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養蚕重宝記をまとめました

http://www.chinjuh.mydns.jp/koten/tyohoki1.htm
ブログで勝手にもりあがっていた『養蚕重宝記』を
ページにして公開しました。
行番号つけたので間違いの指摘などに使ってください。

行番号と註解がうざいと思うので
(特に註解は大まじめにごっこ遊びしてるだけだからねー)
本文だけでいいんだよっていう人は
http://www.chinjuh.mydns.jp/koten/tyohoki2.htm
こっちをどうぞ。

間違いの指摘やら、
その他もろもろはこの記事のコメント欄を使ってください。

現在まったく読めない文字

 あやしげな部分は沢山あるのですが、予想もつかない、まったく読めない、というのは以下のA〜Hです。

ファイル 1499-1.png
▲一丁表:008:其手たで[A]にして…

ファイル 1499-2.png
▲一丁表:009:家内安全にしてしづめはく事秘傳也[常][B]
 次の行に「五常の道を専ら貴き道一つ欠くる時は」みたいな説教くさいフレーズが続いてます(まあ、そこすら解読があやしいわけですが)。

ファイル 1499-3.png
▲三丁表:080:…但し壹駄と申は[C][D]なわ六把也
 一駄=六把であることは間違いないんですが、ナントカ縄で六把だって書いてあるみたいなんですよね。ナントカ(CD)の部分が読めないです。CDで二文字かどうかも不明です。

ファイル 1499-4.png
▲十八丁表:253:右記書[EFG]多年心かけ…

ファイル 1499-5.png
▲十八丁裏:263:多年也是によつて諸國諸人の為に紀む[Hゝ]此

タグ:古文書解読

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コメント一覧

Sari 2012年12月28日(金)01時14分 編集・削除

Cは、五ですかね・・・

珍獣ららむ〜 2012年12月28日(金)09時05分 編集・削除

Sariさんありがとうございます。
Cが五に見えるのは激しく同意です。

でも、「五」ではじまって「なわ」で終わる言葉を思いつかないんですよね。
それで別の読み方があるのかなあと。
「荒なわ」とか「麻あさ」とか「藁なわ」とか…
いや、縄の材質はあんまり関係なさそうかも。
その縄でくくることで量を定義するんだから
長さに関する言葉ですかね。よけいわからない><

珍獣ららむ〜 2012年12月28日(金)13時07分 編集・削除

Bはどうやら「躰」のようです。
「鉢」に似てると思い
旁が「本」になる字を思い浮かべていって
「常躰」という言葉をみつけました。

それだけじゃ意味がわかんないので
「常体 五常」で検索してみたら、
江戸時代に活躍した常盤潭北の『百姓分量記』に
「所謂天の道とは、仁義礼智信の五常也。五常といふ名を聞ては夥しく思はれ、聖人,賢人のみ務、常体の者は及ぬ事のやうに心得らる、方も多らんが、左様にてはなし」
という言葉があるそうなんですよ。

どうも『養蚕重宝記』の序文は潭北の言葉を受けて
「常躰(普通)の百姓であっても五常の道を守らなければならない。専ら貴き道が一つでも欠けたら(蚕のあたりは)あやういであろう」と言ってるっぽいです。

一円 2012年12月28日(金)22時31分 編集・削除

 昨夜に引き続き参上。
 1番は「疎」。おろそか、でしょう。

 一つ飛ばして、3番目。これは読みが判って面白かったです。そうなんだ。ちゃんと縄の長さには決まりがあって、それで六把を作るというわけか。ふむ。
「壹駄と申は『五尺』なわ六把也」。
 そういえば今年だったか、図書館からもらってきたストーブの本を読んでいます。これの中に「薪一荷(確か荷という単位だったと思う)」という言葉が出てきます。1間(けん)だか半間の平地に棒を打ち込んで、その間に所定の長さの薪を所定の高さまで積む。これを一荷と呼び、燃料業者の通常の取り扱い単位となっていた。
 ところが時代が下るに連れてこれの高さが徐々に減じて、更には業者の中には積み方も雑で隙間がやたらに多いといった者もいた。ということで、この単位はやがて廃れたようです(昭和の話です)。
 さて、その本にも或いは一駄の定義が載っていたかも。

 続きはまたあるかもということで、今回ここまで。

珍獣ららむ〜 2012年12月29日(土)07時12分 編集・削除

一円さん、すばらしい!!!
疎、確かにそうです。
缺とか難しい文字まであたったのに、疎を思いつかないなんて、くやしい(笑)

尺もビンゴですね。
長さまで思いついててなんで尺に至らなかったのやら。
五がほとんどくずれてないのに尺がなぐり書きなのが罠でした。

一荷の話も面白いです。
そんなことが昭和にまだ残ってたんですね。
薪だといちいち目方をあらためるより「この場所にいっぱいにしてくれ」とかのほうが
双方わかりやすかったんでしょうね。
(そしてごまかしもおこりやすいw)

そういえば野菜は今でも一袋や一把いくらですね。
そもそも時価なので袋や把の量もまちまちで、単位としては機能してませんけど。


というわけで、ありがとうございます。
さっそく直します!

