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漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます)
日時: 2003/05/15 17:54
名前: ちんじゅう

 山海経動物記 に出てくる文献のリストを作ってます。ほとんどが漢籍ですが、たまにそれ以外もあります。


文献リスト 更新 2003/05/15

http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/libro/l_list_u.htm
エンコード(文字コード)は UTF-8 です。
文字化けして見える人はエンコードを変えてみてください。たまに真っ白なページが表示される場合がありますが、その場合はリロードしてみてください。

◎無理やりshift-jis版
http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/libro/l_list.htm
 特殊な文字を十進コードで書いてあるので誰が見てもそれなりに見えると思います。このやりかたちょっといいな。正式版はこっちにしようかな(UTF-8 から変換しないと作れないのがめんどくさいが)。

↑上の URL にあるリストについて、こんな面白い逸話があるよ、というような情報大歓迎です。あと、このサイトで電子テキスト化されてるよ、なども。


『深沙大将菩薩儀軌要』
・不空三蔵が訳した『深沙大将儀軌』の要約?
・深沙神について説明したものらしいが…
・日本の本かもしれないので保留

漢籍ではないもの(日本の古典)

『姫国山海録』
 宝暦十二年五月の日付で序文がついている。著者は南谷先生というが何者なのかは知られていない。『山海経』を手本にして作った日本版山海経。姫国というのは日本を別名である。
 国書刊行会の『百鬼繚乱』に収録されている。人権上の配慮から図を一点だけ削除したとのことで少し残念。オリジナルは東北大学附属図書館に所蔵されている。閲覧可能な方、削除されたものがどんなのか教えてくださると珍獣様はとっても喜びます。

作者不明『怪奇鳥獣図巻icon』江戸時代(詳細な年代は不明)
 江戸時代の無名の絵師によって作られた極彩色の絵巻物。『山海経存』の図版をもとに奇妙な生き物の図が描かれている。『山海経』が江戸時代の日本で愛読されていたことを想像させる資料。成城大学図書館所蔵。
 工作舎から『怪奇鳥獣図巻』というタイトルですべての絵を収録したものが出版されている。 

広渡湖秋『鳥獣図鑑』

漢籍ではないもの(その他の国の古典)
プリニウス『博物誌』

上記の本について

・著者

・成立年代
  ナントカ時代と書いてある場合がありますが、そういう場合は西暦で何年だったか。

・その他の情報
  内容に関することなど。


…を調べています。

手伝いたくなってしまった人へ
 お手伝いは歓迎です。ただし、URL 「のみ」を書いたここを読め式の情報は不要です(んなもん自分で検索すれば出来るっちゅーの)。
 もちろんインターネットを参考にしてかまいませんが、「こう書いてありました」と要点をまとめてくださると助かります(箇条書きでけっこうです。文章になってたらコピペしちゃいますがいいですか[Y/y])。参考にしたサイトの URL 「も」書いてください。

 また、成立年代などには異説もあるでしょうから、すでに誰かが調べてくれたものについて重ねて情報をみつけてくださっても問題ありません。あとでとりまとめてリストを作ります。


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Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.20 )
日時: 2003/05/08 14:48
名前: ちんじゅう

 『論衡』からの抜き書きです。

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無形 第七より
 海外には三十五の国があって、そのなかには毛民国や羽民国があるが、羽とは翼のことだ。毛民や羽民はその土地の環境によって生まれたもので、道を体得したから毛や羽が生えたわけじゃない。禹と益は西王母と会見しているのに西王母に毛や羽がはえてるなんてことは言ってない。
 不死の人民は外国にもいるが、毛羽があるとはいわれてない。不死と毛羽はなんの関係もなく、仙人に翼があるからって、なぜ長寿だと言えるのかね?

