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平成十六年 西暦 2004 年 甲申(きのえさる)
神無月(11月11日〜12月11日) 丙子(節入り 大雪 12/7)
旧暦新暦六曜干支月・天文
神無月一日11月12日(金)仏滅乙未朔(新月) おうし(北)
 新月です。今日から旧暦の十月一日です。

おうし座流星群北群の極大
 おうし座流星群は南群と北群というのがありまして、それぞれ11月中に極大をむかえます。難しいことはさておき、とにかく今月は流れ星を見やすいはずです。今年はちょうど新月で星が見やすくなってます。たまには夜空なんか見上げちゃったりしてみてくださいね。

古典の中の流星
 流れ星を見たら願い事を三度となえればかなう、なんてことを言いますが、流れ星を見るとラッキーってことになったのは日本ではわりと最近のことみたいですよ。日本でも中国でも、古くから流れ星を不吉なものとしていたようです。江戸時代の女の人は、流れ星をみるとネズミの鳴きまねをしてたらしいです。理由はよくわからないんですが、たぶん魔よけの意味でもあるんじゃないでしょうか。
「流星は天の使いで上からふるのを流星、下からのぼるのを飛星といい、その大きなものを奔星という」中国(隋)『漢書音義』

「音のあるものを天狗星、音のないものを狂夫(枉矢)星という」中国(前漢)『史記』劉向伝の蘇林の注

「新婦は夜、外に出ない。天狗星におかされて腹の子をとられることを恐れているからだ。閨女(遊女?)もまた天狗星を忌む」中国(明)『五雑組』

「舒明天皇の時代に大きな星が東から西に雷のような音をたてて流れた。その年、蝦夷の反乱があった」日本(七一○年)『日本書紀』

「思うに流星は星のように白く、白い光をわずかに引いて流れる。だから星とはいうものの星ではない。その光は一瞬で、さだまった形はない。女児は流星を見ると鼠のなきまねをするが、その起源はよくわからない。流星のことを日本では与波比星という。呼喚の意か?」日本(江戸時代)『和漢三才図会icon

珍獣の館内・関連コンテンツ>山海経動物記・天狗
 中国の古典『山海経』に出てくる流星の記録。

神無月二日11月13日(土)大安丙申
うるしの日
 文徳天皇の第一皇子・惟喬親王(これたかしんのう)が、嵐山の法輪寺で菩薩より漆の製法を伝授された日とされています。
 漆といえば、お椀に塗るやつですよね。お椀は轆轤(ろくろ)を使って削り出します。轆轤を発明したのも惟喬親王です。法華経の巻物を開くとき、紐をひっぱると回転するのを見てヒントを得たと言われてます。惟喬親王は第一皇子でありながら、父である文徳天皇が親王の弟を皇太子にしてしまったので、二十八歳で出家して都を離れました。
 お坊さんになるということは「僕人間やめましたから、ほっといてくださいね〜」という意思表示だと思います。偉い人の息子なので、いつ誰かに担ぎ上げられて戦の理由にされるかもしれません。皇太子派の人たちにとって、そんな危険な人物を生かしておいては安眠できませんから、難癖をつけて流罪にしちゃおうとか、こっそり毒でも盛って殺しちゃおうかなぁ、なんてこと考えてる人もいたはずです。それで、お坊さんになることで、皇位には興味ないよと意思表示をするわけ。
 伝説では、それでも命を狙われるおそれがあったので、人里離れた山奥に隠れ住み、そこで出会った村人たちに、木地師の技術を教えたということになっています。

神無月三日11月14日(日)赤口丁酉
二の酉
 酉の市の由来には、次のような伝説があるそうです。
 太陽の女神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟と喧嘩して天の岩戸にこもってしまったときに、女神のごきげんをなおすために神さまたちが岩戸の前で盛大な宴会をもよおしました。女神が岩戸から顔を出した時、どこからか大きな鷲があらわれて弦という楽器に舞いおりたことから、鷲はたいへん縁起のよい生き物とされるようになりました。その後「弦」をつかさどる神さまは天日鷲命と呼ばれるようになり、商売繁盛の神さまとなりました。 三の酉 に続く。