一円 2012年12月29日(土)11時47分 編集・削除

 ららむ~さんがEFとしているのは、これで一文字の「予」なんですが、次のアラビア数字の3みたいのが判りません。かなの、ら、とか、ろ、にも読めなくはないです。が、これに限らず江戸時代の本は大抵送り仮名は付けませんよね。
 とするとなんらかの漢字ですが、さて?

 Hの左側は弓偏よりも複雑なので「残」の偏(おおがつ、と言ったかな?)にも見えます。でも右側はさっぱりです。書き下しの文章の前後からは「ゆくゆく」とか「なおなお」とか、そのような畳語の決まり言葉に違いないのだけど、確定するにはかなり悩まないと駄目そうですね。
 > # 263:紀む=おさむ
へえ、そういう訓があるのか。
 さっと見て、「しるさむ」と読んでいました。「古事記」、「日本書紀」の二書を記紀と言いますが、この文字は共に「しるす」の意味。それからの連想です。 

 話戻って、五尺の件。これもまだ解釈の余地があって困りますね。
 両腕を広げて(一尋)輪にしたくらいですが、これを束にしたら、持ち上がりませんよ(笑)。もちろん結び目として五分なりを引くとしても、相当な大きさです。
 となると、縄を二重にしたとか、もしかしたら三重にしたとかになるでしょう。常識的なところでは二重ですが、こういうものの縛り方にも規範が確実に存在していたと思われます。
 実は初め自分は、五尺の縄を六つに切って縛る、これで一駄、なんて思っていました(←んなわけが無い)。あとから考えると爆笑ものです。
 昔はごく当然のことだったのが、いつの間にかどんどんと失われて、訳が判らなくなる。少し常民の暮らしの本でも読む方がいいかもしれません。

珍獣ららむ〜 2012年12月29日(土)18時19分 編集・削除

 またまた興味深いご指摘ありがとうございます!

 「紀む=おさむ」は、くずし字解読辞典に載ってたので送り仮名から考えてそれだろうってことにしました。でも「しるさむ」でも良さそうですね。註に加えときます。

 「五尺なわ」は、150cmくらいでしょうか。案外そんなもんじゃないのかと思うんです。薪と違って葉をつけた状態の枝をくくるのでスカスカでしょうし。さすがに二重に巻くとは思いますが。

http://f.hatena.ne.jp/chinjuh/20121113084506
↑これは、去年やったお蚕(一蛾分なので四百頭くらい)のためにとってきた桑です。45Lのゴミ袋にゆるく詰めた状態で、一駄には少ないけど、半駄くらいあるかしらって思うんですよね。五齢蚕一蛾分で、このゴミ袋いっぱいの桑を朝夕とりに行ってもまだ足りないくらいでした。

 お蚕が爆発的に餌を食べるのは、四齢の終わりから五齢までなので、せいぜい十日です。一日に一駄ずつ食べるとして、十日分だと十駄ですね。

 あれ??

 「種一枚はき桑十駄」と書いてあるので、種一枚は一蛾分かもしれませんね。どちらかっていうと「種一枚」の説明が怪しくなってきました。江戸時代の蚕種紙は一蛾で一枚だったのかも??

 これも註を追加しときます。次にお蚕をやる時は「駄」の単位を思い浮かべながら餌とりますよ。


# 訂正:五尺縄でくくるのは駄ではなく把でしょうね。となると、このコメントで「半駄」だの「一駄」だの言ってるのは、「半把」「一把」のまちがいです。お蚕一蛾分を育てるには、十把くらい(二駄弱くらい)の桑が必要かな、という話でした。

…たぶん。だんだん頭がこんがらがってきましたー!

