漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.0 )
日時: 2003/05/15 17:54
名前: ちんじゅう

 山海経動物記 に出てくる文献のリストを作ってます。ほとんどが漢籍ですが、たまにそれ以外もあります。


文献リスト 更新 2003/05/15

http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/libro/l_list_u.htm
エンコード(文字コード)は UTF-8 です。
文字化けして見える人はエンコードを変えてみてください。たまに真っ白なページが表示される場合がありますが、その場合はリロードしてみてください。

◎無理やりshift-jis版
http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/libro/l_list.htm
 特殊な文字を十進コードで書いてあるので誰が見てもそれなりに見えると思います。このやりかたちょっといいな。正式版はこっちにしようかな(UTF-8 から変換しないと作れないのがめんどくさいが)。

↑上の URL にあるリストについて、こんな面白い逸話があるよ、というような情報大歓迎です。あと、このサイトで電子テキスト化されてるよ、なども。


『深沙大将菩薩儀軌要』
・不空三蔵が訳した『深沙大将儀軌』の要約?
・深沙神について説明したものらしいが…
・日本の本かもしれないので保留

漢籍ではないもの(日本の古典)

『姫国山海録』
 宝暦十二年五月の日付で序文がついている。著者は南谷先生というが何者なのかは知られていない。『山海経』を手本にして作った日本版山海経。姫国というのは日本を別名である。
 国書刊行会の『百鬼繚乱』に収録されている。人権上の配慮から図を一点だけ削除したとのことで少し残念。オリジナルは東北大学附属図書館に所蔵されている。閲覧可能な方、削除されたものがどんなのか教えてくださると珍獣様はとっても喜びます。

作者不明『怪奇鳥獣図巻icon』江戸時代(詳細な年代は不明)
 江戸時代の無名の絵師によって作られた極彩色の絵巻物。『山海経存』の図版をもとに奇妙な生き物の図が描かれている。『山海経』が江戸時代の日本で愛読されていたことを想像させる資料。成城大学図書館所蔵。
 工作舎から『怪奇鳥獣図巻』というタイトルですべての絵を収録したものが出版されている。 

広渡湖秋『鳥獣図鑑』

漢籍ではないもの(その他の国の古典)
プリニウス『博物誌』

上記の本について

・著者

・成立年代
  ナントカ時代と書いてある場合がありますが、そういう場合は西暦で何年だったか。

・その他の情報
  内容に関することなど。


…を調べています。

手伝いたくなってしまった人へ
 お手伝いは歓迎です。ただし、URL 「のみ」を書いたここを読め式の情報は不要です(んなもん自分で検索すれば出来るっちゅーの)。
 もちろんインターネットを参考にしてかまいませんが、「こう書いてありました」と要点をまとめてくださると助かります(箇条書きでけっこうです。文章になってたらコピペしちゃいますがいいですか[Y/y])。参考にしたサイトの URL 「も」書いてください。

 また、成立年代などには異説もあるでしょうから、すでに誰かが調べてくれたものについて重ねて情報をみつけてくださっても問題ありません。あとでとりまとめてリストを作ります。


全文一括読み >>0-

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.1 )
日時: 2003/05/15 15:37
名前: ちんじゅう

年代に関するメモ『広辞苑』による

戦国時代(前403-前221)


 前漢+後漢←一般的にはこれか?
 三国の蜀漢
 五胡十六国の成漢・漢
 五代の後漢・南漢・北漢

前漢(前202-後8)←西漢ともいう
後漢(22-223)←「ごかん」と読む。東漢ともいう。

後漢(947-950)←「こうかん」と読む。ややこしい。ほんとに読み分けてるの?

魏晋時代・魏晋南北朝(220年-589)

晋(一般的には(2)のこと?)
(1)春秋時代十二列国のひとつ(?-前376)

(2)三国の魏に代わって現れた国(後265-後426)←東晋・西晋に分ける場合がある
  ・東晋(265-317)
  ・西晋(317-426)

(3)五代の一国。後晋ともいう。(936-946)

唐代(617-907)
盛唐(713-766)←唐代を(詩史の上から)四分割した第二期
後唐(923-936)
南唐(937-975)


周(前1100-前256)
 西周(前1100-前771)
 東周(前771-前256)

 北周(556-581)
  中国南北朝時代の北朝のひとつ。
  後周(ごしゅう)とも言う。
  『周書』であつかわれているのはこの時代。

 後周(951-960)
  「こうしゅう」と読んで北周と区別。



 周代の一国。?- 前286

 南宋の一国(劉宋とも)。後420 - 後479

 趙匡胤(ちようきよういん)が作った国 960 - 1279
 日宋貿易という場合の宋はこれ、だよね。
  北宋 960 - 1127
  南宋 1127 - 1279


明(1368-1644)

清(1616-1912)
 康熙(1662-1722)
 嘉慶(1796-1820)

こんな感じかな??データがいっぱいありそうな所から<レビ記> ( No.2 )
日時: 2003/03/06 20:56
名前: ひろこ

参考サイト
日本聖書協会
坂井信生のホームページ
レビ記の基礎知識
旧約聖書成立史表

レビ記
・著者:モーセ
・成立年代:前445(ペルシャ支配)

・その他の情報
旧約聖書の第3巻
シナイ山でモーセがヤハウェから命じられたおきての書(法令集)
レビとはヤコブの三男の名前(“結ぶ”という意味のヘブライ語)
ヤコブの12人の息子はイスラエル12部族の祖となり、レビの子孫もレビ族(イスラエルの民の中で祭司職にあたることになった)と呼ばれるようになりました。
レビ記には、いけにえのささげ方など礼拝に関することや、祭りについてなどが記されています。それらをとりしきるのは祭司レビ族なので、彼らの名が本書のタイトルになったのでしょう。