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 無形篇では、人の姿や寿命はうまれつきで変わらないものとして、修行して仙人になったら永遠に生きられるというのは間違いだと説明してます。しばしば仙人には全身に毛があるとか、肘から先に羽が生えて空を飛ぶなどとされているけれど、普通の人間が修行をしたからといって、そうなれるわけじゃないと言ってます。

 そこまで否定してるくせに、王充は不老不死を否定してはいなくて「修行して羽が生えてくれば長生きできるなんてウソ。海外(『山海経』の海外南経・東経など)に羽民国と毛民国があるけど、彼らは修行してたわけじゃないし、西王母みたいな不老不死の女神ですら羽なんか持ってないでしょ」と、羽や毛にこだわってます。西王母に羽はないけど、山海経では虎の尾を持ってることになってるんだけど…まあ、西王母はもともとそういう姿をしてただけで、修行して虎の尾をはやしたわけじゃないでしょうけど。

 なお、羽民・毛民の話は『山海経』だけでなく『博物志』にも出てくるそうです。
 また、禹と益(どちらも人名)が西王母と会見したというのは、禹と益が『山海経』の著者だというのが当時の常識であることと、『山海経』の中に西王母についての記述があることから、著者が西王母に会見したと思われていたのでしょう。『荀子』大略篇には、禹が西王国で学んだと書いてあるそうで、そういう別の文献も参考にしたのかもしれません。
メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.21 )
日時: 2003/05/08 19:50
名前: ちんじゅう

『論衡』
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書虚 第十六より
 キは堯舜の時代の大夫で生まれつき音楽に詳しく、悲しげに歌うのがうまかった。当時の人がキのような人はひとりいれば充分だと言ったのが、キは一本足と言い伝えられたのだろう。
 秩宗という役目に欠員がでて舜帝が人材を求めたとき、みなが伯夷を押したが、彼は辞退してキと龍にその役目をゆずった。不具者は宗廟に入れない決まりだというのにキにその役がつとまるはずがない。

 (中略)孔甲の養子が薪割りのときに斧で足を切断した。孔甲は養子を出世させる財力があったが、足がないので門番にした。キが一本足だとすれば座って音楽を奏でることはできるだろうが、祭祀官が一本足ではよろしくない。孔甲が養子を出世させられなかったのと同じで、伯夷とて一本足のキに役目を譲れるわけがない。

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 書虚篇は、さまざまな書物にある突飛な表現について、文字通りの意味に解釈するのではなく、こう読めば筋が通ると説明しています。

 ここの出てくるキは『山海経』に牛のようで一本足とある怪獣のこと。黄帝はその皮で太鼓を作ったと言われています。

 時代が下ると怪獣ではなく人間だということになって、堯帝のもとで音楽を司ると言われました。そうなってくると一本足というのは不自然です。体の不自由な人はこの役目につけなかったのだそうです。そこで、さまざまな解釈が生まれました。王充が言っている「ひとりいれば充分だ」というのは孔子による説だそうです。

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龍虚 二十二より
 『山海経』に、四方の海外に龍蛇に乗る人がいる、と書いてある。世間では龍を書くのに頭を馬に、尾を蛇にする。つまり龍というのは馬や蛇のたぐいだということだ。

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 龍虚篇では龍とはどういうものかを説明しています。世間では龍が賢い動物であるかのように言っているけれど、その実体は馬や蛇のようなもので、龍がまとっている雲をとっぱらってしまえば大したものじゃないということのようです。


メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.22 )
日時: 2003/05/09 13:37
名前: ちんじゅう

『論衡』
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談天 第三十一より
 鄒衍は「世界には九州がある。これは禹が言っている九州のことではない。禹が言っているのは大九州の東南隅に位置している…(略)」と言っている。この説は奇怪で聞いた人は目を丸くするが、誰も確かめられないまま世間に広まっている。
 はっきりいって禹の知恵にくらべたら鄒衍なんて大したことはない。禹は洪水をおさめるとき益を補佐につけた。禹は治水をやって、益は物事の記録を担当した。四海以外の地を調査し、四方の山々の果てに境目をつけて、三十五個の国の土地、動物、植物、鉱物、地理など、全部書き記したが、九州があるなんてことは別に言っていない。
 (中略)…鄒衍は、旅行では禹に及ばず、聖人といえるほどの才能も知恵もないから天より知識を授けられたなんてこともないわけで、一体どこからこんなことを言う材料を得たのだろう。禹の『山海経』や『淮南子』の地形編を調べてから、鄒衍の著書を見ると、嘘っぱちであることがわかる。

