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粉豆腐ってなんだ?

 みなさん、豆腐は粉になると思いますか?
 やわらかくて、ほとんどが水分みたいな、あの豆腐が粉になるところを想像できるでしょうか?

 普通はできませんね。

 ところが、長野へ行くと、そこいらのスーパーに「粉豆腐」というものがあるのでビックリです。

 下の写真が伊那市のスーパーで購入した粉豆腐です。

ファイル 1503-1.jpg

 えーと、今なーんだっていう声が聞こえたような気がします。そうなんですよね。見ちゃうとなーんだって感じなんです。

 粉豆腐は高野豆腐(凍り豆腐)を粉にしたものなんです。メーカーも高野豆腐で有名な旭松です。

 どうやって食べるかっていうと、こんな感じ。
ファイル 1503-2.jpg
 おからにしか見えないでしょうが粉豆腐です。余った野菜などを炒めて出汁と調味料で味付けしたところへ粉豆腐を入れて、炒り煮にして水分を飛ばせばできあがり。

 この粉豆腐、関東では見かけないので、今では高野豆腐を下ろし金で粉にして使っています。おからと違って食べる分だけ調理できてとても便利です。

 長野を旅行するまで高野豆腐にこんな使い方があるなんて思いもしませんでした。日本はまだまだ広い、っていうか長野県おもしろすぎるんですけど。


おまけ:コレステロールを下げねばならぬのです

 コレステロールを下げたいなどと書くと、普段からよほど暴食してるんじゃないかと思われそうですが、そうでもないと思うのです。たしかに美味しいものは好きですが、おやつを食べるわけでなし、甘い飲み物を常飲しているわけでなし。

 子供の頃から正常の範囲内で高めだったので、ある程度までは体質だと思います。大人になって病気で卵巣を取ったりして、ホルモンバランス的にコレステロールが上がりやすくなっているかもしれませんが、どのタイミングで検査しても正常値を超えるなんてことはありませんでした。

 ところが、これまた子供の頃からの持病っぽい甲状腺機能亢進症が再発して、その治療で薬を飲み始めたら正常値を超えてしまいました。

 甲状腺機能は、亢進してる間は代謝が高まるのでコレステロールが下がるのです。それを薬でむりやり正常値で安定させているので、コレステロールは上がって当然です。

 問題は、正常の範囲よりも上がっちゃっている件です。素人考えでは、甲状腺の薬の効き目が出始めて二、三カ月しかたっていないので、コレステロール値が不安定なだけじゃないのかと思うのですが、医者に下げたほうがいいと言われてしまいました。

 食べる量を減らすとイライラしてつまらなくなるだけなので「おいしい野菜を沢山たべる」「魚や豆類のすばらしさを攻略する」「お麩最高、お麩マンセー(注:お麩は野菜タンパクです)」と食欲を別の方向にふることで、肉を食ってる暇なんかないぜ、という錯覚に自らを陥らせる戦法に出ているわけです。

 ベジタリアンではないので肉も食べてますが、以前にくらべるとぐっと量が減りました。ストレスになるかと思っていましたけど、想像するほどでもなかったです。

 そうして節制を続け、今日は今年最初の血液検査だと意気込んで医者に行ったら、
「今日は検査なし。正月は普段の生活を反映しないから、今検査すると不利だよ。次回やってコレステロールが高かったら下げる薬出すからね」
だそうです。

 ええええ、年末に採血した時は「一月に検査して高かったら薬」って言ってたのに、もしやあれは、そう言わないと正月に油断するからという策略だったのか……

 というわけで、なんとなく悔しいので記事にしてみました。ま、コレステロールを下げる薬が嫌なんじゃないので別に飲むのは構わないんですけどね。

タグ:食材 長野

結局、十駄とかってどのくらいなのよ(結論出ず、メモのみ)

