カイコについて
珍獣の館TOP>珍獣様の博物誌>珍食目次>この記事のオリジナル
和名 | カイコ(蚕) |
別名 | コ(蚕)←古語 サンジ(蚕児) どちらも幼虫をさす。 クワコ、クワゴ(桑蚕・桑子どちらとも書く) 野生のカイコで、飼育種の原種にあたるもの。 ---- テンサン(天蚕) ヤママユガ科に属する虫のこと。生物学的にはカイコとは別科でまったく違うものだが、利用法が似ているので言葉の上ではこれもカイコの仲間といえる。 |
学名 | Bombyx mori(カイコ) |
科名 | カイコガ科 |
中国名 | 家蠶、家蚕(飼育種) 桑蠶、桑蚕(野生種) |
英名 | silkworm(絹を作る芋虫) |
エスペラント | silkraŭpo(絹を作る芋虫、英名に由来) bombikso(学名に由来) |
その他 | Seidenraupe(独) Baco da seta(伊) Bicho-da-seda(葡) Gusano de seda(西) |
原産 | 中国 |
お蚕さん(おかいこさん)
カイコガの幼虫のこと。養蚕の盛んな地域では、カイコのことをお蚕さんと呼んで大事にする。
蚕神(かいこがみ)
養蚕の守護神。オシラサマ、蚕影明神(こかげみょうじん)、蚕霊・蚕玉(こだま)など。
蚕蛾(さんが)
カイコガのこと。夏の季語。
蚕卵紙(さんらんし)または 蚕紙(さんし)
カイコガに卵を産ませるための紙。春の季語。
蚕豆(さんとう)
ソラマメのこと。中国ではソラマメのことを蚕豆という。
蚕食する(さんしょくする)
おカイコさんが餌を食べるように、端っこから中心部へじわじわと領土を侵略すること。
御蚕ぐるみ(おかいこぐるみ)
高価な絹の着物ばかり着せること。そのくらい贅沢に暮らすということ。御蚕ぐるみで育てる、などと使う。
桑子 桑蚕(くわこ または くわご)
カイコガ科。学名:Bombyx mandarina
カイコの原種と言われる虫。幼虫はカイコより小さく、鳥の糞のような色をしている。繭もカイコのものより小さく薄い黄色で巻きが粗い。
日本のクワゴカイコと染色体の数が違い、近い仲間ではあるものの別種とされてきた。ところが中国のクワゴにはカイコと染色体の数が同じものがあり、分類が微妙になっているらしい。
カイコノウジバエ(蚕の蛆蠅)
学名 : Crossocosmia zebina
カイコガやシンジュサンなどの幼虫に寄生するハエ。
クワ(桑)などの葉に卵をうみつけ、カイコが幼虫が葉と一緒に卵をたべると、その体内で蛆(うじ)になる。蛆は幼虫を内側から食い荒らし、カイコが蛹になると繭をやぶって出てくる。
天蚕糸(てぐす、てんぐす)
カイコガ科のカイコや、ヤママユガ科のヤママユガなどの絹糸腺からとった透明で強力な糸のこと。現在では合成繊維などで作った代用品のこともテグスという。釣り糸、ビーズ手芸などに使う。
天蚕蛾(てぐすが)
ヤママユガ科の蛾の総称。ヤママユガ、シンジュサン、クスサンなどの種類がある。カイコやクワゴ(どちらもカイコガ科)と違い、クス、フウ、クリなどさまざまな樹木の葉を食べる。天蚕蛾類の幼虫が作った繭からも絹糸が取れる。また、幼虫の体内にある絹糸腺からテグスがとれる。
天蚕(てんさん)
ヤママユガ科の蛾のこと。またその幼虫のこと。山蚕(やまこ)、山繭(やままゆ)とも。
『グスコーブドリの伝記』
宮沢賢治原作の童話。苦学して学者になったグスコー・ブドリは火山局で働くようになるが、冷害による不作で苦しむ人々のために身を犠牲にして火山を噴火させる。
