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突然だけど角大師のお札のことを考えてみた

佐野厄除大師のお札
▲佐野厄除大師のお札

 お正月になると気になるのがコレ。各地の天台宗のお寺で頒布されてる慈慧大師(じえだいし)の護符です。角があるので角大師とも、慈慧大師が正月三日に亡くなったので、元三大師(がんざんだいし)とも呼ばれています。

 慈慧大師というのは天台宗の偉いお坊さんなんですが、なぜこんな妙ちきりんな姿をしているのでしょう。どう見てもわるものです。良くてゴキブリってところじゃないでしょうか(えっ、わるものよりゴキブリのほうが悪い?)。

 なぜこんなお姿をしているかというと、疫病神を追っ払うためだそうです。ある時、大師の小指に疫神が取り憑きました。あまりの苦しみに、夜叉の姿になって追い払いましたが、人々がこのような苦しみに襲われないように、自分の姿を写し取って護符としなさいと弟子に命じたらしいです。

◎関連記事:慈恵大師の魔除けの御札
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1041

 でも、夜叉って言うにはあまりにもヘンテコ。口が笑ってるし手足はクネクネ。右手(向かって左の手)なんか変な方向に曲がってるじゃないですか。どうなってるんですかね、これ。

 そこで、ほかのお寺で配っている慈慧大師のお札を検索してみました。

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 これは福島県二本松市にある鏡石寺のお札を、わたしが模写しました。オリジナルはこちら>http://www4.ocn.ne.jp/~kyouseki/gyouji.html

 これはリアルですね。顔は完全にドクロだし、あばら骨浮いてるし、夜叉というより病気で弱って骨と皮になっちゃった感じでしょうか。リアルですがポーズは佐野厄除大師のお札と同じようです。右手は曲がってるんじゃなくて座面についてるんですかねえ。いつごろからこのデザインなんでしょうか。

 さらに検索してみます。

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 こっちは『天明改正 元三大師御鬮繪抄』という、1785年発行(江戸時代ですぞ)の本から模写したものです。鬮=籤=くじ。現在おみくじと呼ばれているものは、慈慧大師が発明したと言われてるそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E6%BA%90

 どうやら江戸時代には、すでに佐野式にデフォルメされてたみたいです。だいたいどこのお寺でも、手足クネクネで口元が笑ってるデザインのお札を配っているようですね。このデザインで石像なんかもあるみたいですよ。

 さらにこんな例もみつけました。
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 S県R寺(すでに廃寺)にあったとされる元三大師像らしいです。こちらのサイトの写真を書き写しました。R寺に起こったとんでもないことってのが激しく気になります。>http://blogs.yahoo.co.jp/womokageichiza/6990205.html

 これを見て、足がクネクネの謎は解けたような気がします。つまり、片膝を立てて座っているのを平面的に表現した結果、クネクネになったわけですね?

 で、想像しました。
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 元三大師こと慈慧大師は、疫病にかかって骨と皮になるまで痩せちゃったんだと思います。しかし気力で病に打ち勝った。死にそうなのに半跏座(あ、イラストで漢字間違えてる…)で瞑想とかしちゃったり、でも苦しいので歯を食いしばってたりして、その形相がメチャクチャ恐い。

 右手ついて倒れそうなので、弟子が心配して横になったほうがって言うんだけど「これは降魔印じゃ」とか言って聞かない。それどころか自分の姿を書き取っておけとか言うわけです。

 弟子たちはお坊さんの修業は一生懸命やったけど、絵の修業なんかしてないので固まっちゃう。どうしよう、師匠を下手な絵にするわけにもいかないし。

 そこで頭のいい弟子が「姿が恐くて直接見られません」とか言って鏡に映した姿を書き取ります。元三大師は10世紀の人ですから、当時の金属製の鏡にはボンヤリとした姿しか映らなかったでしょう。その時点でかなりヘンテコな絵だったと思われます。

 それを護符として配ったので、時代を経ていろんな人が版木に起こしているうちに、どんどんデフォルメされて、江戸時代にはあのようなクネクネで口元笑った謎の像に!