 新年そうそう小難しい話で申し訳ないんですが、先日から解読を続けている『養蚕重宝記(重寶記)』について。「駄」「把」「斗」などの単位が出てきます。

 特に気になるのが「桑十駄」とかの、餌の量についての記述です。「駄」は薪や草などを馬一頭に背負わせるくらいの分量らしいのですが。養蚕重宝記には一駄は五尺縄で六把であると書かれています。

 種壹枚と申は目方十八・九匁より廿匁なり。まづ下種のかひ方、種壹枚はき桑十駄也(但し壹駄と申は五尺なわ六把也)。是をあたへまゆ八斗程取(但京ます也)。

http://www.chinjuh.mydns.jp/koten/tyohoki1.htm
↑ここの、行番号でいうと 三丁表:079 あたり。読みやすいように句読点を入れました。

 種はお蚕の卵のことです。一枚(壹枚)と数えているのは、卵を紙に産み付けさせて保管するからです。目方十八・九匁と言ってるのは紙ごと計った場合だと思いますのでここでは無視します。



http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1499
 この記事のコメント欄で、十駄の桑というのがどのくらいの分量か思い浮かべようと必死で計算したんですが、いろいろ間違ってて我ながらひどいことになってしまいました。正直言うとなかったことにしたいくらいなんですが、一度書いたものは極力消さないことにしているので計算をやりなおすことにしました。


 まず、八斗が繭何個分か調べようと思います。

 養蚕重宝記には京桝で計って八斗だと書いてあるので、京桝を自作することにしました。

 江戸時代の京桝がどのくらいのサイズだったかよくわかんないので、ここでは太閤検地時代の三寸x三寸x二寸五分を採用します。計るのが液体じゃないので多少大ざっぱでも大丈夫……たぶん…うーん。
ファイル 1502-1.jpg
 これがボール紙で自作した京桝です。大きさ感が出るように文庫本を入れてみました。岩波文庫の日本書紀 4冊分でした。

ファイル 1502-2.jpg
 そしてこっちが繭を入れてみたところ。去年やったぐんま黄金の繭なのですが、京枡に200個入りました。

 一斗=十升ですから一斗分なら2000個。繭を一斗缶(但京枡也))に詰めると四蛾〜五蛾分入りそうですね。コメント欄では三蛾とかフザケタこと書いてしまいましたが完全に読みが甘うございました。

 それが八斗ですから、1万6千個になります。「種一枚はき一万六千個取」ってな感じです。

 この数字が合ってるかどうかを確認する手段として、蚕種紙にも注目します。

http://www.okaya-museum.jp/exhibit/details/index.html
ここに岡谷の蚕糸博物館の展示物が紹介されているのですが、右上の蚕種紙は七段五列の三十五蛾分うみつけられるようになってます(ほかの二点は三十蛾バージョンのようです)。

 1万6千個を 35で割ってみると約 450個。つまり、この計算でいくと、一頭の蚕が 450個くらいの繭を生産することになります。

 さらに「下種」だと書いてあるので、生まれた卵のすべてが育ってないでしょう。病気になったりして途中で死ぬのを -50 くらいしたとして、一頭の蚕が 500個くらいの卵を産んでる計算でしょうか。

 まあ、ここまではだいたい想定の範囲内です。ひとまずこの数字を採用したいと思います。種一枚で三十五蛾分、1万6千頭のお蚕が誕生して繭を作ります。

 で、1万6千頭のお蚕が食べる「十駄」の桑っていうのがどのくらいの分量かが問題なんですよね。

 種一枚につき桑十駄、つまり三十五蛾が桑十駄を食べるわけですから、駄で計算すると小数点以下がめんどくさいので一駄=六把で六十把で計算します。

 60把 ÷ 35蛾 ≒ 1.7把 です。極めておおざっぱに計算して一蛾(種450個くらい)が二把分の桑を食べて育つ言ってるんですよね。

 う?

 ええと、一把は五尺縄でくくった桑の量だったはず。五尺って 30cm x 5 = 150cm くらいですよね。一重巻きにしたとして、人が両手でかかえるくらい?二把だからその二倍?

