山海経動物記・ロク魚  ロク
ロク魚
 魚がいる、そのかたちは牛のようで陸に住み、蛇の尾をもっている。翼があり、その翼はわきの下にはえていて、まだら牛のような声で鳴く。その名はロク。冬にはかくれ、夏になると現れる。これを食べれば腫病にならない。(南山経一の巻 柢山)

絵・文とも『山海経』より
 


 
 説明通りに想像するといかにもインチキくさい。そのため山椒魚のイメージが怪物化したのだろうと言う人もいるけれど、それにしては特徴が違いすぎる。わたしはむしろ怪物っぽい部分にロクの正体を知る手がかりがあると思う。
 翼といっても鳥のものだとは限らない。虫にもコウモリにも生えている。また「翼」という文字は飛ぶための器官を意味するほかに、左右対称に広がっているもののことも表す文字なので、魚の胸ヒレなども翼というのだ。現に山海経には「魚の翼」という表現が何カ所か出てくる。
 さらに「わきの下」とは腕(胸ヒレ)の下という意味ではなく、鳥の翼が背に近いところについているのに対して、この生き物の翼(胸ヒレ)は腹側についているという意味だとすれば……?

 魚だが陸棲で牛のような体(つまり獣)というのだから、水棲の哺乳類だろうと思う。アザラシ・オットセイ・アシカといった鰭脚亜目の海獣類ならロクの特徴にぴったりくる。彼らは、泳ぎが上手で何時間も水中ですごすし、海岸で日光浴していることも多い。魚としての特徴を充分にそなえている上に陸で暮らすのだ。
 だとすれば冬にかくれて夏に現れるという性質も納得できる。彼らは冬眠こそしないけれど、初夏から夏にかけての繁殖シーズンにだけ海辺で群れをつくり、秋から冬にかけて群れを解散して回遊の旅に出てしまう。だから寒くなると姿をみかけなくなるわけだ。
 ここまで条件がそろえば、ロクを鰭脚亜目の動物だと認定してもよさそうだけれど、まだ一致しない特徴がある。アザラシにもオットセイにも「蛇の尾」のような長い尻尾はないのだ。
 しかし、『山海経』は少なくとも千七百年は前の文章だ。これくらいの勘違いはつきものだろうと、わたしは納得しかけた。

 だが、まてよ……?
 わたしは、オットセイについて書かれた中国の古い文章を読んで、不思議なことに気が付いた。
 たとえば、陳蔵器という人は、オットセイはチベットあたりに住んでいる陸の獣だと言い、「その形状は狐に似て大きく、尾長く……」と書いている。
 また別の人が書いた『臨海志』という本には「東海の水中に産する。その形状は鹿の形のようで、頭は狗に似て尾が長い」と、やはり尻尾の長い生き物だと書かれている。
 どちらの文章でも 尾が長い と明記しているのだ。これには理由があるのではないか?

 実は、オットセイやアザラシなど、鰭脚亜目の動物は昔からある部分を薬として利用されていた。それは万病に効くと言われ、特に精力回復剤として大変な効き目があると言われている。かの徳川家康もこれを愛用したと言われている。
 つまり、その部分というのは、彼らのおチンチンなのだ。ふつう、海狗腎という名前で知られている。海に住む狗(犬)のような生き物の腎(だいじなところ)という意味だろう。
 そもそもオットセイ(膃肭臍)という言葉も、「膃肭」だけが動物の種類を表す。臍はヘソ、つまり薬として使う部分のことを遠回しに表現したものだ。今ではすっかり動物の和名として定着してしまったが、もとは薬にする部分のことをさした言葉だった。
 日本語でも、男性器のことをへその下というのと同じだ。膃肭臍というのはもともと薬の材料である膃肭臍のおチンチンを指した言葉だった。乾燥した状態で 二十センチ近くあるオット君のヘソの下なら、ヘソよりも尻尾と言われたことがあったかもしれない。実際に薬として使われる部分がおチンチンなのはわかっていても、尻尾だと言われているうちに長い尻尾のある生き物というイメージができあがったのではないだろうか。
 参考までに書けば、ラテン語でもpenisという単語に「尻尾」と「男根」の意味があるそうだ。オチンチンを「尾」と表現することは、そう不自然な発想でもない。