 創世記の最後で、イスラエルと呼ばれたヤコブの一族がエジプトに移住。そして出エジプト記では、エジプトでの艱難辛苦からヤハウェの強烈な介入によって脱出。さあ、約束の地カナンへ入植するぞというところで、物語りの進行がとまって、法律集のレビ記と、人口調査の記録などの民数記[みんすうき]が続きます。

ついでに出てきた何ともディープな趣味人のサイト
  

Re: 『爾雅』 ( No.3 )
日時: 2003/03/06 21:37
名前: 涜神犯人  <adg@pmk.em.nttpnet.ne.jp>

ハムの無線ネットで流れてきたのを
メモしていたものです

自分の子は子(こ・し)
子の子は孫(まご・そん)
孫の子は曾孫(ひまご・そうそん)曽孫
曾孫の子は玄孫(やしゃご・げんそん)
玄孫の子は來孫(らいそん)来孫
來孫の子は昆孫(こんそん)
昆孫の子は仍孫(じょうそん)
仍孫の子は雲孫(うんそん)
(儒教の経典「爾雅(じが)」より)

 (昆の字は「曰」の下に「弟」)

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.4 )
日時: 2003/03/06 22:22
名前: ちんじゅう

ひろこさん、犯人さん、ありがとう!
そうです、そんな調子でお願いします。

 旧約聖書は膨大なので、その書がどういう位置づけなのかわかると面白いし、『爾雅』などは原文を目にすることすらほとんどないでしょうから、一部なりと内容がわかると面白いです。

 今後もその調子でお願いします。わたくしは主に手元にある本の中から基本情報を抜き書きする方向で行ってみます。

『唐国史補』追加情報 ( No.5 )
日時: 2003/04/21 10:08
名前: ちんじゅう

『唐国史補』
 懐素(かいそ)という僧侶が使い古した筆を埋めて供養した。これを筆冢(ひっちょう)と呼ぶ。日本で言う筆塚はこの流れ?

北九州都市協会・筆塚まつり
http://www.kix.or.jp/~toshikyo/html/p_5n.htm

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 吐蕃への使者がテントで茶を煮ていると、吐蕃王がやってきて「自分も中国の茶を持っている」と六種の銘茶を見せた。

◎中国銘茶図譜−茶外の茶
http://www.asahi-net.or.jp/~RU4K-HRT/tea/teaex/teaother008.html
バター茶の作り方が書いてあっておもしろい。


 どうも『唐国史補』という本は、本当に「雑事」を扱ったもののようで、お茶の話や化け物の話、卵膜のように薄い紙のことなど、さまざまなことが書いてあるらしいです。歴史書としてまとめるには雑多なことを集めた本なのではないかと(想像)。とにかく面白そう。これ読んでみたい。

◎国学網−唐代五代巻(簡体字中文 GB)
http://www.guoxue.com/tangyanjiu/stwd/038.htm
 ここによると、唐代のお役所の制度(?)とか、科挙制度関係の話とか、社会風俗、流行の遊び、各地の名産などの話が載っている本とある。やはり面白そう。


京都大学附属図書館 近衛文庫 [唐国史補]
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k67/k67cont.html
 ここを、頑張って読んでみようかと思ったけど、さすがに難しくてダメだわ、ほほほ。
 でもひとつ、おもしろいものを見つけました。楊貴妃がライチを好んだという有名な話なんだけど…

 楊貴妃生於蜀好食荔枝南海所生尤勝蜀者故毎歳飛馳以進然方暑而熱經宿則敗後人皆不知之
(文字化けする人がいると思うけど勘弁して)

 これって「蜀の楊貴妃はライチを好んだ。南海のライチは蜀のものより美味だというので毎年馬で運ばせていたが、暑さのせいで熟れて腐りかけていたのだということを人は誰も知らない」って意味でいいのかしら??
 楊貴妃が遠くからライチを運ばせた話は有名だけど、てっきり身近なところではとれないからだと思ってた。まさか熟れすぎて腐りかけたのを喜んでいただなんて…

『異物志』 ( No.6 )
日時: 2003/03/08 16:56
名前: ちんじゅう

 『異物誌』という表記でひっかかることも多いんだけど同じものなのかしら。

 この本、あっちこっちに引用されていて、かなりそそられる本なのですが、日本語訳があるのかないのかさえよくわかりません。
 一体全体、世の中のえらい人たち(&偉くない人たち)は、どこから引用して「『異物志』より」と記しているのかしら。ちなみに偉くない珍獣様は、なんらかの化け物本に引用されていたものを再引用したんだったと思います。very 偉くない。偉くない上につまんない。

<出エジプト記> ( No.7 )
日時: 2003/03/10 21:44
名前: ひろこ

・著者:モーセ
・成立年代:前445(ペルシャ支配)
・その他の情報
イスラエル民族がエジプトから出た記録
創世記の最後で、ヤコブの子孫たちはエジプトに移住しました。しかし時が流れ、ヤコブの子孫であるイスラエル民族はエジプトで奴隷となって苦しんでいたのです。
彼らのうめき声は天に届き、神は民族の父祖であるアブラハムとイサクとヤコブに約束したカナンの地へと、エジプトからイスラエルの民を救い出します。

