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天文尺時計って何に使うものなの?

 葛飾区の郷土と天文の博物館に「天文尺時計」というものが展示されています。場所は時々入れ替わるかもしれないけど、今は2Fのフーコーの振り子の近くにあります。

そもそも尺時計ってどういうもの?

天文尺時計
▲図1:尺時計

 尺時計というのはこういうものです。写真は撮影していいですよって言ってもらえたんですけど、わたし馬鹿なので展示全体がわかるような写真を撮るの忘れました。しょうがないのでイラストにしましたが、こんな感じの物体です。

 時計に見えないかもしれませんが、これが立派な時計です。博物館にはなんの説明もないんですが、江戸時代に使われたもののようです。

 アナログ時計は文字盤が円形で針が回転する仕組みのものが普通ですよね。

 尺時計というのは、細長い帯状の、というか、ものさしみたいな形の板が文字盤になっていて、錘(おもり)がどこまで降りてきたかで時刻を知らせるタイプの時計です。

 文字盤がものさしに似ているから尺時計といいます。

 尺(しゃく)というのは昔の長さの単位で、同時に長さをはかる道具のことも尺と呼ぶことがあります。たとえば現在の 1メートルのものさしのことを、メーター尺なんて言う人もいます。

不定時法ってなんだろう?

 ところで、もう一度、図1(一番上のイラスト)を見てください。

 時計の下に「交換用の文字盤」が置いてあるのがわかるでしょうか。実際に見に行ってもこんな感じで展示してあります。

 なぜ文字盤を交換する必要があるのでしょうか?

 実は、江戸時代は時間の長さが季節によって違っていました。現在の時間は、1日を24分割したのを 1時間と決めているので、一年中ずーっと、1時間は1時間ですよね。

 ところが、江戸時代までは、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜として、それぞれを 6分割したのを一時(いっとき)と呼んでいました。

 この決まりでいくと、昼の長い夏は、昼の一時が長く、夜の一時は短かったんです。冬はその逆になります。

 季節によって長さの変わる時間を計らなければならないので、尺時計は文字盤のほうを季節ごとに交換して使ったというわけです。

 ここまではいいですか?
 大ざっぱでいいので納得できたら次へどうぞ。次が本題です。

じゃあ天文って何?

 本題はここからです。葛飾区の郷土と天文の博物館に展示されているのは、ただの尺時計ではなくて「天文尺時計」です。読みは「てんもん・しゃくどけい」ですかね。
天文尺時計の文字盤
▲図2:天文尺時計の文字盤
 この写真は交換用の文字盤の一部です。このような文字盤が 6本展示されています。

 この写真だとみづらいと思うのですが、赤い丸と黒い丸が上から下へ並んでいます。この丸の中には漢数字が書いてあり、ここが時刻をあらわします。上から「赤九・赤八・赤七・黒六・黒五・黒四・黒九・黒八・黒七・赤六・赤五・赤四」と書いてあります。赤丸が昼で、黒丸が夜です。

 なんで数字がバラバラなのかっていうと、これも昔の時刻の決まりで、昼の真ん中と、夜の真ん中が「九つ(ここのつ)」で、だんだん数が減って四つ(よつ)まで来ると次は九つになります。

 なんでも、陰陽五行説の考え方で、九がもっとも重要な数字なので、夜と昼の中心に据えたとか、そんな理由だったと思います。

 そして、時刻の左横に、白い文字で何か書いてあるのがわかりますか?

 これは二十八宿といって、古代中国から伝わる星座(あるいはその星座の中にある星)の名前が書いてあるんです。

 もうちょっと正確に言うと、星座の中でも、月が通る場所にある星座が書いてあります。写真ではうまく写らなかったので、図にしてみます。
ファイル 1846-1.jpg
▲図3(クリックで少し大きな画像)
ファイル 1846-2.jpg
▲図4:夜の部分だけ拡大して書いてみた(クリックで少し大きな画像)。あくまでどんな文字が書いてあるか説明するものであって、位置はかなり大ざっぱな状態です。

