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暑さのせいでこんなに本を読みました(最近読んだ本をメモ)

 以下は図書館で借りて読んだ本のメモです。バスの一日乗車券を買って涼しい車内で読書三昧です。あんまり真剣に読んでないのでメモまでして「つまんなかった」とか書いちゃうかもしれないですけど、何を読んだかのメモなのでごめんなさい。画像はいちおう楽手ブックスへのリンクになってます。もう買えない本も混ざってると思います。

ホピ神との契約〜この惑星を救うテククワ・イカチという生き方


 読んだというか、ざっと目を通しました。アメリカにヨーロッパ人が入ってきて、原住民はキリスト教への帰依を強要されるわけですが、ホピ族の偉い人は、どんなに痛めつけられてもホピの神を決して捨てようとしませんでした。その理由というのがふるっていて、自分がホピの神を捨てないのは、ホピだけでなくあなたがた白人を守るためだというんです。自分が信仰を捨てたら、洪水だかなんだかがやってきてみんな死んでしまうと。

 そのホピがどんな信仰をもっていたかとても気になるわけですが、どうもこの本は自分が求めているものと違うっていうか、途中であきてしまって目を通して返しました(笑)

ユダの福音書


 聖書には「ユダ」が沢山いますが、この本でいうユダはイエスを裏切って役人に売ったイスカリオテのユダです。そのユダを主人公にした福音書が発見されたらしいんですよ。ちょっと前にナショナル・ジオグラフィックという雑誌や、その雑誌社でやってるCS放送でも話題になりました。

 イエス・キリストというのは、神の子なんですが、もともと人間の罪を背負って死ぬために生まれてきてるんです。それは旧約聖書の時代から預言されてることなので、処刑されないと意味がないんです。

 それなのに、イエスを役人に引き渡したイスカリオテのユダは悪者にされちゃってて、どうも腑に落ちないのが新約聖書に採用されている福音書の内容です。

 この本には「ユダの福音書」の全文が掲載されています。イスカリオテはイエスを一番理解している弟子ということになってて、イエスが自分から頼んで役人に引き渡してもらったってことになってます。

 まあ、後付けの解釈で作られたという可能性もあるわけですが、イスカリオテを悪者としないものの見方がそれなりに古い時代からあったらしいってことはわかるわけですね。

アーミッシュの赦し


 アーミッシュというのはアメリカのキリスト教の一派なんですが、アメリカ移民時代(17〜18世紀?)の生活をずっと守っているんです。昔の服を着て、多くの人が農業に従事して、自動車を使わずに馬車に乗って、新聞はあってもテレビやラジオはないという、牧歌的というか完全に牧歌な生活を営んでいます。

2006年、アーミッシュの村にある学校に男が現れて、子供たちにむけて銃を乱射して自殺してしまいました。男は自分の不運を嘆き、神を恨んでいたということです。神の敬虔な信者を殺すことで復讐しようとしたのかもしれません。

 非常に忌まわしい事件なのですが、この事件のすごいところはこの後なんです。子供を殺されたアーミッシュの親たちが、犯人の遺族のもとを訪れて、自分たちは全てを赦すといって、加害者の遺族を食事にも招待し、親密な付き合いをはじめたというのです。当時ニュースにもなったので知っている人は多いかもしれません。

 2006年の事件では加害者が自殺していますし、加害者の家族にはなんの罪もないわけですから、なんとなく納得できる現象です。でも、実は過去にもアーミッシュが痛ましい事件の被害者になったことがあり、その際には生きている加害者自身を事件後すぐに赦すと表明したっていうんですよね。それどころか警察に捕まった犯人の減刑を嘆願したことさえあるとかなんとか。

 聖書には「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ」と書いてあります。アーミッシュはそれを忠実に守っています。罪を裁くのは神であって人の仕事ではないというわけです。赦しは、自分が神に赦されるためにも必要だし、ずっと恨みを抱いたまま生きるのはつらいことだから、というんです。

 これは頭で考えるほど簡単なことじゃないような気がします。被害者からの一方的な赦しが加害者の心に届くとは限りません。その場限りの謝罪を述べてケロリと忘れてしまい、また同じ罪を犯しつづけるかもしれないです。妻を殺されたが赦す、犯人は反省せずに今度は子供も殺したとします。普通なら「私はあなたを赦したのに、なぜこの上苦しめるのか」となるはず。でもアーミッシュは赦す……その行為の行き着く先は一体なんなの? 天使がラッパを吹き鳴らす時に、自分たちの罪が神から赦されること? 現世利益が目的じゃないとはいえ、なぜそこまで寛容になれるのか。あるいは寛容さから赦すのではなく、赦されないことの恐怖から赦すのではないか、などとぐーるぐーるといろんなことを考えてしまいそうになります。

 その一方で、身近な人との些細なトラブルは赦しにくいと言ってるアーミッシュがいるのも面白かったです。なんかそれはすごく分かる(笑)

