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東北旅行:鹽竈神社

 御釜神社が釜をまつっているなら、鹽竈神社はその持ち主である神様をまつる神社です。

◎2011年4月の参拝記
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1081

◎2011年8月の参拝記
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1186

 三度目なのでサラッといきます。

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▲境内にある博物館。江戸時代に林子平が作った日時計の実物などが収められてるそうです。建物の外には巨大な鯨の頭骨や、鯨漁に使う銛などが置いてあります。残念ながら震災の影響でこの日も臨時閉館中でした。もう開かないのでしょうか。すごくすごく見たいんです。

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▲手水舎の屋根にあたってる石灯籠は、仙台藩御用の大阪升屋・山片重芳が寄進したものだそうです。升屋の番頭をしていた長谷川芳秀は商売のうまい人で、重芳を一人前の商人に育てたのはこの人らしいです(名前が似ててややこしいですね)。

 大阪升屋の番頭さんは、差し米検査を無料でするかわりに抜き取った少量の米をもらいうけて商売し、儲けた御金を大阪に運んで巨万の富を築いたそうです。そうしてボロボロだった仙台藩の財政を建て直したのもこの人。仙台の二宮尊徳的な人ですね。

 升屋ではこの番頭さんに主人と同じ山片の性を名乗らせて親類同様の扱いをしたということです。以後、彼は山片家の番頭をもじって山片蟠桃(かたやまばんとう)と名乗りました。

 で、この立派な石灯籠は片山家の隆盛をあらわす歴史的資料なんだそうです。灯篭の前に立て札がありました。
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 なんでこの灯篭に注目してるかっていうと、前に来た時、灯篭の火袋にヒビが入り、てっぺんの宝珠も落ちていたのを見たからです。帰宅後に灯篭の由来が気になって検索したけれど、その時点ではあまり情報がなかったので、書いて置こうと思った次第です。

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▲これが2011年8月の写真。

 火袋が全取っ換えされてる感じなんですが、由緒あるものなのにいいんでしょうか。オリジナルはどこかに保管されているのかもしれませんけど。やや気になります。

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▲帰りはこのすごい石段を降りました。いつか上りにも挑戦するぞー。


 鹽竈神社を出たあとは、iPhoneで地図を見て、隣の東塩釜まで歩きました。線路沿いを行けばたいした距離ではありません。土地勘がないのでまっすぐ歩いてしまいましたけど、また行くチャンスがあったらもっとあっちこっち歩き回ってみたいです。

 塩釜の次は石巻に行きます。

タグ:東北旅行2012年春その2

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