 わかりづらいと思うのですが、時計本体の左側に4本、右側に2本の文字盤が展示されていて、それぞれに別のことが書いてあります(図3がその概要)。時刻の間隔が違うのは、先に説明したとおり、季節ごとの昼夜の長さの違いによるものです。

 注目したいのは夜の部分です(図4)。すでに説明したとおり、時刻の左側に白い文字で書いてあるのは古代中国の星座の名前ですが、この星座が、この時刻に、どうなるって言ってるんでしょうか。

想像1:その時刻に東の空から昇ってくる星座が書いてある
想像2:その時刻に南中する(真南に位置する)星座が書いてある
想像3:実際の天体の動きではなく、そうあるはずという古代の暦をそのまんま書いてある
想像4:その他、想像できないような理由で何かが書いてある?!

 さあどれだ?!

とりあえず博物館の人に聞いてみた

 えー、しかし、聞くと言ってもどう聞いていいのかよくわかんなくって、
「あのー、天文尺時計ってありますよね。あれって何か特別なものをはかるための時計なんですか?」
とか聞いてみたわけです。

 この聞き方をした理由のひとつに、その瞬間は尺時計という言葉を知らず「天文尺・時計」だと思ってたからなんですけどね。

 もし尺時計というものがあって、そこに天文関係の機能が追加されてるとわかっていたら、もっと別の聞き方をしたかもしれないんですが、天文尺(てんもんじゃく)だと思っていたので、そういう何か特別な時間を計るためのものなのかと思ったんです。

 ええ、馬鹿です。馬鹿なんですよ。でもね、馬鹿なりにいい馬鹿になろうと思うんです。たいてい世の中の人って、自分がなぜ勘違いしてるか、どうしてそれがわかんなかったのか、絶対に他人には説明しないですよね。でも、わからない理由、勘違いしてる理由って、実は大事なんじゃないの? それがわからないと、わかりやすい文章を書いたり、わかりやすい展示を作ったり、使いやすいプログラムを書いたり、面白いゲームの企画を考えたり、そういうこと、一切合切できないと思うんですよ。

 あ、話が横にそれました。もとに戻します。郷土と天文の博物館は、2Fが考古学、歴史学、民俗学系の郷土資料が展示されてて、3Fが天文関係の展示とプラネタリウムになってます。尺時計はどっちかっていうと2F関係の展示かなあと思ったんですが、

「天文尺時計は、何か特別なものをはかる時計ですか?」

って聞いたら、受け付けのお姉さま方が天文関係の専門の方を呼んでくださいまして、一瞬(あ、え、どうしよう)とドギマギ。

 しかし、この博物館の天文関係の方は偉い上にかなりの超能力をお持ちでした。こちらが妙な聞き方しているのに、不定時法のことやら文字盤を交換することやら、サクサクっとお答えくださいました(どうもありがとうございます!)。

 問題の、時刻の横に書いてある星座については、その時刻に見えるものが書いてあって、おそらく星座早見盤的なものではないか、ということでした。

 すると、わたしの想像1か2ってことですよね。

 自分でも調べてみたいので、その場は深く突っ込まずに帰ることにしました。

二十八宿(星座)と時刻の関係について追求してみる

 まず、二十八宿が、西洋の星座でいうと何にあたるのか、まずそこから調べないといけないんですが、これは今だと検索するとネット上にいろんな人が書いているし、ウィキペディアにもそういう項目があるので読めばだいたいわかります。

◎Wikipedia:二十八宿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AE%BF
 たとえば角宿はおとめ座の一部で、距星はスピカ(α星)だとか書いてあります。こういう研究は昔からされているので、ここでは疑わずにまるっと信じておきます*1

 次は江戸時代の空に、その星がどう昇ってくるかを調べなきゃいけないんですが、これはステラナビゲータという天体シミュレーションソフトが使えそうです。


天文シミュレーションソフト「ステラナビゲータ10」と公式ガイドブックのセットステラナビゲー...
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◎アストロアーツ:体験版ダウンロード
http://www.astroarts.co.jp/products/stlnav10/product/trial/index-j.shtml
▲こっちは無料でダウンロードできる体験版です。30日だけ無料で仕えます。ちなみにWindows用です。MacOSでは動きません。