こころの手足【普及版】


 これは中村久子さんという人の自伝です。久子さんは子供の頃に突発性脱疽(壊疽)といって手足が腐る病気になりました。医者はすぐに手足を切断しなければ助からないと言いますが、幼児のことなので手術にたえられずに命を落とすかもしれないのです。それで切らずに過ごしていると、手足が真っ黒に変色して、ある日手が自然にもげ落ちてしまったというんです。それを見たお母さんは失神してしまいました。ほうっておけばただ死ぬだけなので、残った手足も手術で切断されました。

 手足のない子供になってしまった久子さんは、それでも自分のことはなんでもするようにと母親から厳しくしつけられて、口に針をもってお裁縫や編み物までできるようになります。学校へは通えなかったものの、祖母から読み書きを習ってなんでもひとりで勉強します。しかし父親が急死し、生活苦がのしかかってきます。そうでなくとも生きて行く上でいずれは自立しなければならないわけで、久子さんはとうとう見せ物小屋で芸をして生活するようになります。

 久子さんは、手足がないにもかかわらず、茶碗と箸でご飯を食べられるし、お裁縫、編み物だけでなく、料理や洗濯もできます。口に筆をくわえて字も書けて、しかも達筆です。できないことは髪の毛を結うのと、着替えだけ。手足のない体で日常をどうこなしているか、巻末に詳しい説明がついています。

 中村久子さん関係の本は他にも何冊か読んだので続きます。

手足なくても


 この本は中村久子の自伝『こころの手足』と、久子さんの娘である富子さんの話を田中紘一という人がまとめた伝記です。内容はほとんど『こころの手足』と同じで、中学生、高校生向けの本かなと思います。

 この本は、わたしが高校の時の社会科資料集に載ってました(二十年以上前のことですけど)。『こころの手足』のところにも書きましたが、真っ黒に壊死した手が自然にもげたという話を読んで、当時のわたしは残念ながら感動ではなくトラウマを得ました。もちろん久子さんの生き様は崇高なのでしょうが、なにせ資料集には短い説明しかありませんから、手がもげたとこしか印象に残らなかったんです。

 でも、久子さんがどんな一生を終えたのか、毎日の暮らしはどんなだったのか、とても気になって、いつか本を読もうとずっと思ってました。それを最近思い出して読んでみたというわけです。

 読んでどうだったかっていうと、意外なことに想像したのとまったくちがって清々しい本でした。もちろん病気に関する重い事実もちゃんと書いてあるんですけど、久子さんは気っ風がいいというか、さばけているというか、とにかく素敵な人でした。もっと早く読めばよかったと思います。ちゃんと読んでたら二十年もトラウマにならずに済んだのに(笑)

 久子さん関係はまだ続きます。

わが母中村久子


 この本は、中村久子さんの実の娘さんが書いた本です。娘の目からお母さんのことを書いているので、自伝ベースの本とは違う、生き生きとした中村久子伝になっています。久子さんのことを調べるなら、自伝の『こころの手足』と本書『わが母中村久子』の二冊を読むのがいいと思います。

 ところで、いささか下世話なことですが、わたしには久子さんについてある疑問がありました。いくらなんでも自分でできるといったって、さすがに下の世話は人の手を借りているんじゃないかと。便所まで這っていくことはできるでしょうが、お尻はどうやってふくのでしょうか?

 その説明は自伝にはなかったのですが、この本に書いてありました。手足がないといっても足がひざまであるので、その足を使ってちゃんとご自分でなさったということです。ごめんなさい、ほんとそんなことにばかり興味を持ってしまって><

中村久子の生涯


 これも自伝の『こころの手足』をもとにした本で、『手足なくても』が子供向けなのに対して、こっちは大人向けの中村久子伝になってます。

 内容は自伝とかぶる部分が多いです。久子さん自身が書いたもの以外だと、あまり資料が残っていないみたいなんですよね。その久子さんも、見せ物小屋時代のことは、あまり書き残さずに逝ってしまったそうですから。


 久子さん関係はほかにも本が沢山あるようですが、だいたいこのへんで納得したので終わります。

14階段


 2000年ごろに、新潟県で9年間行方不明だった女の子が発見された事件がありますね。拉致した男が自室に9年間監禁していたという、あの事件です。この本は、雑誌フライデーのもと記者が加害者の母親に取材して書いた本です。事件ではなく人間に迫ろうとしているところがとても面白かったです。事件が事件だけに面白いなんて書いちゃいけないとは思うんですけど。

カプセル


 これも新潟少女監禁事件関連です。事件に迫るというか、裁判記録を主に扱ってる感じだったと思います。

新潟少女監禁事件 空白の九年二カ月


 同じく、新潟少女監禁事件関連。これは事件そのものに迫るというより、事件発覚時に警察幹部が温泉宿で賭け麻雀をしてたとかの不祥事を主に扱ってる感じでした。

怪奇事件はなぜ起こるのか


 これは、新潟少女監禁事件関連で、図書館の蔵書検索にヒットしたので借りてみました。タイトルが猟奇ではなく怪奇であることからもわかりますが、わりと怪談よりの本でした。心霊現象抜きの話は、世間ではこう受け取られているが、こういう情報操作があった可能性も、というような話が多いです。それなりに面白かったですよ。

