「南葛八十八ヶ所(弘法)」と「東三十三ヶ所(観音)」の案内のようです。

 「南葛」のほうでは医王寺を甲山寺とみなし、「東」では南円堂とみなしていると、そういう事みたいですね。

【2020年11月27日追記】ちがう、やっぱり未知の霊場巡りだ!

 「西国九番」が三十三観音めぐりの札所だというのは間違いないことなんですが(ただこちらも若干の疑問はあります。東三十三の十番なら、西国十番の写しになりそうなのに、なぜ九番なのかとか…)、問題は「七十四番」のほうです。これは南葛八十八とは何の関係もないものでした。

 わたしは今まで南葛八十八ヶ所を「誰でも知ってて研究しつくされてるメジャーな霊場めぐり」だと思っていたのでほとんど注目していなかったのですが、実はそうでもないってことに最近になって気づいてしまいました。

 そもそも南葛八十八ヶ所というのは同じ名前で起源の違うものが二系統存在します。ひとつは大正十四年に恵心和尚が開創して大心講がお世話していたもので、もうひとつは明治四十三年ごろに開創されて東京弘山講がお世話していたものです。このふたつは順路がまったく違っていますが、世の中的にはこれらのどっちかを「南葛八十八」と呼んで知ってる気になっているか、ふたつをごっちゃにして同じものだと思い込んでるみたいです(札所になっているお寺でもその可能性あり)。

 二系統の南葛八十八ヶ所については情報量があまりにも多いので別のブログを立ち上げました。こちら>二系統の南葛八十八ヶ所霊場

 柴又の医王寺は大正時代開創の南葛八十八ヶ所(いろは大師)の札所で、番号は五十七番です。お世話していた大心講が昭和の中ごろに作った『御詠歌集』を図書館で読んだのですが、医王寺は本場四国八十八ヶ所のうち「栄福寺(五十七番)」の写しであって、七十四番の写しなんかではなかったです……!

 そもそも南葛八十八ヶ所(いろは大師)は大正十四年開創と新しいものですから、寛政四年の石碑と関係があるはずもなく、「七十四番讃岐国甲山寺写し」はやはり未知の霊場めぐりの札所番号なのです。

 そして、近隣の寺に南葛八十八ヶ所(二系統どちらのものとも)番号が一致しない御詠歌の扁額が納められているのにも気がつきました。

葛飾区鎌倉・浄光院 第七十六番
江戸川区北小岩・十念寺 第七十八番

 リンク先に扁額の写真もあります。これらは二系統の南葛八十八ヶ所、どちらにも属していません。それに医王寺の七十四番と番号が近いので、もしかして同じシリーズなんじゃないでしょうか?

 浄光院と十念寺の扁額には御詠歌と番号しか刻まれていなかったので、完全に正体不明だったのですが、医王寺の石碑には「寛政四年」の日付がありますから、その頃に存在してた霊場めぐりだということがわかります。

 江戸時代に「東葛西領八十八ヶ所」という霊場めぐりがあったそうなので(ソース『江戸川区史』、下町タイムス社刊『江戸・東京札所辞典』)、ひょっとするとその札所番号かもしれないんですが、今のところまだ断言はできないです。

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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

柴又・医王寺にある石碑の謎 への1件のフィードバック

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