 んー、んー、んー、わからない。わからないよ。

 どうも桑の量が頭に思い浮かばない。一蛾の蚕を育てるのに枝ごとくくって二把分じゃ少ないような気がするんだけれどどうなの?それとも枝ごとくくるだろうというのが思い込み??

 ごめん、やっぱわかんないや。
 わかんないけどせっかく書いたから公開しときます。バカでごめんなさい。ごめんなさいごめんなさい……うっ、うっ……

現代の資料、そして巳年なので蛇足

 現代の資料では、1頭の蚕が一生のうちに食べる餌の量というのは 100g くらいなんですと。一蛾(450頭と換算)分なら 45000g = 45kg ってところです。

 しかしそれは、あくまで可食部分である葉っぱのみ計って 45kg であって、食べ残す枝の分は含まれてないと思うんです。

 45kg の葉を取るために枝ごと刈り取ってきたら、何把くらいになるでしょう。二把じゃ足りなくない? という話。

 やっぱり枝ごと刈り取ってくるのは思い込みなのかなあ。しかし葉っぱだけ取るなら一袋とかになって、五尺縄でくくったりできないですよね。

 あるいは、十駄というのが蚕の一生分ではなく、最終齢時の一日分とかっていう可能性もありますけど…


 あああ、普通の人にはどんどん意味不明の計算になっている。

 うわーん、ごめんなさいごめんなさい。

タグ: カイコ 古文書解読

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Sari (01/07 00:40) 編集・削除

一駄=1頭の馬が運べる重量は約150kgだそうですから、
十駄だと1,500kg=1,500,000g お蚕様1,600頭(?)で割ると
1頭あたり約93g

・・・・という計算ではダメですかね(^^;)

珍獣ららむ〜 (01/07 09:08) 編集・削除

こんにちは。
93kgといっても何を93kg運ぶかで量というか体積がかわりませんか?
知りたいのは桑をどういう形状で運ぶのが一駄なのかってことなんです。

[補足]
桑は、葉を摘み取る方法と、枝ごと切る方法があります。
枝ごと切って縄でくくった状態が一把だとすると、
重さには枝の分まで入っていますが、
実際にお蚕が食べるのは葉だけですよね。

雨安居 Eメール (03/09 12:08) 編集・削除

真木1駄の量を調べていて、このページにたどり着きました。
この場合の駄というのは、重さではなく、量を言っているのではないでしょうか。つまり桑の木から葉のついた枝を伐りとって、5尺の長さの縄で結わえる。それを六つで1駄。1頭の馬が一度に運べる量。3把づつ馬の背に振り分ける。桑の枝は重くないからこれ以上運べると思いますが、馬のあゆみを考えると6把が限度かも。真木の場合はまた違うのでしょうが。
種紙一枚の蚕を育てるのに、10駄分の桑が必要で、一枚の種紙の蚕から繭が8斗とれる、と史料は言っている。
このように理解しましたが、どうでしょう。
gabotyan

雨安居 Eメール (03/09 12:10) 編集・削除

真木1駄の量を調べていて、このページにたどり着きました。
この場合の駄というのは、重さではなく、量を言っているのではないでしょうか。つまり桑の木から葉のついた枝を伐りとって、5尺の長さの縄で結わえる。それを六つで1駄。1頭の馬が一度に運べる量。3把づつ馬の背に振り分ける。桑の枝は重くないからこれ以上運べると思いますが、馬が進むことも考えると6把が限度かも知れない。
種紙一枚の蚕を育てるのに、10駄分の桑が必要で、この蚕から繭が8斗とれる、と史料は言っている。
このように理解しましたが、どうでしょう。
gabotyan

珍獣ららむ〜 (03/09 13:50) 編集・削除

雨安居さん、こんにちは!
意味不明な計算を解読してくださってありがとうございます。
おっしゃる通り、重さではなく量のような気がします。

わたしは枝ごとくくって10駄で足りるだろうか、と考えていたのですが、
葉っぱだけ袋に詰めて運んでた可能性もあるので、きっと足りるんだと思います。
馬の背に3把ずつふりわけて6把という計算は、現実的でイメージしやすいですね。
ありがとうございます!