 こうしてわたしたち迷える衆生は元三大師の愉快なお札で疫病から逃れることができるのです。ありがたやありがたや。

注意:完全に妄想です。そもそも元三大師を写したというお札が平安時代からあるという保証がないので。

古文書解読:『天明改正 元三大師御鬮繪抄』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ryogen1.JPG
元三大師ハ
もとよ里
如意輪の
け志ん尓て
満しませバ
ミくじを
とる人一心丹此呪をとなへ給ふべし
(元三大師はもとより如意輪のけしんにてましませば みくじをとる人一心に此呪をとなへ給ふべし)

如意輪 (梵字)
観音咒 唵跛納麽振[足多]麽抳人縛欏吽(おんはんどまじんだまにじんはらうん)

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 梵字の部分は黒字で書いたようになってるけど、この時点で漢字で音写されたのとまるっきり違うことが書いてある。

 青字で書いたのがわりと一般的な如意輪観音の真言で、こういうふうに書かないとサンスクリットとして意味が通じない(たぶん)。ちなみに青いほうの梵字の意味は「オーン、与願者蓮華尊よ、フム」とかです。もうちょい平たい訳をすると「オーン、祝福、蓮華、フム」とか。オーンやフムは音だけです。

 『元三大師御鬮繪抄』の梵字は、「おんばらだぱんどめいうん」という口伝にひきずられて梵字の綴りが変化しちゃってるんじゃないですかね。

 ちげーよこういうふうに読み解いたらちゃんとサンスクリットになるんだよっていうツッコミ大歓迎ね。わかるように説明してくれれば。


 あ、早稲田大学の古典籍データベースに『元三大師御鬮繪抄』の別バージョンがあったナリよ。次これ解読してみる。読めるかなあ。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko06/bunko06_00249/bunko06_00249.html

タグ:寺社幻獣 伝説 おまもり 古文書解読

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武邑くしひ (01/08 16:43) 編集・削除

私の出身大学の故金岡秀友教授の本にありましたが、密教の真言のなかには、古代インドの被差別民(所謂デーヴァ)の名を列挙して、それらに守護せよと命ずる(祈る)ものがあります。今うろ覚えな一節を挙げると「チャンダーリーよ、マタンギーよ、守護せよ」的な。中村元の岩波文庫版仏教経典に『神々との対話』とありますが、この神々とは上の被差別民たち(デーヴァ)のことです。密教の坊さんのお札に夜叉(ヤクシャ)のやうな姿が描かれてゐたとしても驚きません。以上は単なる一般論ですが参考までに。あけおめgabotyan。

珍獣ららむ〜 (01/08 21:22) 編集・削除

坊さんが夜叉なのが変なんじゃなくて、手足がクネクネ曲がっちゃってるのが変なんですよう。
二本松の鏡石寺のみたいにドクロだったらまだ納得できるんですけど、佐野のやつなんかデフォルメ激しすぎて逆に恐くないですか(笑)?

ちなみにそのチャンダーリーよっていうのわたしもなんかで読んだことがあります。どういう理屈で被差別民の名が神名として通用するんですかね。「もっこ(蒙古)が来るよ」みたいなやつなのかな。

ことよろgabotyan

1月1日のダイヤモンド富士を動画にしてみました



 場所は越谷のレイクタウンです。大晦日より空が少しだけ晴れててうまく写りました。

 三脚を持っていけたので、連続して撮影したのを繋ぎ合わせて作りました。最後のカットはもっと時間長くすればよかったですね。youtubeにアップした時にどうなるかも予測しにくくて、いまだに慣れないです。

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タグ:富士山

中之条(群馬県)の削り花をいただきました

 前に中之条の博物館で、削り花という小正月のお飾りを見たという話を書きました。

◎不確かな記憶を確かめるべく群馬県中之条町まで行っちゃった話
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1566

 この記事を見た方が、わざわざ削り花を送ってくださったんんですよ。中之条でお父さまが削り花を作ってらっしゃるんですって。

 もともと小正月のお飾りとして、1月11日に立つ市で売っていたそうなんですが、今は販売はしていなくて、中之条のイベントなどで実演して配っているとのことです。

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 箱をあけて、わくわくしながら梱包をほどいて、中からでてきた削り花を見たときは、もう、ただただ感嘆の声しかあがりませんでした。とにかく美しいです。メールには「趣味で作っています」と謙遜して書いてらっしゃったのですが、とんでもないことです。本当に名人の手だと思いました。とにかく美しく、ただぼーっと眺めてしまうような感じです。見ていると素直に言祝ぐ気持ちになってきます。