神無月四日11月15日(月)先勝戊戌
七五三
 今日は七五三です。三歳の女の子、五歳の男の子、七歳の女の子が晴れ着をきてお宮参りをする日です。子供は神さまからのさずかりものですから、大人の仲間入りをするまで、節目節目にお宮参りをして神さまに成長を報告し、将来のしあわせを祈ります。
 地方によっては、三歳のお節句は女の子だけでなく、男の子もする場合があります。

 ところで、七五三はどうして 11月15日なのでしょうか。一説によると、五代将軍綱吉の子 徳松のお祝いをこの日(当時は陰暦の十一月十五日でしょうが)に行ったことに由来しているともいいますが、室町時代にはすでに十一月十五日にお祝いをしたという節もあるらしく、いつごろが起源なのかはっきりわかりません。少なくとも、江戸時代末期には、現在と同じような七五三のお祝いがとりおこなわれていたことが『東都歳時記』という本にかかれているそうです。

 なぜ 11月がえらばれたかといえば、一年のうち、11月は最後の奇数月であり、「11」という数字は素数( 1 と自分自身でしか割り切れない数字)でもあることから、大変縁起のいい数字とされていることに由来しているのではないでしょうか。また、七・五・三を足すと 15 になること、陰暦では十一月十五日が満月の前夜であることなどから、特別な日とされたのかもしれません。

 三歳、五歳、七歳という年齢を節目としたのも、それが奇数であり素数であることに関係があるような気がします。とにかく、中国やその影響を受けた国では割り切れない数字を縁起がよいとしています。

 七五三のお祝いが現在のような形になったのは、先に書いたとおり江戸時代のことですが、その起源になるような儀式は平安時代にすでに行われていたそうです。

髪置き(三歳)
 平安時代は、男女ともに生まれて七日目に産毛を剃り坊主頭で過ごしました。三歳になると髪置きといって、これからは髪を伸ばしはじめるという儀式をおこないました。これが三歳のお節句の由来です。

袴着(三歳・七歳・五歳)
 平安の頃に、男女とも、三歳または七歳になると、はじめて袴をつける儀式をしていました。これが江戸時代になると男の子のみ五歳に行うようになったようです。現在でも宮中(天皇陛下のお宅)では古式にのっとった袴着をするってことなんですけど、愛子様は女の子だからしないかな?

帯解き(五歳・七歳・九歳)
 鎌倉時代には子供の着物は紐で着付けていたそうです。七歳になるとこれを帯にかえる儀式をしました。盛んにおこなわれるようになったのは室町時代からだそうです。当時は男女とも数え年で九歳(九はひと桁代で一番大きな奇数です)になるとこの儀式をしていたそうですが、江戸時代末期には男子五歳、女子七歳とされたそうです。

 こういった、古いしきたりがベースになって、現在の七五三になりました。当時は数え年でお祝いしていたはずですが、今では満年齢でする人も多いみたいですね。ちなみに珍獣様は数え年でやりましたよ。振り袖着せられましたよ。古い女なんですよ、ええ。
数え年ってなんですか?
 今では、うまれたばかりの子供は 0 歳で、誕生日を迎えると、満 1 歳となります。けれど、昔の数え方では、生まれたばかりの子どもは、母親のお腹の中で一年すごしているわけですから一歳となります。その後は誕生日ではなく元旦を境目にして年を重ねることになっていました。ゆえに、数え年というのは、満年齢に 1 歳足した年齢であることが多いです。

 ところが、12月31日生まれの子供は、生まれたその日は一歳で、翌日の元旦からは二歳になります。こういったケースでは満年齢と二歳の開きができることもあります。また、同じ年の一月生まれの子とは、一年近くの成長の違いがあるはずなのに、元旦を越すと同い年ということになるのは面白いですね。
千歳飴
 飴はとても古くからある食べ物ですが、七五三のときに食べる「千歳飴」という長細い飴は元禄年間(江戸時代)に浅草の七兵衛という飴売りが売り歩いたのが始まりだと言われてるらしいです。

