ホトトギスの兄弟
 
 
 あるところに貧しい兄弟がありました。兄は目がわるく、いつも家にとじこもって暮らしていました。そんな兄のために、弟はおいしい山芋をほってきて食べさせていましたが、自分は芋のしっぽばかり食べていました。

 目の見えない兄は心がすっかりひねくれてしまって、弟がかくれておいしいものを食べていると思いこみ、ある日、弟を殺して包丁(ほうちょう)で腹をさいてみました。

 すると、とつぜん兄の目がひらいて、ものが見えるようになりました。弟の腹にあったのは粗末なものばかり。自分の心がひねくれていたことに気づいた兄は「すまない、すまない」とつぶやいているうちに、魂がぬけて鳥になってとんでいきました。

 この鳥は今でいうホトトギスのことです。ホトトギスが「おととこいし(弟恋しい)」と鳴くのはそのためです。
 

◆こぼれ話◆
 弟の死に際して兄の目が突然見えるようになるというのはご都合主義がすぎるような気もするが、本当に見えなかったのではなく、心がねじれて正しいことが見えなくなっていたと取ればいいのかもしれない。

 ホトトギスの声は「テッペンカケタカ」と聞きなすのが割と一般的だが、ここでは「オトトコイシ」と聞いて物語と結びつけている。鳴き声が先なのか、話が先なのかはよくわからない。ホトトギスの聞きなしは各地で違いがあり、

ホットンブッツァケタ(腹ぶっ裂けた)
ホンゾンカケタカ(本尊かけたか?)オトウトタベタカ(弟食べたか)
イモホッテイモホッテツッツクワッショ(芋掘って芋掘ってつっつくわっしょ)

など、さまざまだ。ホトトギスの鳴き声を「イモホッテ…」と聞くのはかなりの想像力を要するので、先に物語があり、その後に作られた鳴き声なのかもしれない。

 米沢(山形)の昔話では、ホトトギスになった兄は弟を殺した罪で一日に八千八声、喉から血が出るまで叫ばなくてはならないという。また、子供を産んでも自分で育てることを許されず、別の鳥に里子に出さなければならなくなった。ホトトギスは託卵といって、他の鳥の巣に卵を産み付けて自分では育てない鳥である。

 栃木の昔話では、五月五日に山芋を食べないとホトトギスになってしまうと説明する。山芋は蔓の出ている上のほうがえぐくてまずい。太郎と次郎という兄弟がいて太郎は山芋の上のほうを食べて、次郎においしい下のほうばかり食べさせていた。しかし次郎は、兄がひとりで美味しいところを食べていると思い込んで兄を殺してしまう。ひとりになった次郎が自分で山芋を料理して食べてみると、兄が食べていた上のほうが不味く、いつも食べている下のほうが美味しかった。次郎はとんでもないことをしたと思い、さ迷い歩いているうちにホトトギスになってしまった。今でも五月五日に山芋を食べないとホトトギスになってしまうと言われている。
 

妄言多謝・姉さんはホトトギス、弟はモズ?

五月五日と山芋の話は「長芋と鬼」
 

 
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