・・・・[追記]ここから・・・・
 …と、書いてから、送ってくださった方にメールでお伺いしたところ「父は本当に趣味で作ってるんですよ」と、事情を話してくださいました。なんでも、師匠にあたる方が商売にしていなかったので、お父さまも作った削りかけを市で売ったりしていなかったそうです。現在は定年されているそうですが、以前は仕事場にも道具を持ち込んで、手があくと作っていらっしゃったとか。

 それはそれで興味深いことだと思いました。想像ですが、ものすごく昔は自宅で作ったのでしょうし、そうでなくとも集落の中で上手な人にお願いして作ってもらい、お礼として何か差し上げることはあっても、売り買いするようなものじゃなかったのかもしれません。

 わたしは中之条の博物館で「削り花を売るボク市は数年前に立たなくなった」と聞いて、伝統が途絶えてしまったのかとガッカリしましたが、ひょっとすると太古の姿に戻っただけなのかなと思いました。
・・・・[追記]ここまで・・・・

 そもそも削り花というのはどういうものかというと、ある種の木をナイフで薄く削ったものなのです。削りとってしまわず端だけ残し、花のように、房のように、形作るのです。かんなくずって美しいじゃないですか。あれのもっと、超絶美しいものと言ったら話がわかりやすいでしょうか^_^;

 中之条ではこれを「削り花」と言うそうですが、全国的には「削りかけ(削り掛け)」などとも呼ばれていて、冒頭に書いたように、北海道アイヌが神聖なものとして大事にしているし、本州以南でもあちこちの山村で神様に捧げられたり、不思議な力を発揮する道具として用いられたりしているらしいんです。

 そういえば昔、こんな記事も書きました。

◎亀戸天神の鷽(うそ)
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=568
 亀戸天神の鷽替行事で頒布している木彫りの鷽は、尾羽が削りかけになっています(写真の鷽は小さいので、削りかけがあまり目立たないんですけどね)。

 これについてコメント欄に興味深い話を書いてくれた人がいました。鹿児島県の大隅あたりで、子供たちが削りかけの長い棒を持って家々をめぐり、その棒で地面をたたいてモグラを退治するんだそうです。毛槍との類似性や、それが雷や交通につながるシンボルだっていう話もちょっと面白いです。

 東南アジアにも削りかけの風習があるそうです。かの地では村から村へメッセージを使う伝令者が、緊急であることを伝える印として持っていたり、戦争の際に、果たし状として敵の村に置いてくるなどの使い方をしてたそうですよ。

http://www.tobunken.go.jp/~geino/pdf/kenkyu_hokoku07/imaishi_mukeihoukoku07.pdf
 このURLは東京文化財研究所っていうところの資料なんですが、ボルネオ島の削りかけ文化についてレポートされています。

 日本は島国で鎖国時代も長かったせいか、他国との文化的なつながりを実感として持ちにくいのです。でも、こうやって削りかけのことを考えていると、北へ、南へ、削りかけでつながっているんだと感じられて、不思議な気持ちになってきますね。


 そうそう、この削り花を送ってくれた方のお父さまが、今年の1月11日にも中之条の「つむじ」という施設で削り花の実演をされるそうです。ボク市の伝統は立ち消えた(立ち消えそう?)でも、こういった施設で形を変えて続いているんですね。わたしも行けたらよかったんですが、なんせ突然決まったお伊勢参りの直後でもあって、行けそうもなくて本当に残念です。

http://www.nakanojo-kanko.jp/miru-taiken/tsumuji.shtml
 つむじはここです。ここの足湯には何度か入ったことがありますー。なかなかお洒落な空間ですよ。