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 談天篇では、世界のなりたちを説明する伝説について説明して、ここが間違っているというような批判をしています。鄒衍という人は戦国時代の思想家で、天や地の成り立ちを説明する本を書いたらしいのですが、禹と益が調べた世界観を否定しているので、これまた王充先生は気にいらなかったようです。
 王充に言わせると、禹や益は自分の足であるきまわって調べてきたし、そのほかの信頼できる地理書にしても、知恵者が何人も集まって資料を調べて書いているというのに、ひとりで突飛なこと書いたって信用できん、といことのようです。禹や益だって本当に世界中歩き回ったのかあやしいのですが、少なくとも王充は史実だと思っていたようです。
メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.23 )
日時: 2003/05/09 19:33
名前: ちんじゅう

『論衡』
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談日 第三十二より
 学者たちは太陽をひとつだと言っている。禹と息子の益が作った『山海経』には「太陽は十個ある。海外の当方に温泉があって、そのそばに扶桑の木があり、十の日は温泉で沐浴する。大きな木で九の日は下枝にいて、一の日だけが上枝にいる」と書いてある。『淮南子』には「十の日が輝いている。堯のころ、十の日が同時に出て万物が焼けて枯れたので、堯は空に向かって十の日を射た」とある。そのため、同じ日に太陽がたくさん出てこなくなった。
 世間では甲から癸までの十の名を日につけた。日の数が十あるのは、星が五個あるのと同じだ。学者たちはわからないとして何も説明しない。だから世間では適当に言うだけで意見がまとまらない。
 はっきりいって日が十個あるなんてことはないだろう。だが、これをどうやって証明するかが問題だ。

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 『山海経』びいき、というか禹と益に甘い王充先生ですが、さすがに日が十個あるという伝説には疑問をなげかけてます。先を読み進めると、太陽が十あるというのなら、それぞれ別の気を持っており違う光をはなつはず。だのに、毎日同じ気質のものが出てくるのはおかしい。地上に火がひとつしかないのに、天の火である日が十あるはずもない。やはり太陽は一個なのだ、というような説明をしています。

 では禹がデタラメを言ったのかというとそうでもなくて「太陽の光質と似たものをもった何かが湯谷の水中にあって、あたかも扶桑にまつわっているように見えたのを、禹や益が十の日と記録したのだろう」と言ってます。

 もう少し読み進めてみると…

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談日 第三十二より
 世界には似たような気を持っているのに違うものが沢山ある。海外の西南に珠樹がある。この樹の実は珠に似ているが、魚の腹にある珠とは違う。十個の日も珠樹と同じようなものだ。珠樹の実は珠に似ているが真珠とは違う。十の日は日に似ているが日ではないのだ。淮南王の安が『山海経』を読んで、いい加減に「堯のころに十の日が同時に出た」などと書いたのだろう。

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 だそうです、説明はかなり苦しいですが『山海経』が荒唐無稽なのではなく、解釈する人間の頭のほうがダメなのだと言っているようです。

 ついでに特記すべきことといえば「珠樹の実は魚の腹にある珠とは違う」という部分。珠というのは今で言う真珠のことだと思うのですが、どうも王充先生は真珠が魚の腹にできるものだと思っているようです。
 『山海経』にもジョヒ魚が珠を生むとあるので、真珠は貝ではなく魚から生まれてくるものだと信じられていた時代があるのかもしれません。
メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.24 )
日時: 2003/05/23 23:14
名前: 中根東竜  <touryuu@jcom.home.ne.jp>
参照: http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/

お久しぶりの中根です。少し情報を提供しますね。

1,『深沙大将菩薩儀軌要』は、
深沙大將儀軌と同じもののようです。
『深沙大將儀軌』の原文の最後を見ると、
「深沙大將菩薩儀軌要一首」って書いてあるんですよ。
お経の検索エンジン(http://jhoo.com/、要繁体中国語フォント)で、深沙大將儀軌とうって検索をかけると原文が出てきます。頭の病気にはこういう加持祈祷をしなさいというようなことが箇条書きで書かれています。

2,『漢書』の書籍目録の題名は、『芸文志』であって
文芸志ではありません。『漢書芸文志』に関しては
明徳出版社から全訳が出ています。
メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.25 )
日時: 2003/05/24 00:11
名前: ちんじゅう