内容
○エジプト脱出の事
○神ヤハウェと民の契約(イスラエルがヤハウェから律法(十戒をはじめとする戒律)を授かる)
○幕屋(まくや:テント型の可搬式神殿)について
後にエルサレムに建てられる神殿のモデルとなる幕屋について、その細かい部分までの神からの指示と設営の記録です。この幕屋は神が民の中に住むことの象徴で、やがて来るキリスト(神が人となって、人の中に住む)のモデルでもあるのです。


創世記
出エジプト記
レビ記
民数記
申命記
これらをモーセ五書と呼び、モーセが書いたと言う事になっているが、モーセに起因する資料や口伝がのちの時代にまとめられたと言う事らしい。

<コーラン> ( No.8 )
日時: 2003/03/10 21:58
名前: ひろこ

・著者:不明
・成立年代:651年
・その他の情報
 アラーがマホメット(571年〜632年)に対し、あるいは信徒(ムスリム)に向かって、直接話し掛けたものをまとめたとされる。

 内容は道徳法的規定や他宗への批判

 アラビア語文としては優れた詩の韻律を持ち「読誦すべきもの」とされています。徹底した偶像崇拝禁止のイスラム教には、彫刻も絵画もなく、ただコーランの読誦のみが許された。

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.9 )
日時: 2003/03/10 23:49
名前: ちんじゅう

ありがとうございます〜>ひろこ様
わたくしも頑張りますわ。


『爾雅』の電子テキストをみつけました。
でも簡体字なの…うひ〜、読めないとかいう以前に雰囲気出ない〜。

◎国学網站・『爾雅』
http://www.guoxue.com/jinbu/13jing/erya/13j_eyml.htm

<動物誌> ( No.10 )
日時: 2003/03/11 18:27
名前: ひろこ

・著者:コンラート・ゲスナー (1516-65)
・成立年代:『動物誌』(TheThierbuch)
- 4分冊の合本 -
「四足類」(1606年)
「鳥類」(1600年)
「魚類」(1598年)
「蛇・怪物類」(1589年)

・その他の情報:
博物学的な収集と分類の精神に基づいた、グーテンベルク以後最初の体系的な解説つきの書誌

・その他の著書
『博物誌』(Historia Animalium)
『萬有文庫』(Bibliotheca Universalis)
『百科総覧』(Pandectarum)
『追録文庫』(Appendix Bibliothecae)

参照
慶應義塾大学所蔵 博物誌コレクション
HUMI Project

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.11 )
日時: 2003/03/11 20:40
名前: ちんじゅう

↑さすがだわ。相変わらずすごいもの見つけてくるわね。
最近は、あっちこっちの大学で
デジタルアーカイブを公開してくれて助かるよね〜。

<東方見聞録> ( No.12 )
日時: 2003/03/12 10:00
名前: ひろこ

・著者:マルコ・ポーロ述/ルスティケロ著
・成立年代:1298年
・その他の情報
1271年、マルコ・ポーロが17才の時に、叔父マッフェオと父ニッコロと共にヴェネツアからモンゴルに向けて旅たった。教皇から派遣された二人の伝道師は、旅の途中で逃げてしまったが、三人はそのまま旅をつづけた。 中央アジアを経て1275年に元の大都(現在の北京)にいたる。3年半の辛い旅が終わったのだ。フビライ・ハーンは礼を尽くして彼らを迎えた。特に若いマルコ・ポーロを気に入り、彼を汗の外交官として召し抱えた。汗の命令により中国各地を旅行した、この体験がのちに本となった。
1292年、海路帰国の途につく。1295年にベネチアに帰着。のち戦いでジェノバの捕虜となり、獄中で書いたのが有名な『東方見聞録』である。この書は社会に大きな影響をあたえ、東方のバイブルとなった。

1巻では、シルクロードから雲南への使節行、元朝の宮廷事情までを収録
全アジアを支配下におくフビライ・カーンの寵愛を受けて、マルコ・ポーロは二十歳そこそこから十七年間、使者として元朝諸方へ派遣され、各地を踏査する。未曾有の繁栄を誇るシルクロードを採った往路の様子から、現在のミャンマーあたりにまで至る雲南への使節行、さらには元朝の宮廷事情にまで及ぶ見聞記。

2巻はスパイスコースで帰路につき、26年という長い旅の終わりを迎えるまでを収録
現在の天津郊外より台湾海峡に至る長大な運河に沿っての福建への旅、チパング島への遠征(元寇)、さらには極寒のロシアなど、広大な地域にわたって産業や宗教、習慣、迷信などを見聞してゆくマルコ・ポーロ。インド洋を経由するスパイスコースで帰路に着き、ヴェニスを発って二十六年という長い旅の終わりをむかえる。

参照
マルコ・ポーロの東方見聞録
ドードーの絶滅

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.13 )
日時: 2003/03/12 22:32
名前: ちんじゅう

 『東方見聞録』は、つい先日、超高速読みしたばかりですが(二三調べたいことがあったものですから)、成立年代などメモする前に図書館に本を返してしまい、ありゃ〜って感じだったところなので大助かりです。

 こちらは文献リストの作成もちらほらやりつつ馬の怪の改訂作業に入りました。秘密の指令もあと二件くらいどこかに仕込む予定だし、食卓の再編集版もやらねばならないし…と、なんでこんなにやることあるんだ状態でうひ〜です。何やってるんだろう、わたくし。でも暇のあるうちにがーっとやります(一生暇だったりして。まあそれでも死ななきゃいいけどさ)。

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.14 )
日時: 2003/03/14 16:48
名前: ちんじゅう