神無月五日11月16日(火)友引己亥
 やあみんな、オレサマだぜ。さっそく占いだぜ。
 北極と南極、行けるとしたらどっちがいい?
 北極キボンの君は出世欲が高まってるぜ。尻尾もビンビン、ヒゲビンビン、頭の働きもビンビンで、オラオラ状態だぜ。でも働きすぎは禁物だぜ。過労死なんかしたてニュースになったら、ららがブログでネタにするかもしれないぞ。マタタビでも吸ってまたーりしる。南極キボンの君は生命欲が高まっているぜ。とにかく生きる、生きて生きて逝きそびれて、尻尾がふたまたに別れちゃってもやっぱり生きたいって感じだぜ。健康のためにサプリメントってやつを飲んだり、チバレーとヨガでクネクネしたり、人から健康オタクと呼ばれるデクノボーって感じの君だけど、交差点を赤信号でわたってトラックにはねられたりするかもしれないから要注意だぜ。

 え、今月のネタなしデーは今日で終わり? なんだよ、オレサマはりきってたのになー。そういうことで、オレサマ占いはこれでおしまい。じゃ、みんな、またどこかで会おうぜ。シーユー。

神無月六日11月17日(水)先負庚子
蓮根の日
 1994年(平成6年)の今日、全国の蓮根産地の代表が集まって蓮根サミットが開催されました。そのことを記念して、今日は蓮根の日。蓮根はハスの地下茎で、穴が開いていることから見通しがよいという縁起ものになっています。

神無月七日11月18日(木)仏滅辛丑
ミッキーマウスの誕生日
 なんでかよくわかんないけど今日はミッキーの誕生日ってことになってるらしい。ネズミのくせに世界中の子供たちから誕生日をお祝いしてもらえるなんて生意気だ。ちなみに珍獣様はディズニーはきらいじゃないがミッキーはわりと嫌いなんだよ。理由はとくにないんだけど、昔からミッキーとドナルドダックは好きになれないんだなあ。

しし座流星群極大
 地球に 33年周期で近づくテンペル・タットル彗星が残してゆく塵が燃えて流れる現象ですので、彗星が残して行った塵が減ってくると流星の数も次第に減ってきます。そろそろだいぶ下火になってますが、まったく見られないわけではないみたいですよ。

神無月八日11月19日(金)大安壬寅上弦
一茶忌
 1827年(文政10年)の今日、俳人の小林一茶が亡くなりました。享年65歳。
 一茶というと「我ときて遊べや親のない雀」とか、小動物の俳句ばっかり有名で、きっと心優しい人で、穏やかな一生を終えたんだろうなーなんて思ってる人は多いのでは?
 ところが生い立ちを調べるとそうでもないんですよ。産みのお母さんが亡くなって、お父さんが迎えた後妻さんとうまくいかなくて、15歳で江戸に働きに出ました。その後お父さんが亡くなって故郷にもどりますが、後妻さんとその息子との間で遺産相続の争いをえんえんと続け、心の安まる暇もなかったようです。遺産争いにやっと決着がついたと思うと、奥さんと子供をあいついで亡くたり、大火で焼け出されるなど波乱つづきの人生だったようです。「是がまあついの栖か雪五尺」とか「めでたさも中位なりおらが春」なんかを見ると、かなりぼやき系ですよね。

神無月九日11月20日(土)赤口癸卯
毛皮の日
 11(いい)20(ファー)の日だそうですが、この語呂合わせはかなり苦しくないですか。

神無月十日11月21日(日)先勝甲辰
インターネットの日
 1969年(昭和44年)の今日、アメリカでインターネットの元型であるARPAネットの公開実験が開始されました。こんな昔からあったんですねー。

神無月十一日11月22日(月)友引乙巳
 今日は二十四節気のひとつ小雪です。そろそろ雪がちらつく地方もありそうです。

ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を通過
 1497年の今日、ポルトガルの航海家ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を通過しました。翌年の5月にはインドのカリカットに到着しました。アジアには香辛料などのすばらしい資源がありましたが、ヨーロッパから陸づたいでゆくには、途中にイスラム教の国があり、大変危険をともないました。そのためアフリカ大陸を迂回して東へ向かう航路の発見はヨーロッパ諸国にとって大事件だったのです。

神無月十二日11月23日(火)先負丙午
勤労感謝の日
 今は勤労を尊び生産を祝い国民が互いに感謝し合う日、ということになっていますが、戦前は新嘗祭(にいなめさい)と呼ばれ、新米を神さまにそなえて収穫を神に感謝する日でした。

