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大鹿歌舞伎

 20日、21日と旅行に行ってました。20日に小諸をまわり、夜は飯田市内のネットカフェで漫画を読みつつ仮眠、21日早朝に大鹿村に移動して村歌舞伎を見るという旅でした。

 順をおって書いてるといつ終わるかわからないので、とりあえずメインの村歌舞伎のことを書きます。

飯田市内の朝霧
▲10月21日の早朝6時半くらい。飯田市内は霧に包まれていました。

 このあたりは東西に高い山があり、真ん中に天竜川が流れています。その特有の地形から早朝と夜に濃い霧が発生しやすいんだそうです。

 こんな霧の中を、大鹿村まで細い山道を通って行くのは大丈夫なのかしら、と思いましたが、朝日が昇ってくると霧はすっかり晴れてしまいました。

 飯田の市街地から大鹿村までは、車で1時間くらいです。このあたりの山道は細くくねっていますが、起伏は大したことありません。普段はろくに車も通わない道です。この日は大鹿村の歌舞伎があるというので関東や東海地方のナンバーをつけた車がけっこう通ってました。

 ちなみに駐車場は歌舞伎の日だけあちこちに出来るので車で行っても問題ありません、というか大鹿村は日本のもっとも深い秘境いっても過言ではないところなので、車がないと多分行けません。路線バスがないこともないですけど、ないと断言しても誰も間違いを指摘しないくらいの本数しかないと思います(笑)

大鹿歌舞伎
▲歌舞伎会場である大鹿村・市場神社のまわりにはひとだかりが……!

 大鹿村到着は7時ちょっとすぎ。標高があるので凍えるほどの寒さです。わたしは腰にハクキンカイロを装着して毛布をかぶるという大胆ないでたちだったので寒さ知らずですが、ともだちはコートを着込んでいるのにがたがた震えていました。

 会場の市場神社のまわりにはすでに大勢が並んでいました。大鹿村の歌舞伎は誰でも無料で見られるのですが、会場に座れるのは詰め込んで800人くらいとのこと。昔はそれで十分だったようですが、去年封切られた映画『大鹿村騒動記』のおかげで人気になって、順番待ちをしないと座れないのです。

 この日の先頭集団は夜中の2時くらいから並んでたそうです。どうやら素人さんではなく、旅行会社の手の者っぽいです。こういうのは並ぶのも含めてイベントなので、玄人さんを並ばせて高見の見物とか絶対間違ってるぞって思うんですけどねー(笑)

 朝8時、整理券がくばられました。わたしたちは82番でした。整理券は1グループにつき1枚発行されるので、82グループ目ということです。1グループ5人換算で400人目くらいでしょうか。

大鹿歌舞伎
▲歌舞伎会場の市場神社*1です。こんな感じで舞台の前にござが敷かれていて、各自持参した座布団で場所とりをします。

 場所とりは昔はわりと自由だったみたいですが、今は係員の指示で「この辺に入ってください。なるべく詰めて!」なんて言われながら頑張ります(笑)座布団を置いてしまえば出歩いても大丈夫なんですが、いろいろトラブルがあるかもしれないので、誰かひとり必ずいるようにしてください、などと係りの人は言ってました。

 わたしたちもなんとか隙間に入り込む事に成功。後から数えたほうが早いような場所でした。前のほうに団体さんがいるので1グループ5人換算は甘かったかもしれません(笑)お捻りを投げたらとどくような距離で見たい場合は、最低でも朝6時には到着して並ばないとだめそうですねー。

ヒキガエル
▲場所とりも済んだことなのでまわりを散歩してたら道路のまんなかでヒキガエルを発見しました。ちょうどうちにいるヒキガエルと同じくらいのサイズですね。踏みつぶされるとかわいそうなので草むらによけておきました。

 背景に流れているのは鹿塩川でしょうか。鹿塩(かしお)というのはこのあたりの地名です。地名に塩という文字がつくのはこのあたりの湧き水が海のように塩からいからだそうです。この水を海水と同じように煮つめると塩がとれますが、塩の話は長くなるので改めて別の記事に書きますね(ここに書きました>http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1448)。

 大鹿村はどこへ行ってもまわりは山で川が流れています。空もきれいで、きっと夜は満点の星だと思います。すごくいいところです。どこでもいいから家をあげるって言われたら大鹿村にしてって即答するくらい住んでみたい場所のひとつです。

大鹿歌舞伎
▲大鹿村がほこるゆるきゃらのみなさんです。

 右のジライヤみたいな人は村歌舞伎の出し物に出てくる景清(かげきよ)くんで、左の鹿っぽい人は見たまんま鹿で鹿丸(しかまる)くんといいます。

 鹿は大鹿村に人口よりも多く棲息し、鹿のくせに村を"牛"耳っているかもしれない影の支配者らしいですよ。キャラはゆるいくせにあなどれない存在です。

大鹿歌舞伎
▲すごくいい天気です。朝は凍えるほど寒かったのに、日が昇ってきたらとたんに暑くなり、今度は額の汗をぬぐいながらの開演待ちとなりました。なんでも、映画封切り後は雨がつづき、青空のもとで開演できるのは一年半ぶりということです。雨のときは体育館で上演するそうです。晴れてよかった!