 中根さんお久しぶりです。『山海経・列仙伝』への相互リンクありがとうございますなのです。もーちょっとで 100 票突破。ご協力をお願いいたすのです。

> 深沙大將儀軌

 うわ、まさか原文が拝めるとわ。中国は古典の電子テキスト化が進んでますねえ。

 でも、あれ〜。ナモカラタンノトラヤーヤーとかいう真言は書いてあるみたいだけど、深沙神がどういうものかなんてろくに書いてなさそうですねえ。なんでも『別尊雑記』(これもどこの誰が書いたものか不明なんですが)という本に『深沙大將儀軌要』からの引用で「央崛摩羅」という言葉が出てくるらしいのですよ。それと、白飯をもった椀を捧げる深沙神像は『…儀軌要』の記述にもとづくとかなんとか…見落としてるのかな。後でゆっくり読んでみます。

> 芸文志

 おお?!
 あれま、ほんとだまちがえてる。訂正しときます。

 ところで、漢書の全訳版、それっぽいのが三冊ほどヒットするのですがどれでしょう?
明徳出版社『漢書芸文志icon
明徳出版社『後漢書icon
明徳出版社『後漢紀icon

メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.26 )
日時: 2003/05/24 23:01
名前: 中根東竜

>中根さんお久しぶりです。『山海経・列仙伝』への相互リンクありがとうございますなのです。もーちょっとで 100 票突破。ご協力をお願いいたすのです。

ウチのトップページからリンクしました。早く100票行くと良いんですけどね・・
身内にも宣伝してみます。

>うわ、まさか原文が拝めるとわ。中国は古典の電子テキスト化が進んでますねえ。

これ、元ネタは日本の大正時代に編纂した大正新修大蔵経なんですよね。んーなんで日本でデータベースできなかったのかな。天台宗・禅宗とか各宗派ごとのデータベースなら早くからあるんですけどね。

>でも、あれ〜。ナモカラタンノトラヤーヤーとかいう真言は書いてあるみたいだけど、深沙神がどういうものかなんてろくに書いてなさそうですねえ。

儀軌と書いてあるわけですからどういう神様くらいなのか書いてあっても良さそうなんですけどね・・
別尊雑記も検索掛けたけどわからずじまいでした。

>ところで、漢書の全訳版、それっぽいのが三冊ほどヒ>ットするのですがどれでしょう?
>明徳出版社『漢書芸文志』
>明徳出版社『後漢書』
>明徳出版社『後漢紀』

これは『漢書芸文志』のみがビンゴで、他の二冊は全く別の後漢の歴史書です。これ、図書館とかでも結構置いてあるような気がするんですけど(少なくともウチの近所の図書館には置いてある)。
メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.27 )
日時: 2003/05/25 09:04
名前: ちんじゅう

 もともと「漢籍」に興味があるわけじゃないので、「そんなもんジョーシキでしょ」ってなほど有名なものでも興味の度合いが低ければ確認は後回しです。『漢書』はまだ食指が動かないので図書館で探してみようとさえ思ってませんでした。

 で、江戸川区の図書館はみょうなところにお金かけてて、ネットから蔵書検索なんて味なマネができるので、検索かけてみたんですけど、『漢書芸文志』は本当にないみたいです。

 もっとも筑摩文庫からも『漢書 全八巻icon』というのが出ていて、これなら区内のどこかにあるらしいので、そのうち内容を確認しようとは思ってます。
メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.28 )
日時: 2003/06/03 11:42
名前: ちんじゅう

 『深沙大将儀軌』がんばって読んでみました。内容は平たく言うと「観音自らが説くすべての願いを叶えるための方法」みたいですね。以下はものすごくいい加減な訳なので、お経を読むのが苦手な人は参考程度にどうぞ。

 その時、観自在菩薩は集まってきた人たちの中から立ち上がり、五体投地して仏の両足に礼拝して申し上げました。
「わたしには、すばらしい願いがかなう、真言と手印と、三人の使者を召還する法がございます。世尊がお許しになるなら、ここで解き明かしてみせましょう。ねがわくば、善男善女のためにお役立ていただきたい」

 そうして、観音はこれらの作法について説明しはじめます。
「まず真言は、ナモラトナ トラヤーヤ ナモアリヤバロキテー タシタ ギャキギャキギャヤー ギャユタリ カラカラマラマラシャラキダ ソワカ マダラダニ メイバテー ソワカ
 この真言を十五日間称えなければなりません。その間は乳を煮詰めたものだけを食べなければなりません。十万回となえると、観音のさまざまな荘厳な姿が見られます。また十五日目の夜には、光がふりそそぎ、念ずる者の頭の上に真珠や宝物が現れ、その作法が成功したことを告げるでしょう。」