神無月十三日11月24日(水)仏滅丁未
白いゴリラ死す
 2003年の今日、スペインのバルセロナ動物園で飼育されていた白いゴリラ・コピートデニエベ(「雪の一片」という意味)が死亡しました。しばらく前から皮膚癌で苦しんでおり、これ以上の治療は苦しみを長引かせるだけと判断、安楽死させたとのことです。
 コピートデニエベはローランドゴリラのアルビノで、赤道ギニアで捕獲され 1966 年 11 月にバルセロナにやってきました。当時 2〜3 歳だったと推測されています。バルセロナ動物園で 37 年飼育されたので、だいたい 40 歳くらいだったと考えられます。
 ゴリラ飼育の世界記録がどのくらいかよくわからないんですが、40 歳というのは、普通のゴリラでもかなり長生きした部類に入るのではないかと思います。3頭の奥さんとのあいだに 22 匹の子供をもうけましたが、みな普通のゴリラと同じく黒い毛色だったということです。
 珍獣様がバルセロナに行ったのは15年くらい前のことでしたが、黒い奥さんや子供たちに囲まれて、彼の真っ白な毛色がひときわ目立っていました。
神無月十四日11月25日(木)大安戊申
ハイビジョンの日
 ハイビジョンの走査線が 1125 本であることにちなんでいるそうです。ハイビジョン普及のために郵政省(今の総務省)が制定したそうです。

神無月十五日11月26日(金)赤口己酉
三の酉
 (二の酉 よりつづく)それから時代が少し下って、日本武尊(やまとたけるのみこと)がまつろわぬ民を成敗していた頃、鷲神社をおとずれて熊手をささげて戦の勝利を祈願しました。その後、戦の勝利して、お礼参りにおとずれた日が十一月の酉の日だったということで、熊手が縁起物となったそうです(なんでよりによって熊手なのか、いまいちよくわからないし、コジツケくさい話だなー)。
 そんなわけで、酉の市の歴史は古く、昔は旧暦十一月にやっていたのでしょうが、今は新暦の 11 月の酉の日におこなわれます。最初の酉の日を一の酉(いちのとり)、二回目を二の酉といいますが、年によっては 11 月中に三回目の酉の日が来ることがあります。そういう年は火事が多いってよく言いますね。火の元にはご注意を。
関連サイト>浅草の鷲神社
 オトリサマは「otorisama.or.jp」を持ってるのか、やるなあ。鷲神社の由来、熊手の由来はこのサイトを参考にしました。酉の市クイズなんかもあって、丹念に見ると面白そうですよ。酉の市は、0 時から 24 時まで一日中ぶっつづけで開かれるそうです。なお、二の酉は 11月20日 です。
 鷲神社または大鳥神社は各地にあります。酉の市のしきたりも各地でいろいろあるかもしれないので、みなさんも近くの神社のことなど調べてみると面白いかもしれませんよ。

神無月十六日11月27日(土)先勝庚戌望(満月)
ノーベル賞制定記念日
 1901年(明治35年)の今日、ノーベル賞の第1回授賞式が行われた。ノーベル賞というのは、ダイナマイトを発明したノーベルの遺志により作られた賞です。ノーベルはダイナマイトにより莫大な富を得ましたが、平和利用を希望していたのに戦争に使われたことを悔いて、自分の財産を人々のために役立てたいと考えました。そこで、彼の遺産を元にした基金の利子を賞金として、人類に貢献した人に賞を与えることにしました。

神無月十七日11月28日(日)友引辛亥
太平洋記念日
 1520年(永正十七年)の今日、ポルトガルの航海者マゼランが、マゼラン海峡をとおってはじめて太平洋に出た日です。マゼラン海峡というのは南アメリカ大陸の南端とフエゴ島との間にある海峡で、いちばん狭い部分で幅が 3Km しかなく、強風にはばまれる難所とされていました。太平洋という名前をつけたのもマゼランです。海峡を通過してからは穏やかな天候にめぐまれたため、太平な海という意味で名づけられました。
 同じくポルトガルの ヴァスコ・ダ・ガマ は東回りでアジアへ向かう航路を発見しましたが、マゼランは西回りの航路を開拓した人です。

神無月十八日11月29日(月)先負壬子
さよならトキワ荘
 1982年の今日、トキワ荘が老朽化のため取り壊されました。古くさいアパートなんですが、ここには手塚治虫が仕事部屋を借りていたことから、若い漫画家たちが集まって住むようになったのだとか。石森章太郎(後の石ノ森章太郎)、藤子不二雄(後にFとAに分離)、赤塚不二夫などがこのアパートで修行して有名になりました。