gabotyan

井筒のリーフレットは『花洛名勝図会』だった

ファイル 1500-1.jpg
 八ッ橋で有名な京都の井筒で買い物をすると、こんなリーフレットをくれることがあります。表紙が古文書なので読んでみました。

ファイル 1500-2.jpg
 右上の文字の部分を拡大。

祇園町北側
井筒の茶店

    佐竹
     勝義

いろいろの
 花染ころも
  きてそ
    ゆく
春は
 ひかしの
   都大路
      を

…って感じでしょうか。

ファイル 1500-3.jpg
 左上の文字です。

井の
 そばかし
   打水
 清し夕
  すずみ

   祇園
    米菓

ですかね。そばかし=蕎麦菓子。

 井筒は蕎麦ぼうろというお菓子を江戸時代から作ってたらしいです。米菓と書いてあるのは八ッ橋か、八ッ橋のもとになった米粉の煎餅のことでしょうか。

 ちなみにこの古文書は『花洛名勝図会』でした。れいによって早稲田大学のデータベースをさがしたらありました。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_e0217/
↑ここの「1」をクリック→「37」をクリックで解像度の高い画像を見られます。

ファイル 1500-4.jpg
 ちなみにこれはお店の看板(たぶん中に灯を入れる行灯看板)ですが、ちゃんと井筒って書いてあります。左面は仮名で「ゐづゝ(為徒゛ゝ)」ですね。

# 写真みなおしたら「これは」って言うほど拡大されてなかったですね。行灯看板は◇紋のついてるのれんの右で、軒下についてます。

タグ:古文書解読

養蚕重宝記をまとめました

http://www.chinjuh.mydns.jp/koten/tyohoki1.htm
ブログで勝手にもりあがっていた『養蚕重宝記』を
ページにして公開しました。
行番号つけたので間違いの指摘などに使ってください。

行番号と註解がうざいと思うので
(特に註解は大まじめにごっこ遊びしてるだけだからねー)
本文だけでいいんだよっていう人は
http://www.chinjuh.mydns.jp/koten/tyohoki2.htm
こっちをどうぞ。

間違いの指摘やら、
その他もろもろはこの記事のコメント欄を使ってください。

現在まったく読めない文字

 あやしげな部分は沢山あるのですが、予想もつかない、まったく読めない、というのは以下のA〜Hです。

ファイル 1499-1.png
▲一丁表:008:其手たで[A]にして…

ファイル 1499-2.png
▲一丁表:009:家内安全にしてしづめはく事秘傳也[常][B]
 次の行に「五常の道を専ら貴き道一つ欠くる時は」みたいな説教くさいフレーズが続いてます(まあ、そこすら解読があやしいわけですが)。

ファイル 1499-3.png
▲三丁表:080:…但し壹駄と申は[C][D]なわ六把也
 一駄=六把であることは間違いないんですが、ナントカ縄で六把だって書いてあるみたいなんですよね。ナントカ(CD)の部分が読めないです。CDで二文字かどうかも不明です。

ファイル 1499-4.png
▲十八丁表:253:右記書[EFG]多年心かけ…

ファイル 1499-5.png
▲十八丁裏:263:多年也是によつて諸國諸人の為に紀む[Hゝ]此

タグ:古文書解読

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Sari (12/28 01:14) 編集・削除

Cは、五ですかね・・・

珍獣ららむ〜 (12/28 09:05) 編集・削除

Sariさんありがとうございます。
Cが五に見えるのは激しく同意です。

でも、「五」ではじまって「なわ」で終わる言葉を思いつかないんですよね。
それで別の読み方があるのかなあと。
「荒なわ」とか「麻あさ」とか「藁なわ」とか…
いや、縄の材質はあんまり関係なさそうかも。
その縄でくくることで量を定義するんだから
長さに関する言葉ですかね。よけいわからない><