 ステラナビゲータって、確か MS-DOS版がありましたよね。その時代のはおともだちが持ってたので見せてもらったことがあります。何千年前とかの星空も再現できちゃってすごかったはず。江戸時代なんかへのかっぱですよ(たぶん)。

 でもわたしはMacユーザーなので、とりあえず体験版でいいでしょうか。Windows8も7も持ってるんですけど、エミュレーター上で動いてるのでいろいろ怪しくて(泣)こんな珍獣様に最新のWindows機をゲームができるようにすごいグラフィックカードつき(ここ重要)でプレゼントして颯爽と去っていく後腐れのない素敵なサンタクロースさん激しく募集中です。

それが何年何月、どこで見る星なのか、それが問題だ!

 ステラナビゲータで星空をシミュレートするには、見る場所、年月日、時刻を設定する必要があります。

 場所は、日本の国内でも、北海道と沖縄じゃ日没の時刻がまるで違うわけですから、重要には違いないんです。ただ、時計自体が今ほど正確には動いてないと思うので、場所の設定はあまり気にする必要はないかもしれないです。とりあえず東京(江戸)あたりに設定しました。

 次に年月日です。展示されてる天文尺時計がいつごろ使われたものなのかわからないので、たぶん幕末だろうとあたりをつけて、1850年に設定しました。

 そんでもって一番重要なのが月日ですよね。これは文字盤をよく見ると書いてありました。

ファイル 1846-3.jpg
▲図5:時計の左に展示されてる4枚の文字盤の下の部分。
ファイル 1846-4.jpg
▲図6:時計の右に展示されてる2枚の文字盤の下の部分。


 「四・七」「十二・十一」「五・六」「正・九」「三・八」「二・八」の6枚があり、この漢数字が旧暦の何月かを表しているようです。

 たとえば四・七月は、現在の暦だと一ヶ月くらい後ろにずれて 5月と8月にあたることが多いので、季節としては夏のはじめと終わりですよね。そのつもりで文字盤を見ると赤い○の昼間の間隔が広く、黒い○の夜の間隔が狭くなっています。

 その次の「十二・十一」は真冬でしょうから、赤い○の昼間が狭く、黒い○の夜が広くなってます。どうやらこの読みで間違いなさそうです。

 よくわかんないのは、「二・八」と「三・八」があることです。なんで八だけ二つあるんだろ。そういえば十がないのも謎ではあります。

 謎として残る部分はあとでまとめるとして、今は「四・七」の文字盤と実際の星空の関係を調べたいので、まずは1850年(嘉永三年)の旧四月一日が、西暦では何月何日にあたるか調べました。(あとで旧七月一日についても見る必要がありますが、とりあえず四月に注目です)。

◎CASIO:和暦から西暦変換(年月日)
http://keisan.casio.jp/exec/system/1239884730
 これは、計算機のCASIOのサイトでみつけました。和暦を西暦変換してくれるページなんです。さすが計算機メーカー、ものすごいサイト作ってますね!

 上記サイトによると、嘉永三年四月一日は、西暦1950年5月12日にあたるようです。

 さっそくステラナビゲータにその日を設定してみると、その日は新月なので、どうやら合ってるようです。旧暦は一日が必ず新月になるはずですから。

 それから時刻。西暦1950年5月12日江戸の日没は、18:37 ごろなんですが、暮れ六つは星が見え始める頃の時刻だそうですから 19:00 としてみました。

 日の出は 4:37 ごろですが、朝の始まりである明け六つは、星が見えなくなる頃だそうですから、4:00 としてみました。

 いちおう、CASIOの不定時法計算のページで立夏(5月初旬)の時刻を見ると、だいたいそんな感じで正解のようです。

◎CASIO:江戸時代の時刻換算(不定時法)
http://keisan.casio.jp/exec/system/1216973738

 19:00〜4:00 まで、9時間(540分)を 6分割すると、一時(いっとき)=90分になります。これをあてはめて「四・七」の文字盤を現在の時刻に換算すると以下のようになります。
四・七の文字盤を定時法に換算(四月バージョン)
▲図7:四・七の文字盤を四月の時刻として定時法に換算、星座の位置もやや正確に書き直してみました。