ブドリは小さい頃に家族と別れテグス工場で働いていたが、ここでは栗の木に網をかけて天然の蚕を飼育してテグスをとっていた。カイコガ科のカイコ(Bombyx mori)やクワゴ(Bombyx mandarina)は桑の葉を食べるが、工場で飼っていた虫は栗の木の葉を食べているようなのでヤママユガ科のヤママユガなどだと思われる。あるいは、この当時、中国から導入された柞蚕(サクサン、これもヤママユガ科)である可能性もある。また、製造していたのも絹糸腺から作る太いテグスではなく、繭を煮て細い絹糸を取るやりかたのようだ。
馬頭娘(ばとうじょう) 中国
むかし、ある男が戦争に行ったきり帰ってきませんでした。その妻が「夫を連れ帰ってくれる者には、わたしたちの娘を嫁として与える」と宣言すると、家で飼っていた馬が突然どこかへ駆けてゆき、男を乗せてもどってきました。
ことの次第を妻から聞いた男は、馬が娘をほしがるのを見て激怒し、馬を殺して皮をはいでしまいました。するとその皮が娘におおいかぶさって、娘をどこかに連れ去ってしまいました。
しばらく後に桑の木にひっかかった馬の皮が発見されましたが、娘の姿はなく、桑の木に白い芋虫がついており、桑の葉を食べて糸を吐くようになりました。これが養蚕の始まりで、人々はこの娘を養蚕の神として祀られるようになったということです。(『原化伝拾遺』より)
おしらさま 日本(東北など)
馬頭娘にいくらか似た話で、ある長者の家で、娘とねんごろになった馬を殺し、その皮を桑の木につるしておいたところ、皮が娘をつつんで飛んで行き、桑の木に馬の頭をもった芋虫(カイコ)がつくようになった、という養蚕の起源を説明する昔話。
衣笠姫 日本(群馬県)
継母にいじめられ、幾度ともなく半殺しの目にあうかわいそうなお姫さまの話。とうとう死んでしまい、その墓に桑の葉を食べる黒い芋虫(カイコ)が現れる。養蚕の起源を説明するとともに、カイコが脱皮のたびに死んだように動かなくなる(眠:みん)ことを、衣笠姫の受難の種類と回数になぞらえて説明する話。
まんのう長者の娘 日本
むかしむかし、まんのう長者という人に美しい娘がいました。たったひとりきりの娘だったので、それは大事に育てられました。
さて、まんのう長者の姫君、十六歳のころに、父親が大事にしている名馬を見て恋心を抱きましたが、相手が畜生では添い遂げることもかなわず、思いを告げる歌を詠みました。
畜生とはいえ名馬と言われる馬、姫君の思いにこたえ、これまた恋に落ちました。まるで重い病にかかったように、馬屋番の者たちが飼い葉をあたえても食べず、日に日に弱っていきます。
まんのう長者が祈祷師を呼んで占わせたところ、この畜生は姫君に恋をしておりますとの返事。このことに激怒した長者は馬屋へとんでゆき、たったひとりきりの娘を馬畜生になどやれるかと言いますと、馬は三度いなないて、舌を噛みました。馬の世話をしていた者たちは馬を河原へつれてゆき、四本の桑の枝に晒しておきました。
それを聞いた姫君は、馬の後を追って河原へゆきますが、桑の木に晒された馬の死体を見て悲しみ、六万べんのお経をとなえておりますと、死んだはずの馬が舞い降りて、姫君をつれて天竺へと飛びさりました。
まんのう長者は八方手を尽くして姫君の行方を探しますがみつかりませんでした。巫女を呼んでお伺いをたてると「三月十六日に白い虫と黒い虫が下るであろう。白い虫は姫君の、黒い虫は名馬の化身である。これを桑の葉で飼うように」とのこと。
この白と黒の虫が今でいう蚕のことで、以来、養蚕がはじまったということです。
※カイコと馬の関係
カイコの幼虫は頭が小さくて、頭に続く胴体の一部がおでこのように出っ張っている。脱皮が近づくと、上半身をおこして「おでこ」の部分を高くかかげ、じっと動かず眠ったようになる。これを眠(みん)といって、この時の姿が馬の頭に似ているのでカイコにまつわる伝説には馬と関係しているものが多い。
上記のほかにも養蚕のはじまりを説明する昔話は無数に存在している。関連記事>今昔かたりぐさ・養蚕のはじまり