珍獣ららむ〜 2012年12月29日(土)18時48分 編集・削除

>EFとしているのは、これで一文字の「予」なんですが、

 そういえば普通に「予」に見えますね。
 それを言われてかえって別のことを思い出したんですが、可をマみたいにくずしますね。

 二文字目(F)は申をくずすとこうなります。
「可申」と来たら三文字目(G)は「候」なんじゃあるまいか。
http://clioz39.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ZClient/W34/z_list.php?title=%E5%80%99&resourcetype=0
 こことか見ると3みたいにくずしてる例がなくもないです。

 でも、右記書可申候…と続けて読むと何が言いたいんだかさっぱりわかりませんね。うーん…

珍獣ららむ〜 2012年12月29日(土)19時15分 編集・削除

 いや、でも「可申候(まおすべくさうらふ)」は直前の言葉を丁寧にするだけなので、「右記書可申候」で「右のように書を記しました」になって、超要約すると「えっと後書きです by 新井素子」みたいな感じなのかな。

一円 2012年12月29日(土)20時50分 編集・削除

 自説に固執するわけじゃないんですが、ほかの部分を見ると送り仮名が付いているところもありますね。とすると、これは「予て」、かねてと読む方が文章としても通じるのではないでしょうか。
 「て」の元の字は天です。草書体はこちら。
http://clioz39.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ZClient/W34/z_list.php?title=%E5%A4%A9&resourcetype=0
似ているのもあります。

珍獣ららむ〜 2012年12月30日(日)06時25分 編集・削除

 まず駄について自分の考えに間違いがあったので訂正。

 五尺縄は一駄ではなく一把のほうですよね。となると、一駄はけっこうな量になります。辞書によれば馬一頭で運ぶのが一駄だそうですから、すごい量になるのはいい。

 間違っていたのは種一枚分の桑の量十駄の考察です。わたしが計算してたのはお蚕400頭分で十"把"だろう、ということなので、一駄(=六把)だと2400頭分くらい。

 一頭が何個の卵を産むかは品種にもよるし、その卵の孵化率は親蚕の健康状態や卵の管理法によって変わるから、下種の説明であることを考慮して、一蛾200個と換算すれば十二蛾分くらいか。

 十二蛾分の蚕で蚕種紙一枚というのは、ちょっと半端な分量ですね。種から計算するのはやめにして、繭の出来高から計算してみます。
=======

 ここから繭の計算。

 繭が六斗(京桝で)と書かれているので……うーん一斗缶に繭を詰めたことがないけど、一蛾400個換算で二蛾分、いや三蛾分1200個くらいかしら。それが六斗だから 1200個 x 6 = 7200個 くらい?

ttp://www.okaya-museum.jp/exhibit/details/index.html
 ここに宝暦・文久の頃の蚕蛾紙があるんだけれど、一枚につき三十蛾のと三十五蛾のがあって悩ましいですね。ここは三十蛾のだと仮定して、7200 ÷ 30 = 240 ですか。一蛾分の種から繭が 240個なら、下種としてはこんなもんかな。
======
 最初にたちかえって、

 種一枚(三十蛾と仮定)で十駄(六十把)の桑が必要だと言ってるから、一蛾育てるのに二把必要ということ。

 おっと、これは一把がすごい量になりますぞ。五尺縄二重巻きどころか一重巻き計算かもしれない(笑)



 というわけで、計算をとっちらかした揚げ句のはてに結局よくわかりませんでした。

 そもそも、当時どんなやり方で桑をとってたかわかりませんからね。今みたいに枝ごと切ってたんじゃないのかもしれないしね。

=============
2013年1月1日追記
まだ間違ってた。
・養蚕重宝記には下種の種一枚から八斗の繭って書いてある。六斗じゃなかった。
・さらに一斗缶に繭を詰めると三蛾分くらいっていうのも読みが甘かった。
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1502
 こっちで京桝を自作して計算しなおしたけど、やっぱりピンとくる数字にならなかった上に、誰も解読できないような記事になってしまいました。

 書いてるわたしが知恵熱出そうです。雑煮食って寺巡りでもしてきます。

珍獣ららむ〜 2012年12月30日(日)06時48分 編集・削除

>「予て」、かねてと読む方が文章としても通じる

 わたしの可申候は思いつきで、なんの自信もないことなので、予てのほうが通じると言われると、確かにそんな気もします。

 ひとつ気になることと言えば、わざわざ横ちょに小さく書いてあることでしょうか。「予て」をなんでそんなふうに書いたんでしょうね。

 書きわすれて後から書いたんなら、右記書と多年の間がもっと詰まってても良さそうですが、少し間があるので「予て」を小さく書いてから「多年」を書き始めてる感じがしますよね。

 あと「予て」だとして、「て」はもしかしたら「而」なのかなと、これはまったく根拠ないのでおっしゃる通り「天」かもしれないですけど。