珍獣ららむ〜 (12/28 13:07) 編集・削除

Bはどうやら「躰」のようです。
「鉢」に似てると思い
旁が「本」になる字を思い浮かべていって
「常躰」という言葉をみつけました。

それだけじゃ意味がわかんないので
「常体 五常」で検索してみたら、
江戸時代に活躍した常盤潭北の『百姓分量記』に
「所謂天の道とは、仁義礼智信の五常也。五常といふ名を聞ては夥しく思はれ、聖人,賢人のみ務、常体の者は及ぬ事のやうに心得らる、方も多らんが、左様にてはなし」
という言葉があるそうなんですよ。

どうも『養蚕重宝記』の序文は潭北の言葉を受けて
「常躰(普通)の百姓であっても五常の道を守らなければならない。専ら貴き道が一つでも欠けたら(蚕のあたりは)あやういであろう」と言ってるっぽいです。

一円 (12/28 22:31) 編集・削除

 昨夜に引き続き参上。
 1番は「疎」。おろそか、でしょう。

 一つ飛ばして、3番目。これは読みが判って面白かったです。そうなんだ。ちゃんと縄の長さには決まりがあって、それで六把を作るというわけか。ふむ。
「壹駄と申は『五尺』なわ六把也」。
 そういえば今年だったか、図書館からもらってきたストーブの本を読んでいます。これの中に「薪一荷(確か荷という単位だったと思う)」という言葉が出てきます。1間(けん)だか半間の平地に棒を打ち込んで、その間に所定の長さの薪を所定の高さまで積む。これを一荷と呼び、燃料業者の通常の取り扱い単位となっていた。
 ところが時代が下るに連れてこれの高さが徐々に減じて、更には業者の中には積み方も雑で隙間がやたらに多いといった者もいた。ということで、この単位はやがて廃れたようです(昭和の話です)。
 さて、その本にも或いは一駄の定義が載っていたかも。

 続きはまたあるかもということで、今回ここまで。

珍獣ららむ〜 (12/29 07:12) 編集・削除

一円さん、すばらしい!!!
疎、確かにそうです。
缺とか難しい文字まであたったのに、疎を思いつかないなんて、くやしい(笑)

尺もビンゴですね。
長さまで思いついててなんで尺に至らなかったのやら。
五がほとんどくずれてないのに尺がなぐり書きなのが罠でした。

一荷の話も面白いです。
そんなことが昭和にまだ残ってたんですね。
薪だといちいち目方をあらためるより「この場所にいっぱいにしてくれ」とかのほうが
双方わかりやすかったんでしょうね。
(そしてごまかしもおこりやすいw)

そういえば野菜は今でも一袋や一把いくらですね。
そもそも時価なので袋や把の量もまちまちで、単位としては機能してませんけど。


というわけで、ありがとうございます。
さっそく直します!

一円 (12/29 11:47) 編集・削除

 ららむ~さんがEFとしているのは、これで一文字の「予」なんですが、次のアラビア数字の3みたいのが判りません。かなの、ら、とか、ろ、にも読めなくはないです。が、これに限らず江戸時代の本は大抵送り仮名は付けませんよね。
 とするとなんらかの漢字ですが、さて?

 Hの左側は弓偏よりも複雑なので「残」の偏(おおがつ、と言ったかな?)にも見えます。でも右側はさっぱりです。書き下しの文章の前後からは「ゆくゆく」とか「なおなお」とか、そのような畳語の決まり言葉に違いないのだけど、確定するにはかなり悩まないと駄目そうですね。
 > # 263:紀む=おさむ
へえ、そういう訓があるのか。
 さっと見て、「しるさむ」と読んでいました。「古事記」、「日本書紀」の二書を記紀と言いますが、この文字は共に「しるす」の意味。それからの連想です。 

