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東北旅行:石巻のものすごい石段を制覇する

 石巻の巻石を見たあとも駅の周りをふらふら歩き回り、地震や津波で壊れた小さな神社を見てまわり、最後にたどり着いたのが「すごい石段」です。

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▲すごい石段!

 石巻の駅を降りて、商店街を歩いていると、この石段が目に入ります。やけに長い石段です。上には神社か何かがあるのでしょうが、これまで上ってみるチャンスがありませんでした。

 今日こそこれを上ってみなきゃ!

 というわけで近くまで行ってみると、石段の下に「村社・鳥屋神社」の石碑がありました。関東では見ない名前の神社です。鳥屋と書いて「とや」と読む、なんてことは帰宅後に検索して調べたんですけどね。

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▲石段の上から。

 高い高い。ざっと数えたら257段ありました(まちがっているかも)。石段のまわりに桜の木が見えたので、開花したら気持ちが良いでしょうね。

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▲あっ、鳥居の下にまだ階段があった(笑)これを足すと全部で270段くらい?

 鳥居をよく見ると足下が金具で補強されています。金具が新しいので2011年の東日本大震災による被害を直したものだと思います。でも、この鳥居はその前にも被災しているらしいです。

 鳥居の影にあって目立たない石碑に「宮城県沖地震に依り両柱及笠に亀裂を生じ裏坂(立町)より移築復元 昭和五十三年九月九日 石巻市立町二丁目五ノ四 三代目浅野晋一」とありました。

 念願の石段を制覇してヤッターと叫びたいところですが、別の方向から上ってくる石段をみつけてしまいました。方向から考えてそっちが表かもしれません。じゃあ、次に来る時はそっちを制覇するってことで……(こうしてまた来る理由ができるのでした)。


 ところで、鳥屋神社という名前は何に由来するのでしょうか。地名ではないし、人名でもなさそう。鳥に関係するものもこの神社にはなさそうだし。ちなみに、御祭神は猿田彦神(サルタヒコノカミ)と船御魂神(フナミタマノカミ)だそうです。どちらも道案内の神様です。

 帰宅後に調べたところ、島根県にも鳥屋神社があり、そちらは建御名方命(タケミナカタノミコト)をお祀りしているそうです。 

 タケミナカタ神は大国さまの息子です。高天ケ原から天孫が下ってきて、これからは我ら天津神がこの国を治めますよと言った時に、タケミナカタの神はそれに反抗し、天津神のタケミカヅチ神と戦いました。結局タケミナカタ神は負けてしまいましたが、戦いの時に投げたと言われる大岩が今も残っています。

 それから長い時がたちました。垂仁天皇の息子で誉津別命(ホムツワケノミコト)という人は三十歳になっても口がきけませんでした。ある日、タケミナカタ神が落とした岩の近くを通りがかると、そこに白い鳥が群がっているのを見て「あの白い鳥はなんでしょう。どうか取ってきて見せてください」と言いました。これが生まれて初めてのお言葉です。

 この時、鳥をとってきた家来はその後「鳥取」という姓を与えられ、それが鳥取県の名前の由来になりました。また、白い鳥が群がっていた岩の上に立てられた神社は、鳥屋神社と呼ばれているのです。
http://www.hikawano.jp/jinjya/10jinjya.html

 これは島根県の伝説です。この話には猿田彦神も船御魂神も出てきません。これと石巻の鳥屋神社と何の関係があるかというと、ここから先はあくまで私見ですが、やはりタケミナカタ・タケミカヅチ伝説と関係があると思うのです。

 石巻と仙台のあいだに鹽竈神社というのがあります。こちらはシオツチノオジ(塩槌老翁とか塩槌翁とか)と呼ばれる神様が祀られています。シオツチノオジは、タケミカヅチ神が奥州を平定した時に道案内をした神様です。

 この時神々は船に乗ってやってきたとされています。神々が上陸したのは宮城県宮城郡七ヶ浜というところで、そこには鼻節神社があります。
http://www.shiogamajinja.jp/lineage/index01.shtml 

 その鼻節神社には猿田彦神が祀られています。つまりタケミカヅチ神を導いてこの地に上陸させたのは猿田彦神ってことになります。

 猿田彦神は、手塚治虫の『火の鳥』に出てくるので読んだことがある人にはおなじみですが、鼻が大きいので有名です。鼻節神社のことを書いた江戸時代の本によれば、猿田彦神の高い鼻には節があったというので、それが神社の由来になりました。

 「鼻が高い、鼻に節がある」という特徴は、実はシオツチノオジにも言われていることで、この二人は同一人物なんじゃないかとも言われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%BB%E7%AF%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 そこで話のはじまりにもどると、石巻の鳥屋神社の神様は猿田彦神と、船御魂神なんですよね。ほら、なんとなくつながった。


 石巻・鳥屋神社は仁徳天皇の時代に、東夷(エゾ、エミシなどのこと)の叛乱があり、それを田道という人に討たせるにあたり、航海安全を祈願して作られた神社だそうです。 猿田彦=シオツチノオジがタケミカヅチ神を導いたように、我らの東征を導きたまえということでしょう。
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010085
 これによれば、田道の一行が到着したのが鳥屋崎という港で、だから神社の名前が鳥屋だってことになっていますが、そもそも鳥屋崎という地名がなぜついたんでしょう。わたしは、タケミカヅチ伝説にあやかるために、島根県にある鳥屋神社の先だと言ってるような気がします。そして船御魂神は、タケミカヅチや田道を乗せてきた船そのものを祀ったんじゃないかと……ま、いつもの妄想ですけどね。


 長々とつまらない話をしてしまいましたが、鳥屋神社にはもうひとつ注目したいものがあります。
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▲鳥居の脇に瓦のような焼き物の龍が置いてありました。どこだかにあったものを保存してあると解説があったんですが、土地勘がないのでどこから持ってきたものなのか覚えられませんでした。写真をもういちど調べたら説明を写したものが出てきました。移築保存したのはこの龍じゃなくて鳥居のようです。

 この龍は、一体どこに飾るために作られたものなのか、現地で見た時はわかりませんでした。帰宅して写真を整理してみると、渡波駅の近くで見た伊去波夜和気命神社の屋根に乗ってるのと似ていることに気付きました。

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▲伊去波夜和気命神社の屋根の龍
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1348

 屋根に龍がついている神社は関東ではあまりみかけません。石巻周辺にはこういうものがよくあるのでしょうか? 次に行く時は神社の屋根に注目しなくては。

タグ:東北旅行2012年春その2 神社仏閣 寺社幻獣 伝説

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