『漢書』の電子テキスト(簡体字版)
http://www.guoxue.com/shibu/24shi/hansu/hsuml.htm

それから、漢籍のリストに追加
畢[水元](1730-97)『山海経新校正十八巻』清(乾隆四十六年)
 山海経の注釈本のひとつ。著者は「山海経には不明な点が多く、解釈には後世の学者を待たねばならない」としており、注釈そのものの分量は少ないが信頼できるものが多いという。


『穆天子伝』
 西周時代の五代目の王である穆王(在位BC1001〜946年頃)の生活行動記録といわれるが、もっと後の時代に書かれたものかもしれない。そこには王が黄河をさかのぼり、西王母と面会したことが書かれている。

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.15 )
日時: 2003/03/15 18:27
名前: ちんじゅう

追加

『六韜』
 戦国時代の兵法書。

『尚書大伝』

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.16 )
日時: 2003/03/23 01:05
名前: ちんじゅう

追加

魚豢(ぎょけん)『魏略』
 この本は散逸して全体を読むことができないが、さまざまな書物に 『魏略』に曰く と引用されているものから内容が推察される。『三国志』の魏志東夷伝倭人条(魏志倭人伝のこと)は『魏略』を参考にして書かれたと言われている。
 魚豢は生没年とも不詳だが、紀元後三世紀くらいの人である。


陳寿(生233〜297)『魏志倭人伝』
 邪馬台国について書かれているのは有名な本だが、実は『三国志』という膨大な歴史書の一部分である。正式には「三国志魏書巻三十烏丸鮮卑東夷伝倭人」という。

高木春山『本草図説』 ( No.17 )
日時: 2003/04/20 21:27
名前: ひろこ

高木春山(本名 高木八兵衛以孝,生年不明〜1852没)
『本草図説』は未完で散逸していた原稿を孫が編さんしたもの。
現存するのは21巻から197巻までの195冊と水産部30巻、
未定稿56巻。
21〜172巻までが植物編
185〜191巻までが卵生類編(蜂・蝶々など)
192〜197巻は化生類編(芋虫・蝉・冬虫夏草など)
未定稿は獣類・鳥類・竜類などを記載。

原本は愛知県の西尾市立図書館の岩瀬文庫に保管されており,
その一部が近年,荒俣宏監修・八坂安守校註により刊行され,
一般にも知られるようになった(1988年,リブロポート刊,全3冊)。

平凡社 アニマ 1986年10月号 no.166 
[見出し]
江戸期最大級の博物図譜でありながら、顧みられることの少なかった『本草図説』の驚異的な力業をさぐる。
・無名の博物学者
・水産博覧会への出品
・春山の実像
・『本草図説』の驚異

「彩色江戸博物学集成」
<江戸の博物図館>(平凡社「アニマ」1985年5月号〜1987年3月号)をまとめたもの。
参照
*アマゾンコムにある?

ウエブ上古書店の在庫リスト例
BOOK BIG BOX
高木春山 本草図説 水産  江戸博物図鑑 二   荒俣宏監 \2800

玄 華 堂
12 江戸博物図鑑二 本草図説 水産 高木春山著 荒俣宏監修 リブロポート 1988 1冊 \1800.
13 江戸博物図鑑三 本草図説 動物 高木春山著 荒俣宏監修 リブロポート 1989 1冊 \1800.


Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.18 )
日時: 2003/05/01 20:59
名前: ちんじゅう

boople でも注文できるようです。
彩色江戸博物学集成icon

Amazon.com でなら買い物したいという人がいれば、Amazon のアソシエイトとかいうものも検討しますが。


 なお、漢籍+αのリスト作成も放り出したわけではなく地味にやってはおります。正式にまとめるのは山海経動物記の改訂がひととおり終わった頃になると思います。

Re: お手伝い募集:漢籍リスト作成 ( No.19 )
日時: 2003/05/08 16:13
名前: ちんじゅう

明治書院
 新釈漢文大系68『論衡 上icon
 新釈漢文大系69『論衡 中icon
 新釈漢文大系94『論衡 下icon

 しばらく前に東洋文庫の『論衡』も借りてきたのですが、抄訳版で役にたたなかったので、全文が載ってる本を借りてきました。漢文と漢文の書き下し、口語訳が収録されてます。ちなみに「新釈」は集英社の「全釈」シリーズとは別のものです。

 以下は『山海経』について書いてある部分の抜き書き。文章が砕けてるのは珍獣が適当にやりました。読んでたらこういうふうに聞こえたもので。

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別通 第三十八 より
 禹と益は一緒に洪水の処理をしたんだね。禹は治水のほうをやって、益は珍しいものの記録をやってたそうだ。海外や山頂まで、どんな遠いところにでも行って、旅の途中で見たり聞いたりしたことを元に『山海経』って本を書いたってわけだ。ま、この本ができあがったのは、益が情報のアンテナを広く持ってたからだってことだな。
 董仲舒が重常の鳥を見分けたのや、劉向が弐負の屍のことを知ってたのだって、みんな『山海経』を読んでたから。禹や益が遠くまで行かなかったら『山海経』なんて本もできなかったし、董仲舒と劉向がこの本を読んでなかったら、ふたつの謎は謎のまま残ったってことだろうね。

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 『論衡』の別通篇は、本当の知識人とはどういうものか、その見分け方を説いたものらしいです。学があるからって一経だけに通じているんじゃ知識が狭いし、孔子なんか病気の時でも本を読んでた。古いものも、新しいものも読んでいなきゃダメで、チャンスがあるなら遠くまで行って、なんでも見聞きしてこなきゃダメだ、というようなことを説明するのに『山海経』が出てきます。