 『山海経』ではロクの効能に精力回復作用をくわえていないが、『日華子本草』という中国の古い医学書には、オットセイやアザラシを食べれば腹にできるしこり(腫瘍の一種)が治ると書かれている。ロクもやはり「食べれば腫病が治る」のだ。
 ここまでくればもう間違いない。ロクは鰭脚亜目の動物のことだ。
 残念ながら、ロクが住むという柢山が中国のどのあたりにあるかわからないが、必ずしも海辺の地方でなくてもいいと思う。薬として使われる海狗腎は乾燥させたものだし、山間の地方で売り買いされていてもおかしくないはずだ。チベットの獣だと勘違いされている理由もそんなところだと思う。

ロク


 
 
 ところで、薬としての「膃肭臍」は、本当にオットセイだったのだろうか?
 人に鰭脚亜目の動物を何種類か見せて「どれがオットセイでしょう」とたずねて、正しく答えられる人はあまりいない。みんな同じ様な流線型の体に、ヒレのようになった手足がついている似たような体つきの生き物だ。古代の人が厳密に見分けていたとは思えない。
 せっかくだから、鰭脚と呼ばれる動物のについて、大ざっぱにまとめてみよう。
 まず、鰭脚亜目の動物はクマのような動物から進化したグループと、イタチのような動物から進化下グループに分けられる。

 
クマのような動物から進化
アシカ科とセイウチ科
 アシカ科が先に発生して、セイウチ科が分岐した。オットセイはアシカ科。耳たぶがあり胸ヒレが発達している。泳ぐときは胸ヒレを使う。
  アシカ科の多く中部太平洋に棲息するが、オットセイとトドは樺太など北のほうで繁殖する。中国人が目にしたとすれば、オットセイかトドだろう。
 セイウチも、シベリア・アラスカ・グリーンランドなど、北の海に棲息している。しかし目立って長い牙があるのでアシカやアザラシと混同されることは少ない。
イタチのような動物から進化
アザラシ科
 アザラシ科の特徴は、耳に耳たぶのないことと、胸ヒレが小さく主に尾ヒレを使って泳ぐこと。 生息範囲は、南極周辺の海、ハワイ・カリブ海・地中海など暖かい地方の海、北大西洋・北太平洋・北極海など北半球の海、一部の塩水湖と淡水湖……と広い。
 中国人が目にした可能性があるのは、漫画『少年アシベ』で有名になったゴマフアザラシなど、北半球に分布する仲間だろう。この仲間は海だけでなく、バイカル湖やカスピ海など、海から切り離された湖に住んでいる種類もいる。 
オットセイ アザラシ
オットセイ(アシカ科)
 オットセイというと、水族館で芸をしているイメージがあるが、芸をするのはカリフォルニアアシカなどが大部分だ。
ゴマフアザラシ(アザラシ科)
 日本近海では一番多く見られるアザラシ。子供の頃は純白の毛に覆われており、毛皮を目当てに乱獲された。

 
 このとおり、アシカ科・セイウチ科・アザラシ科の生き物は世界に広く分布しているので、どれも中国人の目にふれた可能性が高いが、特に中国近海で見られるのはアザラシだという。薬の材料にされたのも、主にアザラシが多かった。
 しかし、アザラシの胸ヒレは翼と言われるほど発達してはいないし、ロクはどちらかというとアシカの仲間のように思える。中国近海にいなくとも交易で手に入れることはできるので、結局はアシカもアザラシも、中国人の目に触れただろう。
 北海道のアイヌ人は丸木をくりぬいて作った小さな船で大陸に渡り、古くから交易していた。商品にされたのは主に山や海でとった獣で、もちろんオットセイも含まれていただろう。
 ちなみに、オットセイのオットは、アイヌ語の「オンネ」が中国語訛したものだという。これは「年寄りな」というのがもとの意味らしい。そういわれてみれば、鰭脚たちは立派なヒゲを持っているものが多く、海に住んでいる老人という風情かもしれない。
 萱野茂の『アイヌ語辞典』によれば、特にオットセイのことを言うばあいは「ウネウ」というそうだ(ただし、動植物の名前は地方によって差があり、何種類も呼び名がある場合もある)。