僕は字が読めない


 ディスレクシア(難読症とか失読症とか訳される)という障害を持った南雲明彦さんのことを書いた本です。表紙の写真が南雲さん。知能が低いわけじゃないのに文字だけ読めないそうです。症状は人それぞれで、南雲さんもまったく読み書きできないわけじゃないんですが、人の数倍時間がかかるとのこと。トム・クルーズなんかもこの障害を持ってるらしいです。日本ではあまり知られていない障害なので、読めない理由がわからず、かなり苦労なさったようです。

 本の中に、ディスレクシアの症状チェックみたいなものがあったのでやってみました。右と左を言い間違えるのなんか子供の頃からの持病だし、文字をいれかえて読んでしまうのは日本人全員が持ってる持病だと思うし(コミニュケーションもシュミレーションもふいんきもなぜか変換できないでしょう?)、こういうのって程度の問題なんだろうなと思います。ちょっとくらいなら「ヌケてるね」で終わって、生活に支障が出ると障害になる感じじゃないんですかね。原因と対処法がわからないことが問題なのであって、障害自体は個性の一種なんだと書いてありました。確かにそのとおり。

花の鎖


 これは小説です。湊かなえは『告白』という映画を見てから気に入って、図書館で予約して(人気があって数百人待ちとかなんです…)端から読みました。これだけ最後まで来なかったのがやっと来たんですが、これまでの本に比べるとかなり軽くて、かなーり物足りなかったです。ただその、わたしはけっこう酷い読み方をしてしまいました。現在と過去の二重構造になってて、過去の部分がつまらなかったものですから、現在のところだけ拾い読みをしたんです。それで充分筋がわかってしまい、読み返そうとしたけど、なんか挫折してしまって、次の人が待ってると思うのですぐ返しました(笑)

メキシコから来たペット


 これはアメリカの都市伝説を集めた本『消えるヒッチハイカー』の続編だそうです。表題のメキシコから来たペットは、あるアメリカ人がメキシコで子犬を拾って連れてかえります。それが病気だかなんだかになったので獣医に連れていくと、医師がショッキングな事実をつげるのです。その犬はメキシコにしかいない巨大なドブネズミだと…!

 この本に掲載されている都市伝説は、日本人の目から見るとアメリカンジョークにしか見えず、いわゆる都市伝説のようには見えないのでつまんなかったです(もしかすると以前にも同じ本を手に取ってつまらないので棚に戻したかもしれない…)。

 改めて読もうと思ったのは、これに缶ジュースのプルタブのデマが載っているのに気付いたからです。ジュースの缶は、今はプルタブが分離しないようになっていますが、昔のは缶から取れるのが普通でした。そのプルタブを集めると、腎臓透析器を無料で使える(つまり腎臓病の人を助けられる)という噂がアメリカで流れたことがあるそうです。そのことは1984年11月8日の『マンシー・スター』という新聞(?)で検証されており、完全にデマだってことになったらしいです。

 ところで、日本では、1980年代の終わりくらいに、さだまさしが文化放送のセイ!ヤングの中でプルタブを集めて車椅子を寄付する企画をやっていました。これはデマではなく、本当のことで、プルタブは金属として回収業者に引き取ってもらい、そのお金で車椅子を買うのだと、番組中で何回か説明がありました。なぜプルタブかというと、先に説明したとおり、当時は缶から離れてしまうので路上に捨てられ、ゴミになっていたのです。それを回収しようという企画だったと思います。

 ところが、プルタブで車椅子という部分だけがひとり歩きをして、あちこちの学校で回収運動が起こりました。プルタブを集めることで車椅子が景品として送られてくると思い込んでいるので、いざ集めて送ろうとすると、送り先がみつからないわけです。

 それで、少し問題になって、文化放送の関連新聞(サンケイ?)に「デマだ」という説明が載ったそうです。さだまさしがセイ!ヤングの中で、関連会社のラジオでやっている企画も調べずにさらに間違った情報を流すとはけしからん的な話をしてたと思います。

 おそらくですが、新聞社は飲み物のメーカーに問い合わせて、そんなサービスは行っていないと返事をもらったのでしょうね。しかもコカコーラ社のようにもとがアメリカの企業ならば、アメリカでデマが流れたことを知っているかもしれないので、端的にデマだと説明したかもしれません。それを鵜呑みにして記事を書いたんじゃないかなあと想像します。

 その数年後、当時はまだパソコン通信でしたが、学校で教師をしているという人が、あるネットの質問コーナーで、子供たちがプルタブを集めているが送り先がみつからない、悪質なデマではないか、という質問をしていたのを見ました。セイ!ヤングのことをお教えしたような気がしますけど、あまりご納得いただけてないような感じでした(笑)




 というわけで先週読んだ本でした。暑い日がさらに続いたら今週もどんどん本を読むかもしれません。

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