タグ:おまもり 群馬

日帰りお伊勢参り6:名古屋でナナちゃんと接近遭遇

 伊勢市駅から快速みえで名古屋駅へ。

 名古屋といえば、どこだかに巨大なマネキン人形のナナちゃんがいるって聞くんですが、場所がわかりにくくてまだ見たことがありませんでした。

 今回は絶対見ようと思い、事前に調べて「名鉄百貨店のメンズ館の1階エントランス前」にいるってことはわかったんですけど、JRの駅から行こうとすると意外と大変で、30分くらい迷いに迷ってやっと到着。

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▲うわー、でっかい。

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▲うひょー、エロい。全裸やないかい。

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▲おたふく顔、こわい。

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▲おたふくなのは、お多福祭の特別仕様らしい。

 こんな大きかったら普通にまたくぐりできるんですが、案外誰もまたの間を通りません。名古屋の人って上品なんだって思いました。

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▲わたしはお下品なので股をくぐって後ろに回ってみました。後ろ姿はこんなです。やっぱりなんとなくエロい。

◎名鉄百貨店のナナちゃんのページ
http://www.e-meitetsu.com/mds/ladies/f_nana/
 ナナちゃんのことは、関東ではほとんど知られてないような気がします。知ってる人も、ネット情報で知ったという人が多いんじゃないかと思うんですがどうでしょう。

 新しいものなのかと思ったら、なんと昭和48年から名鉄百貨店にいるそうです。ってことは41歳?こんなに歴史があったら地元では当たり前すぎて話題にならないのかもしれませんね。



 ナナちゃんを見たあと、夕飯をたべて、長期出張中のおともだちは出張先へ帰っていき、わたしは満員の新幹線で東京にもどりました。これで今回の旅行記はおしまいです。

日帰りお伊勢参り5:内宮その2

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▲これは内宮にある風日祈宮(かざひのみのみや)だったと思うのですが、隣に空き地があるのがわかるでしょうか。この空き地は古殿地といって、建て替えられる前の社殿があった場所なんです。

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▲古殿地にはこのような祠のようなものが必ずあるんですけど、これは一体なんなのでしょうね。知りたいことが沢山あるのですが、現地にはあんがい説明がありません。徴古館などへ行けばわかることもあるのでしょうが、いつも時間がなくて行けません。いずれもっと時間をとってお参りせねばなりますまい。だって気になるんだもん、いろんなことがー。

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▲外宮に参拝者が手をかざす謎の石があると書きましたが、内宮にも同じようなものがあるんですよ。こっちのは木の根元にあって人がけっつまづくようなこともなさそうですし、危険だから囲ってあるのとも違うみたい。やっぱりなにか大事なものだから注連縄で囲ってあるんじゃないですかね。あくまで個人的な感想ですが、外宮にある石のほうが「なんらかが出てる感」が強いです。

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▲放し飼いにされているおんどり。天照大神は太陽神なので、鳴き声で朝を呼ぶ雄鳥は神聖ないきものなのです。



 そうこうしているうちに14時くらいになってしまいました。まだ日も高いし名残惜しいのですが、今回はあまりゆっくりしていられないので帰る方向で移動することにしました。

 伊勢市駅へ行くバスを探したら、普通の路線バスがもう出たばかりだそうで、臨時バスに乗ってくださいって言われました。乗り場へ行ったら行列ができてて、観光バスを2台見送らないと乗れませんでした。次から次へと来るのでほとんど待たずに乗れましたけどね。

 駅についたのが14時半くらい。次の快速みえが15時26分とかなので、外宮の参道で日本酒の試飲とかをして暇をつぶして電車に乗りました。

[追記]不思議な石や、古殿地の祠について

http://www.yoitokose.jp/ise/encyclopedia/m0003.php
 伊勢市のケーブルテレビがやっているサイトですが、この説明によると、内宮にある不思議な石は四至神(みやのめぐりのかみ)といって、境界を守護する神様なんだそうです。今で言う境界石のようなものなのでしょうか。

http://www.yoitokose.jp/ise/encyclopedia/k0003.php
 同じサイトに古殿地にある祠のようなものの事も書いてありました。中には心の御柱(しんのみはしら)というものが入ってるそうです。
 さらに別の複数のサイト情報によれば、柱といっても小さなもので、建物を支える役をするわけじゃないらしいです。社殿や神様が移動しても、心の御柱だけは残すんですね。不思議ー。

タグ:神社仏閣