 著者の王充という人は、さまざまな迷信に「そんなことあるわけないじゃん」と鋭いツッコミをいれたりしているのですが、この部分を読むかぎり『山海経』に対しては、かなり良い印象を持っていたみたい。司馬遷が『史書』を作るときに「山海経はデタラメなので参考にしなかった」というようなことを言ってるのと対照的です。
 『山海経』には奇想天外なことが書いてあるけれど、常に淡々と特徴だけを書き記していて、余計な解釈や説教臭いところが少しもないから、王充のような現実的な人にはかえって受け入れやすかったのでしょうか。

 もっとも、王充は自分が信奉している人の言うことには甘かったみたいで、董仲舒という人が「土龍を供えて雨を呼べる」と言ったことが、どのように理にかなっているか必死で説明してたりします。

 ちなみに、鬼門の由来が出てくるのは別通篇ではなく、乱龍篇という部分で、まさに「土で作った龍は雨雲を呼ぶことができるか」という話の中に出てきます。
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乱龍 第四十七 より
 大昔に神荼と欝塁っていう兄弟がいて、生まれつき鬼をつかまえるのが上手だった。ふたりは東海の度朔山の上に住んでいて、つかまえた鬼たちを、桃の木の下で調べた。鬼どもは、いいとか悪いとか、大した理由もなく人に悪さをするものだ。神荼と欝塁は、こういった鬼どもを葦の縄でしばりあげては虎の餌にしていた。
 そんなわけで、今日では桃の木でつくった人形を戸口に飾ったり、虎の絵を門の横木にさげたりする。人形はホンモノの神荼と欝塁じゃないし、絵に描いた虎だって本当に鬼を食い殺せるわけじゃない。ホンモノの形をまねることで、災いを防ごうとする気持ちの表れじゃないか。
 土の龍だってホンモノの龍と同じってわけにはいかないが、桃の木人形や絵に描いた虎を信じるのと同じことじゃないかね?

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 王充先生ったら、必死で説明してるわりに土の龍で雨を呼べる理由にはぜんぜんなってないですね。こんな弁護のしかたって、けっこう情けなくて余計なお世話っぽい気も…まあ、今は関係ないのでそれはこっちにおいといて。

 同じような話が別の部分にも出てくるようです。
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訂鬼 第六十五 より
 『山海経』に、北のほうに鬼国がある、と書いてある。(中略)国というからには人や化け物の群れなのだろう。『山海経』にはさらにこう書いてある。東海の中に度朔山があって、山の上には大きな桃の木がある。枝は三千里にもわたってくねくね絡み合って、東北の枝の隙間を鬼門といい、たくさんの鬼どもの出入り口になっている。山の上に神荼と欝塁というふたりの神がいて鬼どもを取り調べている。悪い鬼は葦の縄で縛り上げて虎の餌にしてしまう。そこで黄帝は、悪いものをおっぱらうために礼のきまりごとを作った。大きな桃の木の人形を立て、門や戸口に神荼・欝塁、虎の絵を描き、葦の縄をぶらさげて悪いものを防ごうというのだ。

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 訂鬼篇は、鬼についての世間の考え方はどういうふうに間違っていて、何が正しいかを説明しているようです。王充がいうには鬼には実体があって、だからこそ『山海経』にあるこの話のように虎の餌にできたのだと説明してます。
 王充は鬼の存在を否定してませんが、鬼には意志がなく人に災いがあるのは鬼が故意にやってることではない、というようなことも言ってるみたいです。

 ちなみに、現存する『山海経』には度朔山と鬼門の話はチラリとも出てきません。理由はよくわかりませんが、

仮説1 オリジナルに近いものには鬼門の話があったが、整理されてるうちに失われてしまった。
仮説2 もともとそんな部分はなく、王充が別の本で読んだものを山海経と勘違いしている。
仮説3 何かの理由で後の人が鬼門について書き加え、後の時代に誰かが削除した。

これらのどれかじゃないかと。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.20 )
日時: 2003/05/08 14:48
名前: ちんじゅう

 『論衡』からの抜き書きです。

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無形 第七より
 海外には三十五の国があって、そのなかには毛民国や羽民国があるが、羽とは翼のことだ。毛民や羽民はその土地の環境によって生まれたもので、道を体得したから毛や羽が生えたわけじゃない。禹と益は西王母と会見しているのに西王母に毛や羽がはえてるなんてことは言ってない。
 不死の人民は外国にもいるが、毛羽があるとはいわれてない。不死と毛羽はなんの関係もなく、仙人に翼があるからって、なぜ長寿だと言えるのかね?

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 無形篇では、人の姿や寿命はうまれつきで変わらないものとして、修行して仙人になったら永遠に生きられるというのは間違いだと説明してます。しばしば仙人には全身に毛があるとか、肘から先に羽が生えて空を飛ぶなどとされているけれど、普通の人間が修行をしたからといって、そうなれるわけじゃないと言ってます。

 そこまで否定してるくせに、王充は不老不死を否定してはいなくて「修行して羽が生えてくれば長生きできるなんてウソ。海外(『山海経』の海外南経・東経など)に羽民国と毛民国があるけど、彼らは修行してたわけじゃないし、西王母みたいな不老不死の女神ですら羽なんか持ってないでしょ」と、羽や毛にこだわってます。西王母に羽はないけど、山海経では虎の尾を持ってることになってるんだけど…まあ、西王母はもともとそういう姿をしてただけで、修行して虎の尾をはやしたわけじゃないでしょうけど。