 話戻って、五尺の件。これもまだ解釈の余地があって困りますね。
 両腕を広げて(一尋)輪にしたくらいですが、これを束にしたら、持ち上がりませんよ(笑)。もちろん結び目として五分なりを引くとしても、相当な大きさです。
 となると、縄を二重にしたとか、もしかしたら三重にしたとかになるでしょう。常識的なところでは二重ですが、こういうものの縛り方にも規範が確実に存在していたと思われます。
 実は初め自分は、五尺の縄を六つに切って縛る、これで一駄、なんて思っていました(←んなわけが無い)。あとから考えると爆笑ものです。
 昔はごく当然のことだったのが、いつの間にかどんどんと失われて、訳が判らなくなる。少し常民の暮らしの本でも読む方がいいかもしれません。

珍獣ららむ〜 (12/29 18:19) 編集・削除

 またまた興味深いご指摘ありがとうございます!

 「紀む=おさむ」は、くずし字解読辞典に載ってたので送り仮名から考えてそれだろうってことにしました。でも「しるさむ」でも良さそうですね。註に加えときます。

 「五尺なわ」は、150cmくらいでしょうか。案外そんなもんじゃないのかと思うんです。薪と違って葉をつけた状態の枝をくくるのでスカスカでしょうし。さすがに二重に巻くとは思いますが。

http://f.hatena.ne.jp/chinjuh/20121113084506
↑これは、去年やったお蚕(一蛾分なので四百頭くらい)のためにとってきた桑です。45Lのゴミ袋にゆるく詰めた状態で、一駄には少ないけど、半駄くらいあるかしらって思うんですよね。五齢蚕一蛾分で、このゴミ袋いっぱいの桑を朝夕とりに行ってもまだ足りないくらいでした。

 お蚕が爆発的に餌を食べるのは、四齢の終わりから五齢までなので、せいぜい十日です。一日に一駄ずつ食べるとして、十日分だと十駄ですね。

 あれ??

 「種一枚はき桑十駄」と書いてあるので、種一枚は一蛾分かもしれませんね。どちらかっていうと「種一枚」の説明が怪しくなってきました。江戸時代の蚕種紙は一蛾で一枚だったのかも??

 これも註を追加しときます。次にお蚕をやる時は「駄」の単位を思い浮かべながら餌とりますよ。


# 訂正:五尺縄でくくるのは駄ではなく把でしょうね。となると、このコメントで「半駄」だの「一駄」だの言ってるのは、「半把」「一把」のまちがいです。お蚕一蛾分を育てるには、十把くらい(二駄弱くらい)の桑が必要かな、という話でした。

…たぶん。だんだん頭がこんがらがってきましたー!

珍獣ららむ〜 (12/29 18:48) 編集・削除

>EFとしているのは、これで一文字の「予」なんですが、

 そういえば普通に「予」に見えますね。
 それを言われてかえって別のことを思い出したんですが、可をマみたいにくずしますね。

 二文字目(F)は申をくずすとこうなります。
「可申」と来たら三文字目(G)は「候」なんじゃあるまいか。
http://clioz39.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ZClient/W34/z_list.php?title=%E5%80%99&resourcetype=0
 こことか見ると3みたいにくずしてる例がなくもないです。

 でも、右記書可申候…と続けて読むと何が言いたいんだかさっぱりわかりませんね。うーん…

珍獣ららむ〜 (12/29 19:15) 編集・削除

 いや、でも「可申候(まおすべくさうらふ)」は直前の言葉を丁寧にするだけなので、「右記書可申候」で「右のように書を記しました」になって、超要約すると「えっと後書きです by 新井素子」みたいな感じなのかな。

一円 (12/29 20:50) 編集・削除

 自説に固執するわけじゃないんですが、ほかの部分を見ると送り仮名が付いているところもありますね。とすると、これは「予て」、かねてと読む方が文章としても通じるのではないでしょうか。
 「て」の元の字は天です。草書体はこちら。
http://clioz39.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ZClient/W34/z_list.php?title=%E5%A4%A9&resourcetype=0
似ているのもあります。