 ※真言の意味は「三宝と聖観音に帰依する。即ち、虚空よ虚空…」で始まり、その後は「運載せよ」などのあまり意味のない言葉がつづき、吉祥成就[ソワカ]で終わるものです。なお、読みは適当に当てたので、七割あたってれば良い方だと(汗)

 それから観音は手で印を結び、願いを叶える法を説明します。
「ふたつの手を背中合わせに交差して、それぞれの手の、親指と人差し指をあわせて剣となし、これをもって虚空に向かわせ天蓋となしなさい。十方天上のあらゆるところに結界をめぐらせ、本尊に向かい、供養と礼拝をしなさい」

 観音はこの法を百八回おこなえば、すべての悪い者は消えると説明します。また、心の病には黄土を塗って加持し、頭の病気には土と火で、眼病には杏の油を塗って加持し…と、いくつかの病の直し方を説明しています。

 最後に観音は、費迦羅・大仙・水火雷自在という三人の使者を呼ぶ方法を説明します。その方法は、手のひらを上に向け、梵語で「出でよ費迦羅」、手のひらを大地につけ、梵語で「シッタヤソワカ!」、片手を地に、片手を天にむけ、梵語で「虚空よ虚空、幸あれかし」というようなことを称えるというようなものです。

 この方法で召還した三人の使者により、すべての悪いものが消滅し、この術に成功した者は仙人となり天にのぼり、天龍・薬叉・鬼神を思いのままに操る…

原文は
◎Jhoo! 深沙大將儀軌(繁体字中文)
http://www.buddhist-canon.com/budd-bin/jhoo//ei.cgi?r2=t21/1291_001&tp=02&ft=0&xh=0


 とまあ、こんな内容で、深沙神のシの字も出てきません。

 そもそも、なんで『深沙大将菩薩儀軌要』が、うちのサイトに関係しているかというと、『山海経』の失われた部分に出てくると言われている無支奇というサルの化け物に関係しています。中国全土の治水を成功させた禹王が、洪水を起こす無支奇を退治したという話です。

「禹王の伝説が、やがて三蔵法師の伝説のもととなって、無支奇は孫悟空になり、さらに日本の河童にもつながるんじゃないか」
「河童といえば沙悟浄だけど、沙悟浄ってもとは深沙神なんでしょ。深沙神ってどんな姿をしてるんだっけ?」
「なんでも『別尊雑記』というものに『深沙大将菩薩儀軌要』の引用があって、そこに深沙神とはどういうものか説明があるらしいわよ」

 …と、話せば長いつながりです。
 ところがこうして読んでみると深沙神のことは書かれていないようなので『別尊雑記』のほうを探してみたほうがよさそうですねえ。

 内容に深沙神が出てこないのにタイトルが『深沙大将…』になっているのは、観音が自ら語るという設定になっているところに秘密があるのでしょうか。

 観自在菩薩(観音)のことを、サンスクリットではアヴァローキテーシュヴァラというのですが、シヴァ(自在天)のこともイーシュヴァラと呼ばれていて、もとは同じものなんじゃないのって話はよく言われてることだし、色黒で裸で骸骨の首飾りをしてる深沙神の姿は、日本でよく知られている観音には似てないけど、シヴァ神にはそっくり。もしかすると三者が同じものだという前提があるのかもね。
メンテ
Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.29 )
日時: 2003/05/26 15:37
名前: ちんじゅう

『別尊雑記』

・平安後期の図像集
・宋代の中国から新しい図像として請来されたもの
・仏像や仏画を作るときに手本にするためのもの
・京都の仁和寺にある
・鹿原の金剛院には鎌倉時代の仏師運慶が作った深沙大将立像がある。この像は『別尊雑記』をもとにして作られた。

◎奈良国立博物館
http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/034.html

◎京都国立博物館
http://www.kyohaku.go.jp/gakuso/gakuso04/gsil4j.htm

◎舞鶴市役所
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/rekishi/furusato/furu8.htm
メンテ

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