 なお、羽民・毛民の話は『山海経』だけでなく『博物志』にも出てくるそうです。
 また、禹と益(どちらも人名)が西王母と会見したというのは、禹と益が『山海経』の著者だというのが当時の常識であることと、『山海経』の中に西王母についての記述があることから、著者が西王母に会見したと思われていたのでしょう。『荀子』大略篇には、禹が西王国で学んだと書いてあるそうで、そういう別の文献も参考にしたのかもしれません。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.21 )
日時: 2003/05/08 19:50
名前: ちんじゅう

『論衡』
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書虚 第十六より
 キは堯舜の時代の大夫で生まれつき音楽に詳しく、悲しげに歌うのがうまかった。当時の人がキのような人はひとりいれば充分だと言ったのが、キは一本足と言い伝えられたのだろう。
 秩宗という役目に欠員がでて舜帝が人材を求めたとき、みなが伯夷を押したが、彼は辞退してキと龍にその役目をゆずった。不具者は宗廟に入れない決まりだというのにキにその役がつとまるはずがない。

 (中略)孔甲の養子が薪割りのときに斧で足を切断した。孔甲は養子を出世させる財力があったが、足がないので門番にした。キが一本足だとすれば座って音楽を奏でることはできるだろうが、祭祀官が一本足ではよろしくない。孔甲が養子を出世させられなかったのと同じで、伯夷とて一本足のキに役目を譲れるわけがない。

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 書虚篇は、さまざまな書物にある突飛な表現について、文字通りの意味に解釈するのではなく、こう読めば筋が通ると説明しています。

 ここの出てくるキは『山海経』に牛のようで一本足とある怪獣のこと。黄帝はその皮で太鼓を作ったと言われています。

 時代が下ると怪獣ではなく人間だということになって、堯帝のもとで音楽を司ると言われました。そうなってくると一本足というのは不自然です。体の不自由な人はこの役目につけなかったのだそうです。そこで、さまざまな解釈が生まれました。王充が言っている「ひとりいれば充分だ」というのは孔子による説だそうです。

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龍虚 二十二より
 『山海経』に、四方の海外に龍蛇に乗る人がいる、と書いてある。世間では龍を書くのに頭を馬に、尾を蛇にする。つまり龍というのは馬や蛇のたぐいだということだ。

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 龍虚篇では龍とはどういうものかを説明しています。世間では龍が賢い動物であるかのように言っているけれど、その実体は馬や蛇のようなもので、龍がまとっている雲をとっぱらってしまえば大したものじゃないということのようです。



Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.22 )
日時: 2003/05/09 13:37
名前: ちんじゅう

『論衡』
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談天 第三十一より
 鄒衍は「世界には九州がある。これは禹が言っている九州のことではない。禹が言っているのは大九州の東南隅に位置している…(略)」と言っている。この説は奇怪で聞いた人は目を丸くするが、誰も確かめられないまま世間に広まっている。
 はっきりいって禹の知恵にくらべたら鄒衍なんて大したことはない。禹は洪水をおさめるとき益を補佐につけた。禹は治水をやって、益は物事の記録を担当した。四海以外の地を調査し、四方の山々の果てに境目をつけて、三十五個の国の土地、動物、植物、鉱物、地理など、全部書き記したが、九州があるなんてことは別に言っていない。
 (中略)…鄒衍は、旅行では禹に及ばず、聖人といえるほどの才能も知恵もないから天より知識を授けられたなんてこともないわけで、一体どこからこんなことを言う材料を得たのだろう。禹の『山海経』や『淮南子』の地形編を調べてから、鄒衍の著書を見ると、嘘っぱちであることがわかる。

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 談天篇では、世界のなりたちを説明する伝説について説明して、ここが間違っているというような批判をしています。鄒衍という人は戦国時代の思想家で、天や地の成り立ちを説明する本を書いたらしいのですが、禹と益が調べた世界観を否定しているので、これまた王充先生は気にいらなかったようです。
 王充に言わせると、禹や益は自分の足であるきまわって調べてきたし、そのほかの信頼できる地理書にしても、知恵者が何人も集まって資料を調べて書いているというのに、ひとりで突飛なこと書いたって信用できん、といことのようです。禹や益だって本当に世界中歩き回ったのかあやしいのですが、少なくとも王充は史実だと思っていたようです。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.23 )
日時: 2003/05/09 19:33
名前: ちんじゅう

『論衡』
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談日 第三十二より
 学者たちは太陽をひとつだと言っている。禹と息子の益が作った『山海経』には「太陽は十個ある。海外の当方に温泉があって、そのそばに扶桑の木があり、十の日は温泉で沐浴する。大きな木で九の日は下枝にいて、一の日だけが上枝にいる」と書いてある。『淮南子』には「十の日が輝いている。堯のころ、十の日が同時に出て万物が焼けて枯れたので、堯は空に向かって十の日を射た」とある。そのため、同じ日に太陽がたくさん出てこなくなった。
 世間では甲から癸までの十の名を日につけた。日の数が十あるのは、星が五個あるのと同じだ。学者たちはわからないとして何も説明しない。だから世間では適当に言うだけで意見がまとまらない。
 はっきりいって日が十個あるなんてことはないだろう。だが、これをどうやって証明するかが問題だ。

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 『山海経』びいき、というか禹と益に甘い王充先生ですが、さすがに日が十個あるという伝説には疑問をなげかけてます。先を読み進めると、太陽が十あるというのなら、それぞれ別の気を持っており違う光をはなつはず。だのに、毎日同じ気質のものが出てくるのはおかしい。地上に火がひとつしかないのに、天の火である日が十あるはずもない。やはり太陽は一個なのだ、というような説明をしています。