珍獣ららむ〜 (12/30 06:25) 編集・削除

 まず駄について自分の考えに間違いがあったので訂正。

 五尺縄は一駄ではなく一把のほうですよね。となると、一駄はけっこうな量になります。辞書によれば馬一頭で運ぶのが一駄だそうですから、すごい量になるのはいい。

 間違っていたのは種一枚分の桑の量十駄の考察です。わたしが計算してたのはお蚕400頭分で十"把"だろう、ということなので、一駄(=六把)だと2400頭分くらい。

 一頭が何個の卵を産むかは品種にもよるし、その卵の孵化率は親蚕の健康状態や卵の管理法によって変わるから、下種の説明であることを考慮して、一蛾200個と換算すれば十二蛾分くらいか。

 十二蛾分の蚕で蚕種紙一枚というのは、ちょっと半端な分量ですね。種から計算するのはやめにして、繭の出来高から計算してみます。
=======

 ここから繭の計算。

 繭が六斗(京桝で)と書かれているので……うーん一斗缶に繭を詰めたことがないけど、一蛾400個換算で二蛾分、いや三蛾分1200個くらいかしら。それが六斗だから 1200個 x 6 = 7200個 くらい?

ttp://www.okaya-museum.jp/exhibit/details/index.html
 ここに宝暦・文久の頃の蚕蛾紙があるんだけれど、一枚につき三十蛾のと三十五蛾のがあって悩ましいですね。ここは三十蛾のだと仮定して、7200 ÷ 30 = 240 ですか。一蛾分の種から繭が 240個なら、下種としてはこんなもんかな。
======
 最初にたちかえって、

 種一枚(三十蛾と仮定)で十駄(六十把)の桑が必要だと言ってるから、一蛾育てるのに二把必要ということ。

 おっと、これは一把がすごい量になりますぞ。五尺縄二重巻きどころか一重巻き計算かもしれない(笑)



 というわけで、計算をとっちらかした揚げ句のはてに結局よくわかりませんでした。

 そもそも、当時どんなやり方で桑をとってたかわかりませんからね。今みたいに枝ごと切ってたんじゃないのかもしれないしね。

=============
2013年1月1日追記
まだ間違ってた。
・養蚕重宝記には下種の種一枚から八斗の繭って書いてある。六斗じゃなかった。
・さらに一斗缶に繭を詰めると三蛾分くらいっていうのも読みが甘かった。
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1502
 こっちで京桝を自作して計算しなおしたけど、やっぱりピンとくる数字にならなかった上に、誰も解読できないような記事になってしまいました。

 書いてるわたしが知恵熱出そうです。雑煮食って寺巡りでもしてきます。

珍獣ららむ〜 (12/30 06:48) 編集・削除

>「予て」、かねてと読む方が文章としても通じる

 わたしの可申候は思いつきで、なんの自信もないことなので、予てのほうが通じると言われると、確かにそんな気もします。

 ひとつ気になることと言えば、わざわざ横ちょに小さく書いてあることでしょうか。「予て」をなんでそんなふうに書いたんでしょうね。

 書きわすれて後から書いたんなら、右記書と多年の間がもっと詰まってても良さそうですが、少し間があるので「予て」を小さく書いてから「多年」を書き始めてる感じがしますよね。

 あと「予て」だとして、「て」はもしかしたら「而」なのかなと、これはまったく根拠ないのでおっしゃる通り「天」かもしれないですけど。

養蚕重宝記10:(後書き)

 23回分くらいあるとかいいながら10回で終わりました。後半まとめてアップしたからです。

 ここからは後書きにあたる部分で、本文より読みにくいところがたくさんありますが、桑の木の皮をはいで、その内側のやわらかい皮を細かくして蚕に与えてみるなどの実験についても書かれており、興味深い内容です。

十八丁表

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko04/bunko04_00660/bunko04_00660_p0023.jpg
↑ここの左側
# ここからは後書き