大鹿歌舞伎
▲この白い達磨は映画『大鹿村騒動記』の成功を祈願して片目を入れられ、映画が完成した時に主演の原田芳雄さんが残りの目を入れたそうです。原田さんはそのすぐあとに病気で亡くなられました。

大鹿歌舞伎
▲お昼ごろ、村長の挨拶があって、やっと開演です。

 お昼に開演だとお昼ご飯が心配になりますが、村歌舞伎はお弁当をさかなにお酒をのみながら見るものだそうです。わたしたちも来るときに弁当を買ってきました。予約しておけば村の旅館やお土産もの屋さんでも弁当を用意してくれるみたいですよ。

大鹿歌舞伎
▲幕があきました!

大鹿歌舞伎
▲最初の出し物は『義経腰越状・泉三郎館の段』です。この人は五斗兵衛(ごとべえ)といって優秀な軍師ですが普段は飲んだくれてて全然才能を発揮しないのです。演じているのは村に住んでいる普通のおじさんです。村歌舞伎はプロの役者さんではなく、村の人たちが俳優や裏方をやって作り上げる手づくりの舞台です。

大鹿歌舞伎
▲中央てまえの女性は五斗兵衛の妻で関女(せきじょ)です。演じているのは村にある食堂ディアイーターのおかみさんです。

 関女はのんだくれの夫を本気にさせたいと思い、酒をやめるか三行半(離縁状)を書くか、どっちかにしてと強く迫ります。おそらくそんな喧嘩を何度もくりかえして来たんでしょうが、五斗兵衛が本当に離縁状を書いてしまうことで騒動になります。

 後に立ってるのはふたりの娘である徳女(とくじょ)です。ふたりには他に息子がいるのですが、鎌倉の頼朝のところに人質にとられており、生死すらわからない状態です*2

 関女を離縁した五斗兵衛は、自分の雇い人である泉三郎(いずみのさぶろう)の屋敷で高いびきをかいていますが、そこへ泉の妻である高ノ谷(たかのや)がやってきて、穀潰しの五斗兵衛をおいだそうと空砲をぶっぱなします。

 すると、五斗兵衛がむくっと起きて「今のは音はすれども当たった気配がないので空砲だな」とかなんとか言い当てるわけですね。そこへ主の泉三郎がやってきて「やはり俺の見込んだ通りだ!」とかなんとか言って、五斗兵衛を軍師にして義経のもとにはせ参じる準備をはじめました。

 元妻の関女は夫が遣る気を出したのを知り、恥ずかしながらもとの鞘におさまりたいと、泉の妻である高ノ谷に仲介をたのみに来ます。

 それを見ていた娘の徳女は「なにそれ恥ずかしい。こんな恥たえられないわ!」とかなんとか言って、短刀で首をついて自害しちゃうからさあ大変!

大鹿歌舞伎
▲段上右の武将二人は泉三郎と五斗兵衛、段上左の女性が高ノ谷、段下の二人が関女と娘の徳女です。

 娘が自害しちゃったので、関女も自害しようとするのですが、そこへ泉三郎が止めに入り「死ねば恥はそそげるだろうが、それは恥を知って義理を知らぬ者のすること。本当の貞女ならば鎌倉で人質になっている息子を取り返して来るといい。その時は復縁を認めよう」とかなんとか言うわけです。

 夫の火縄銃を小脇にかかえて関女が鎌倉へ向かうところで第一幕の終わりです。


 開始から1時間半くらい。ここで休憩が入ってほっと一息といったところですが、前の方に陣取っていた団体旅行客が一気に席をたって帰ってしまいました(えええ!!!???)。全部見てたら観光する暇もないってところでしょうけど、丑三つ時から人に順番待ちさせておいて全部見ないで帰っちゃうのって、あまりリラックスできない旅だよね(笑)

 まあ、そのおかげで隙間ができて、少し足がのばせるようになったし、後で立ち見だった若い人たちも間に入って残ったこっちはリラックスですけどね。

大鹿歌舞伎
▲第二幕の演目は、といっても第一幕と話は続いてないんですが、『一の谷嫩軍記・熊谷陣屋の段』でした。

 写真は中央が熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)、左の女性は熊谷の妻で相模(さがみ)、右で刃物をふりまわしているのは藤の方といって平敦盛(たいらのあつもり)の母親です。

 今回、相模を演じているのはヒマラヤの青いケシを栽培している農園の中村さんでした。ほかのみなさんも農協勤務だったり、役場で働いてる人だったりと、ごく普通の村民のみなさんです。

 一幕目の役者さんも一生懸命でしたが、ディアイーターのおかみさんがお上手だった以外は演技力が発展途上という印象をうけました。二幕目はぐっとグレードがあがって、ほんとにみなさんすごいんです。

 太夫(三味線と謡い)もすごくて、二幕目の途中でお爺ちゃんに交代したんですが、この方がもうなんかほんとにすごくてただものじゃないなという感じでした。

大鹿歌舞伎
▲熊谷(左)が討ち取った敦盛の首をたしかめる源義経(右)