 では禹がデタラメを言ったのかというとそうでもなくて「太陽の光質と似たものをもった何かが湯谷の水中にあって、あたかも扶桑にまつわっているように見えたのを、禹や益が十の日と記録したのだろう」と言ってます。

 もう少し読み進めてみると…

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談日 第三十二より
 世界には似たような気を持っているのに違うものが沢山ある。海外の西南に珠樹がある。この樹の実は珠に似ているが、魚の腹にある珠とは違う。十個の日も珠樹と同じようなものだ。珠樹の実は珠に似ているが真珠とは違う。十の日は日に似ているが日ではないのだ。淮南王の安が『山海経』を読んで、いい加減に「堯のころに十の日が同時に出た」などと書いたのだろう。

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 だそうです、説明はかなり苦しいですが『山海経』が荒唐無稽なのではなく、解釈する人間の頭のほうがダメなのだと言っているようです。

 ついでに特記すべきことといえば「珠樹の実は魚の腹にある珠とは違う」という部分。珠というのは今で言う真珠のことだと思うのですが、どうも王充先生は真珠が魚の腹にできるものだと思っているようです。
 『山海経』にもジョヒ魚が珠を生むとあるので、真珠は貝ではなく魚から生まれてくるものだと信じられていた時代があるのかもしれません。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.24 )
日時: 2003/05/23 23:14
名前: 中根東竜  <touryuu@jcom.home.ne.jp>
参照: http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/

お久しぶりの中根です。少し情報を提供しますね。

1,『深沙大将菩薩儀軌要』は、
深沙大將儀軌と同じもののようです。
『深沙大將儀軌』の原文の最後を見ると、
「深沙大將菩薩儀軌要一首」って書いてあるんですよ。
お経の検索エンジン(http://jhoo.com/、要繁体中国語フォント)で、深沙大將儀軌とうって検索をかけると原文が出てきます。頭の病気にはこういう加持祈祷をしなさいというようなことが箇条書きで書かれています。

2,『漢書』の書籍目録の題名は、『芸文志』であって
文芸志ではありません。『漢書芸文志』に関しては
明徳出版社から全訳が出ています。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.25 )
日時: 2003/05/24 00:11
名前: ちんじゅう

 中根さんお久しぶりです。『山海経・列仙伝』への相互リンクありがとうございますなのです。もーちょっとで 100 票突破。ご協力をお願いいたすのです。

> 深沙大將儀軌

 うわ、まさか原文が拝めるとわ。中国は古典の電子テキスト化が進んでますねえ。

 でも、あれ〜。ナモカラタンノトラヤーヤーとかいう真言は書いてあるみたいだけど、深沙神がどういうものかなんてろくに書いてなさそうですねえ。なんでも『別尊雑記』(これもどこの誰が書いたものか不明なんですが)という本に『深沙大將儀軌要』からの引用で「央崛摩羅」という言葉が出てくるらしいのですよ。それと、白飯をもった椀を捧げる深沙神像は『…儀軌要』の記述にもとづくとかなんとか…見落としてるのかな。後でゆっくり読んでみます。

> 芸文志

 おお?!
 あれま、ほんとだまちがえてる。訂正しときます。

 ところで、漢書の全訳版、それっぽいのが三冊ほどヒットするのですがどれでしょう?
明徳出版社『漢書芸文志icon
明徳出版社『後漢書icon
明徳出版社『後漢紀icon


Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.26 )
日時: 2003/05/24 23:01
名前: 中根東竜

>中根さんお久しぶりです。『山海経・列仙伝』への相互リンクありがとうございますなのです。もーちょっとで 100 票突破。ご協力をお願いいたすのです。

ウチのトップページからリンクしました。早く100票行くと良いんですけどね・・
身内にも宣伝してみます。

>うわ、まさか原文が拝めるとわ。中国は古典の電子テキスト化が進んでますねえ。

これ、元ネタは日本の大正時代に編纂した大正新修大蔵経なんですよね。んーなんで日本でデータベースできなかったのかな。天台宗・禅宗とか各宗派ごとのデータベースなら早くからあるんですけどね。

>でも、あれ〜。ナモカラタンノトラヤーヤーとかいう真言は書いてあるみたいだけど、深沙神がどういうものかなんてろくに書いてなさそうですねえ。

儀軌と書いてあるわけですからどういう神様くらいなのか書いてあっても良さそうなんですけどね・・
別尊雑記も検索掛けたけどわからずじまいでした。

>ところで、漢書の全訳版、それっぽいのが三冊ほどヒ>ットするのですがどれでしょう?
>明徳出版社『漢書芸文志』
>明徳出版社『後漢書』
>明徳出版社『後漢紀』

これは『漢書芸文志』のみがビンゴで、他の二冊は全く別の後漢の歴史書です。これ、図書館とかでも結構置いてあるような気がするんですけど(少なくともウチの近所の図書館には置いてある)。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.27 )
日時: 2003/05/25 09:04
名前: ちんじゅう

 もともと「漢籍」に興味があるわけじゃないので、「そんなもんジョーシキでしょ」ってなほど有名なものでも興味の度合いが低ければ確認は後回しです。『漢書』はまだ食指が動かないので図書館で探してみようとさえ思ってませんでした。

 で、江戸川区の図書館はみょうなところにお金かけてて、ネットから蔵書検索なんて味なマネができるので、検索かけてみたんですけど、『漢書芸文志』は本当にないみたいです。