右記・・・・多年心かけためし見るに飼方の移事宵の晩に
内は勿論外の桑葉にまで蚕はきかけ置見るに夜は露
しもをしのかんゐに葉のうらに迫り昼は・に迫る也風
雨はけしき時もおなしく衷の袖に付是即季かうを
かんごうすへき事也程に四度の休み此清してまゆ作る事
うつくしきもの也然といへども諸色諸虫のかたき多くして
かえがたし實事桑の木の皮肉の間の皮をとり細に

# 「右記・・・・」三文字目は書かも。多年の前の小さな文字も読めない。
# 「宵の晩」 自信なし
#「しもをしのかん"ゐに"葉のうらに」 かんゐに 意味不明
# 「昼は・に迫る也」さっぱりわからない
# 「衷の袖」 内袖のことか?
# 「是即」の即のくずし方も知らないと読めない難読文字
# 「季こうをかんごうすへき」 「季こうをかんがへ」が最初の方に出てくる
# 「也程四度の休み此清して」自信なし。
# 「諸色諸虫の」 ここも自信がない。諸色は物価の事らしいので、値段をとわずあらゆる虫(蚕)の、という意味か。諸國諸人(複数回出てくる)を虫に変えた言葉遊びなのかもしれない。
# 「かえがたし」 かひがたし?
# 「實事桑の木の」 まるで自信なし。
# 「皮肉の間の皮をとり」 樹皮と材の間の薄皮までとったという意味か

十八丁裏〜十九丁表

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko04/bunko04_00660/bunko04_00660_p0024.jpg

して四日程是をあたへ死しやうを見るにせいぶんつよくして
さかんなり後に桑にてかえとり上々のまゆ作る也此二つ道
を能く心に掛其外種々の手立にて秘術を覚る事
多年也是によつて諸國諸人のゐに紀む・・此
書を心に掛御飼立・・成候その当り少もうたがへ
なし実にあらましき道といへども猶此文にしたがひ
口傳の有へきものなり

# 「かえとり」 かひとり?
# 「うたがへなし」 うたがひなし と書くべきところが訛っている?
# 「あらまし」=あらまほし=あってほしい
# 「・・成候」激しく崩してあるので決まり文句っぽい。
# 「口傳の有へき」 有は自信がない。


天保十一年庚子正月改板
信州小縣郡上田在マイタ邑
中村彌七郎謹白(印)

信州佐久郡中山道芦田宿峠
小松屋壽惠藏
謹書

# 天保十一年は 1840年。
# 改板とあるので版木を彫り直してる。十一丁にも「改はん」したと書いてある。

タグ:古文書解読

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珍獣ららむ〜 (12/20 18:48) 編集・削除

>しもをしのかん"ゐに"葉のうらに

わかった。
「ゐ」じゃなくて漢字の「為」ですね。
「露しもをしのがん為に」

珍獣ららむ〜 (12/20 19:05) 編集・削除

>實事桑の木の

図書館で借りてきた本(重宝記資料集成)だと潰れて読みにくかったんですが、早稲田大学のを見たら「實に夫桑の木の…」みたい。

ちょっと見直してわかるくらいならアップする前に見直せばいいのに、わたし >_<

珍獣ららむ〜 (12/22 08:08) 編集・削除

最終的にみなおしをかけたらさまざまなことが分かったであります。

>・・成候

この部分、原文を見ていただければわかりますが、ぐちゃぐちゃっと書いてあり普通には読めません。
こういうところはどうやら決まり文句できちんと書かなくてもパッと見ればわかるたぐいのものらしいです。

この部分は最初のマみたいなのが「可」のくずし字で
最後の小さい n か h みたいなやつが「候」
候の上の元気のいいやつはよく見ると「成」
「可・成候」までわかると、あとは決まりなので
二番目は「被」らしいです。
「可被成候」で「なさるべくそうろう」と読むと辞典に書いてありました。

くずし方もいろいろあって、養蚕重宝記の例などまだ読みやすい方でした。
辞典に掲載されてたものはもっと読みにくく、本当に知らないと絶対に無理……おそるべし昔の人。
これを読みこなしていた昔のインテリたちはどれだけ頭がよかったのかと。