 これをもとにステラナビゲータで1850年5月12日(嘉永三年四月一日)の夜空をシミュレートすると…

嘉永三年四月一日暮れ六つ半の星空
▲嘉永三年四月一日暮れ六つ半の星空。子午線は南北を真っすぐ結んだ線で、白道は月の通り道です。二十八宿と呼ばれる昔の星座は、月の通り道にある星座です。

 お、なんかいい感じじゃないですか? 翼宿(コップ座にあたる)が子午線にかかってますよ? 図6で、二列に書いてある星座名の、左側の列が翼宿から始まってますよね。

 どうやらこの天文尺時計は、その星座が(たぶん星座を代表する星=距星が)南中する(真南に位置する)時刻を表してるんだと思います。翼宿は六つ半より少し前に書いてあるから、六つ半の夜空だと子午線を通り過ぎた感じになるわけです。

嘉永三年四月一日四つ時の星空
▲嘉永三年四月一日四つ時の星空

 四つ時を見ると、おとめ座のα星スピカを含む角宿がすでに子午線を通り越し、同じくおとめ座の一部にあたる亢宿がもうすぐ南中しそうです。図7を見てください。まさに角宿は四つ時より少し前に書いてあります。

嘉永三年四月一日八つ時の星空
▲嘉永三年四月一日八つ時の星空:さそり座の尾にあたる尾宿がほぼ南中している(距星は縦に三つならんだ星の真ん中)。このへんで西暦ならば日付がかわるが、江戸時代の一日は夜明けからなのでまだ同日とする。

嘉永三年四月一日八つ時の星空
▲嘉永三年四月一日七つ時の星空:いて座の一部である箕宿がほぼ南中している。

 というわけで、かなり正確に星座の南中時刻を表していることがわかりました。

 星座名は二列に書いてありますが、右の列は旧七月の夜空になります。四月の場合と同じように確認することができました。

 他の文字盤についてもざっと見ましたが、「十二・十一」「五・六」「三・八」あたりは、かなり正確に星座の南中時をあらわしていました。

 「正・九」「二・八」が、なんとなく怪しい、全然違うってほどでもないけど、ちょっとずれてる。

ここまで書いたところで謎だった点も解決しそう?

 それでふと思ったのですが、わりと正確だった「十二・十一」「五・六」「三・八」と、そうでもない感じの「正・九」「二・八」は、文字盤を見ると共通点がありまして、もう一度図5と図6を見るとですね、漢数字の下に何か書いてありますよね。

 ちょっとあやしかった「正・九」「二・八」の下には「中」って書いてあって、正確だった他の四枚には、くずしてあって読めない文字が書いてある。ここに秘密があるんじゃないかと思うんです。

 わたしは、各旧暦月の一日(朔日)の夜空をシミュレートしてみたんですが、ひょっとすると、「正・九」「二・八」は朔日ではなくて、書いてあるとおりその月の中旬くらいの星空をあらわしてるんじゃないかと。

 そう思って15日くらい日付をづらしてみると、ちょうどいい感じに文字盤の通りに星が南中するので、どうやら正解のようです。

 すると、ずいぶん前に書いた「十がない」問題は、九月中と十一月の間に吸収されてると考えていいのかもしれません。なぜそこに吸収して十月を作らなかったのか、このへんはなんか理屈がありそうなんですが、わたしには良くわからないです。日の長さに関係あるんでしょうか?