 
アザラシ・オットセイの関連項目
三本足亀
ホウ魚

参考画像
しながわ水族館で写してきた
ゴマフアザラシの尻尾


 
☆参考

 中国の古い本に書かれたオットセイについての記述。出典も書きたかったが著者も書名もJIS規格に入っていない文字が多くて大変なので省略した。保育社の「原色和漢薬図鑑」の海狗腎の項目を読むと全部出てくるはずなので興味がある方は参照してください。

「オットセイというのは新羅国の海中の狗の外腎であって、それを臍が著いているままで取る」

「西番、突厥に生じ、胡人は阿慈勃他爾と呼ぶ。その形状は狐に似て大きく、尾長く、臍は麝香に似て、黄赤色で爛骨のよう」

「東海の水中に産する。その形状は鹿の形のようで、頭は狗に似て尾が長い。遇うたびに水面に出て浮いている。崑崙家(マレーシア人の奴隷)が弓矢でそれを射て外腎を取り、百日間陰乾するのであって、味の美味なものだ」

 狗(いぬ)や狐というのはオットセイの印象だろう。オットセイは鼻先がとがっていて耳たぶがある。
 ちなみに、マレーシアではどうだかわからないが、アイヌはトドなどの海獣類を獲物にし、毛皮を利用するばかりでなく肉も食べた。脂肪はラードのようにして保存し、野菜などを煮るときに調味料として使ったという。その味はあまく、たいへん美味しかったと聞く。食べてみたい……
「今は東海の近海にもいる。旧説では狐に似て尾が長いというが、現に滄州(旧直隷省滄県)から提出した図によると、これは魚類であって、首はイノコのようで両足があり、その臍は紅紫色で上に紫の斑点があり、まったく類似しておらぬ。医家は多くこれを用いている」
首がイノコ(豚)というあたりは毛深いオットセイのようだが、ヒレではなく両足があるというあたりはアザラシの前足を思わせる。
「その形状は狗でもなく、獣でもなく、また魚でもない。ただ前脚は獣に似ているが尾は魚で、身には短くして密な淡青白の毛があり、毛上に深青黒の点があって、久しく経つとそれも淡くなる。腹脇下はまったく白色で、皮は厚くて牛皮のように靭い。辺境の軍将は多く取って鞍などを飾る。その臍は腹臍の積冷精衰、脾、胃の労極を治するに有効なもので、別段試験するまでもないものである」
まさしくアザラシのイメージだ。しかも毛色からしてゴマフアザラシのことではないか?
「膃肭臍には多くの偽物があり、睡った犬の頭上におくと、その犬が忽ち驚き跳ねて、狂気のようになるのが真物である」
 これはかなりあやしい説だが、頭の上に置くというのが少し面白い。
 猫などは真上が死角になっているので、好物の餌を頭上につるしておいてもなかなか気づかない。犬もやはり頭上は死角だが、犬の場合は鋭い嗅覚のおかげで、頭上の餌にもすぐに気づくそうだ。
 しかし、頭の上に直接置いてしまったら、犬でも猫でも飛び起きそうなものだ。(珍獣が飼っている猫は身も心もふてぶてしいお方なので熟睡していると起きないかもしれない!)

 
 
 
オットセイについての百科事典(製薬株式会社さんのページ)
 オットセイから作った薬を専門に扱っている会社でつくった百科辞典なので内容は濃いです。国内外のオットセイサイトへのリンクもあります。
 オットセイって今でも薬として使われてるんですね。現在は性器を薬にするのではなく、オットセイの筋肉から抽出したカロペプタノイドというタンパク質を使うそうです。
 このリンクは百科事典への直通ですが、トップから読んでも楽しいと思います。

 

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