 平敦盛というのは『青葉の笛』という唱歌で有名な平家の若き大将のことでしたよね。戦のさなかにも笛を手放さず、夜になると美しい笛の音を奏でているのです。それは源氏の陣中にも聞こえていて、あれは一体誰が吹いているのだろうとみな不思議がります。

 戦は平家が負けるのですが、敦盛は逃げ出さず、もどってきて首をとられてしまうのです。敦盛の死後、甲冑をあらためると笛が出てくるので、これが夜な夜な聞こえていた、あの美しい笛の音の主だったかと源氏のもののふたちも涙をぬぐったというお話です。

 お芝居はその後の話です。敦盛の母である藤の方が熊谷の屋敷に乗り込んできて「おまえがわたしの息子の首をとったのか」と刃物を振り回します。熊谷はそれを否定せず、すべては戦の上でのことだと言いますが、藤の方はそれを聞き入れません。

 そこへ源義経が現れます。熊谷に敦盛の首実験をたのまれて、忙しい中をかけつけるのです。

 義経、相模(熊谷の妻)、藤の方(敦盛の母)の前で、首の入った箱をあけて見せる熊谷。その時驚いたのは相模です。首は敦盛ではなく自分の息子である小次郎のものでした。

 小次郎も父親とともに出陣していました。ところが戦が終わっても母親に顔を見せなかったので、相模はとても心配していました。夫にたずねても怪我をして休んでいるなどと、適当なことを言われつづけていたのです。

 その息子が敦盛の代わりに首級(しるし)になっているのだから並の驚きではないのですが、その時相模にもわかるのです。夫の熊谷は、主君である義経から、帝の血を引く敦盛を助けてやってほしいと内々に命じられていたのだと。

 悲嘆にくれながらも息子の首を小袖の上にいただき、藤の方にわたす相模。藤の方もまたそれが自分の息子じゃないことがわかっているのに違うと言えないのです。違うと言っちゃったら熊谷が自分の息子を犠牲にしてまで逃がしてくれた敦盛の身が危うくなってしまいます。

 そこへ現れるのが今回の悪者・梶原平次景高(かじわらへいじかげたか)です。
大鹿歌舞伎
 こいつは熊谷のことをねたんでいるので、首のすり替えに気付いて鎌倉へちくりに行こうとします。

 しかし、すんでのところで弥陀六(みだろく)という石工が石ノミを投げて景高をしとめます。この弥陀六という男は石工に身をやつしてはいますが、実は平家方に仕える男なのです。平治の乱で源氏方が負けて、源頼朝は伊豆に島流し、弟の義経は京都の鞍馬寺にあずけられて苦労するわけですが、その時にいろいろと助けてくれたのが弥陀六です。

 義経は弥陀六のことをちゃんと覚えていて、こんかいの手柄も含めて褒美を取らすといい、敦盛が愛用していた鎧櫃(よろいびつ)を与えます。鎧を入れておく箱のことです。

 弥陀六が鎧櫃をかつごうとすると、やけに重くて持ち上がりません。一体何が入っているかと蓋をあけてびっくり。藤の方もまたのぞきこんで驚きます。しかし誰も入っているものを言うことができないのです。さて何が入っていたでしょう?

大鹿歌舞伎
▲右で立て札を持っているのが弥陀六。中央が義経、左の僧形の男は出家した熊谷。

 今回の出来事で戦がすっかりいやになった熊谷は頭を丸めて旅に出ることになりました。弥陀六もまた藤の方をともない鎧櫃を背負ってどこか遠くへ旅立っていきます。

 一同が並んで立つシーンで太夫弾語りが「互いに見交わす顔と顔」と謡うんですが、これは地口行灯の「たらいにみかわすかおとかお」の元ネタでしょうか?

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▲地口というのはお芝居の有名な台詞やことわざなんかを洒落にしたものです。それを行灯(あんどん)に書いたのをお祭りでかかげる地域があるらしいですよ。ちなみにこの地口行灯は浅草で写したものです。北千住の商店街でもよく見かけます。



 というわけで、大鹿村歌舞伎、すごく面白かったです。チャンスがあったらまた見に行きたいです!

 なお、ストーリーの紹介は意図をくんだ上でくだけた説明にしてありますので、もっと正確な話を知りたい場合は識者のみなさんが書いたまともなサイトを検索で見に行ってください。よろしくお願いします。

*1:大鹿村の歌舞伎は春と秋にあります。秋は市場神社の境内で開催されるそうです。『大鹿村騒動記』という映画のロケ地になったのはここではなく、大磧神社という別の神社だそうです。
*2:ここらへんの設定は前後の話や歴史を知らないとわかりにくいのですが、源頼朝(兄)は、源義経(弟)をうとんじて殺してしまおうとしており、泉三郎=藤原忠衡や五斗兵衛はいざとなったら義経の味方につきそうな武将なのです。ま、わたしもよくわかってないんですけどね、えへへ。

タグ:長野 ゆるキャラ

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