 そして、「四・七」「十二・十一」「五・六」「三・八」の下に書いてある読めない文字は、ひょっとして「朔」もしくは「朔日」をくずしてあるのかなあ、なんてことを思うんですけど、どうでしょう?朔というのは新月のことで、旧暦の一日です。 #ただ、朔日という文字をくずしてあんな書体になるかなあ、という疑問は残ります。

【追記】2017年
 さるスジから、もっと状態のいい文字盤の写真をいただきまして、読めなかった文字にあたる部分は「節」でした。改めて見直すと、確かにこのくずし字は節ですね(朔日とか書いて、恥ずかしい)。

 いただいた写真だと、文字盤が24枚あり、1ヶ月を2分割してあるんだってことがわかりました。博物館にあるもの(本文中のイラストで説明したもの)は、文字盤が足りなくなっている可能性もあるのかな、などと思いました。

 よくよく考えたら、二十四節気で立春のことを「正月節」、雨水を「正月中」とか言うので、文字盤がそこに対応してるんじゃないかってところまでは、わかりました。
(追記ここまで)





 ああ、長かった。ここまで必死になる必要はなかったかもしれません。結論としては「天文尺時計は、二十八宿の星座が南中する時刻をあらわした、星座早見機能付きの和時計である」ということです。

 きっと誰も読まんな、こんな長文(笑)

追記:文字盤がもうひとつあるの忘れてた

もうひとつの文字盤
 一晩寝て起きたら大事なことを思い出しました。文字盤、もうひとつあるんです。時計の本体に! この写真は縮小してあるので読めないでしょうが、リサイズ前のものを拡大して読むと、暮れ六つちょっとあとに璧宿からはじまり、五つに婁宿、明け六つちょっと前に軫宿で終わってます。

 もしやこれが失われた十月なのでは…?! と思ったんですが違いました。
嘉永三年十一月十八日の星空
▲嘉永三年十一月十八日(1850年12月21日)五つ時の星空

 どうも冬至ごろの星空と一致するみたいですね。(キャプチャ画像のフォーマットが変わっちゃっててすみません。体験版なので設定をセーブできないのでやりなおしました。あと、今ごろになって自分で書かなくてもステラナビゲータの機能で二十八宿を表示できるってことに気づきましたw)


 最後にもうひとつ良くわからないことがあります。昔の暦には、約33ヶ月に1度、閏月というのがあって、同じ月を2度繰り返します。

 昔の暦は太陰暦といって新月から次の新月の前日までを 1ヶ月とする月の暦で、太陰暦の1年は、太陽暦の1年より約11日少ないんです。この足りない分を放置しておくと、やがて季節がずれてしまうので、約33ヶ月に1度(3年に1度くらい)、同じ月を2度繰り返すことで調節しています。

 そのズレや、閏月が来ちゃった時なんかに、この文字盤はどう使っていたんだろうなっていうのは謎です。

 ちなみに調べてみると、嘉永二年(1849年)に閏四月があったみたいなので、テキトーに設定した嘉永三年は、ズレが修正された翌年ということになり、かなり理想的な星の位置だったかもしれません。偶然にしては上出来でした。

追記の追記

 その後、嘉永二年四月一日暮れ六つ半(1849年4月23日19時40分ごろ)の星空を調べてみたのですが、翼宿が子午線を通り越しておらず、これを最初に見てたら「あれあれ?」と、頭がこんがらがってたかもしれないです。

 昔の暦と不定時法でやるかぎり、太陽の暦と約33ヶ月で約30日のずれが出来ちゃうわけですから、毎年同じ年の同じ日に同じ星が、同じ場所に巡ってくるとかはないんです。どうしてもズレる。

 ということは、「星座の南中時」をあらわしているというより「この星がおおむね南にありますよ」というような、ぼんやりとした表示と言ったほうが、むしろ正確なのかもしれません???

 そもそも、この時計はどんな立場の人が使ったのでしょうか。高価な物でしょうから庶民の家にあったわけじゃないと思いますが、天文の知識がある学者が使ったのか、裕福な商家や大名家などでインテリアとして使ったのでしょうか、それによって想像できる使われ方も変わりそうですね。
 
 

*1:実は『和漢三才図会』を読むと、天の北極を去ること○度という具合に北極星との角距離まで書いてあるんですが、全天周365度説、360度説、どちらををとるとしても、どうも場所が違うんじゃないのと思うフシがありまして…わたしが計算を間違えてる可能性もあるのでアレですが、それは今後思い出したら追求するとして、ここでは忘れておくことにします。

タグ:空と雲

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