 もっとも筑摩文庫からも『漢書 全八巻icon』というのが出ていて、これなら区内のどこかにあるらしいので、そのうち内容を確認しようとは思ってます。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.28 )
日時: 2003/06/03 11:42
名前: ちんじゅう

 『深沙大将儀軌』がんばって読んでみました。内容は平たく言うと「観音自らが説くすべての願いを叶えるための方法」みたいですね。以下はものすごくいい加減な訳なので、お経を読むのが苦手な人は参考程度にどうぞ。

 その時、観自在菩薩は集まってきた人たちの中から立ち上がり、五体投地して仏の両足に礼拝して申し上げました。
「わたしには、すばらしい願いがかなう、真言と手印と、三人の使者を召還する法がございます。世尊がお許しになるなら、ここで解き明かしてみせましょう。ねがわくば、善男善女のためにお役立ていただきたい」

 そうして、観音はこれらの作法について説明しはじめます。
「まず真言は、ナモラトナ トラヤーヤ ナモアリヤバロキテー タシタ ギャキギャキギャヤー ギャユタリ カラカラマラマラシャラキダ ソワカ マダラダニ メイバテー ソワカ
 この真言を十五日間称えなければなりません。その間は乳を煮詰めたものだけを食べなければなりません。十万回となえると、観音のさまざまな荘厳な姿が見られます。また十五日目の夜には、光がふりそそぎ、念ずる者の頭の上に真珠や宝物が現れ、その作法が成功したことを告げるでしょう。」

 ※真言の意味は「三宝と聖観音に帰依する。即ち、虚空よ虚空…」で始まり、その後は「運載せよ」などのあまり意味のない言葉がつづき、吉祥成就[ソワカ]で終わるものです。なお、読みは適当に当てたので、七割あたってれば良い方だと(汗)

 それから観音は手で印を結び、願いを叶える法を説明します。
「ふたつの手を背中合わせに交差して、それぞれの手の、親指と人差し指をあわせて剣となし、これをもって虚空に向かわせ天蓋となしなさい。十方天上のあらゆるところに結界をめぐらせ、本尊に向かい、供養と礼拝をしなさい」

 観音はこの法を百八回おこなえば、すべての悪い者は消えると説明します。また、心の病には黄土を塗って加持し、頭の病気には土と火で、眼病には杏の油を塗って加持し…と、いくつかの病の直し方を説明しています。

 最後に観音は、費迦羅・大仙・水火雷自在という三人の使者を呼ぶ方法を説明します。その方法は、手のひらを上に向け、梵語で「出でよ費迦羅」、手のひらを大地につけ、梵語で「シッタヤソワカ!」、片手を地に、片手を天にむけ、梵語で「虚空よ虚空、幸あれかし」というようなことを称えるというようなものです。

 この方法で召還した三人の使者により、すべての悪いものが消滅し、この術に成功した者は仙人となり天にのぼり、天龍・薬叉・鬼神を思いのままに操る…

原文は
◎Jhoo! 深沙大將儀軌(繁体字中文)
http://www.buddhist-canon.com/budd-bin/jhoo//ei.cgi?r2=t21/1291_001&tp=02&ft=0&xh=0


 とまあ、こんな内容で、深沙神のシの字も出てきません。

 そもそも、なんで『深沙大将菩薩儀軌要』が、うちのサイトに関係しているかというと、『山海経』の失われた部分に出てくると言われている無支奇というサルの化け物に関係しています。中国全土の治水を成功させた禹王が、洪水を起こす無支奇を退治したという話です。

「禹王の伝説が、やがて三蔵法師の伝説のもととなって、無支奇は孫悟空になり、さらに日本の河童にもつながるんじゃないか」
「河童といえば沙悟浄だけど、沙悟浄ってもとは深沙神なんでしょ。深沙神ってどんな姿をしてるんだっけ?」
「なんでも『別尊雑記』というものに『深沙大将菩薩儀軌要』の引用があって、そこに深沙神とはどういうものか説明があるらしいわよ」

 …と、話せば長いつながりです。
 ところがこうして読んでみると深沙神のことは書かれていないようなので『別尊雑記』のほうを探してみたほうがよさそうですねえ。

 内容に深沙神が出てこないのにタイトルが『深沙大将…』になっているのは、観音が自ら語るという設定になっているところに秘密があるのでしょうか。

 観自在菩薩(観音)のことを、サンスクリットではアヴァローキテーシュヴァラというのですが、シヴァ(自在天)のこともイーシュヴァラと呼ばれていて、もとは同じものなんじゃないのって話はよく言われてることだし、色黒で裸で骸骨の首飾りをしてる深沙神の姿は、日本でよく知られている観音には似てないけど、シヴァ神にはそっくり。もしかすると三者が同じものだという前提があるのかもね。

Re: 漢籍リスト作成(長期戦で地味にやってます) ( No.29 )
日時: 2003/05/26 15:37
名前: ちんじゅう

『別尊雑記』

・平安後期の図像集
・宋代の中国から新しい図像として請来されたもの
・仏像や仏画を作るときに手本にするためのもの
・京都の仁和寺にある
・鹿原の金剛院には鎌倉時代の仏師運慶が作った深沙大将立像がある。この像は『別尊雑記』をもとにして作られた。

◎奈良国立博物館
http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/034.html

◎京都国立博物館
http://www.kyohaku.go.jp/gakuso/gakuso04/gsil4j.htm

◎舞鶴市役所
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/rekishi/furusato/furu8.htm