神無月十九日11月30日(火)仏滅癸丑
 新暦11月も終わりです。来月はいよいよ12月ですぞ。

神無月廿日12月1日(水)大安甲寅
映画の日
 今日は映画の日ということになってるんですが、今日この日に何かがあったわけじゃないみたいです。
 1896年(明治 29年)11月25日、神戸で日本初の映画の一般公開が行われましたが、その 60年後の 1956年(昭和 31年)に映画産業団体連合会が 12月1日を映画の日と制定したものだそうです。わかりにくーい。

 映画の日といえば、昔は年に一度しかなくて、それが平日にあたろうが日曜であろうが入場料が半額になる日だったんですが、十五年くらい前にそのつもりで映画を見に行くと、どこもかしこも通常料金で営業していて、
「今日は映画の日じゃないですか〜(T-T)?」
と、館の人に聞いたら
「映画ファン感謝デーなら 3月、6月、9月、12月の第一日曜ですよ?」
と、言われてしまったとゆう悲しい過去があったりする。
 そういう重要な日は変えるなよ!!!!

 …という苦情が殺到したかどうかはわからないけど、現在は感謝デーの決まりがまた変わって、3月1日、6月1日、9月1日、12月1日の年四回(平日・日祝日問わず)は入場料が大人1000円になります。でも、すべての映画が割引になるとは限らないので見に行く前に映画館に電話して聞くといいかもです。
 あと、東京だと毎水曜日がレディースデーになってる映画館が多いです。女の人だけ入場料が大人1000円になります。
地上波デジタル放送開始
 2003年の今日、午前11時ちょうど、地上波デジタル放送がはじまりました。今はまだ東京・大阪など主要都市のみですが、2006年には日本全国で放送が始まります。でもデジタル放送って専用のテレビでしか見られないのよね。
 従来のアナログ放送もしばらく続けられて、 7 年後の 2011年にはデジタル放送のみになるってことです。ってことはいずれテレビを買いかえないとダメなのか。そんなお金ありませんって(涙)

神無月廿一日12月2日(木)赤口乙卯
日本人初の宇宙飛行
 1990年(平成2年)の今日、TBSの秋山豊寛記者を乗せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられました。
 秋山さんのことを「あの人は宇宙飛行士じゃないから」と言って、この出来事を評価しない人もいるようですが、そんなことは分かり切った上でわたくしはすごい出来事だったと思います。彼は宇宙飛行士になるために勉強してたわけじゃないし、軍人さんのように常に体を鍛えてたわけじゃない。健康だけがとりえの普通のオジサンだったんです。それでも宇宙へ行けたってことは、わたくしたちもお金さえあれば宇宙へ行けちゃうかもしれないってことでしょ。すごくない普通の人が行ったことに意味があるんです。そう思いません?

神無月廿二日12月3日(金)先勝丙辰
カレンダーの日
 明治5年(1872年)の旧十二月三日は、太陽暦の採用により明治6年(1873年)の1月1日になりました。このことを記念して、今日はカレンダーの日ということになってるそうです。ちなみに、太陽暦採用記念日は11月9日です。明治5年の旧十一月九日に太陽暦が採用され、同年旧十二月三日から実施されました。

神無月廿三日12月4日(土)友引丁巳
聖バルバラの日
 紀元前3世紀ごろの今日、バルバラという少女が父親の手によって殺されました。当時のローマではキリスト教が禁じられており、バルバラは父親の目を盗んで洗礼をうけたため処刑されることになりました。
 バルバラは地主であり貿易商でもあるディオスクルスのひとり娘としてエジプトのヘリオポリスの街(一説によれば小アジアのニコメディア)に生まれました。美しいバルバラに言い寄る男は多く、父親は娘に悪い虫がつかないように塔に閉じこめて育てました。
 お嬢様の世話をまかせられた侍女はキリスト教徒でした。バルバラは侍女の話を聞くうちにキリスト教に帰依するようになり、父親の留守に洗礼をうけました。怒った父親は娘を斬り殺そうとしましたが、天使が現れて娘を遠い山へ逃がしてくれました。
 バルバラは人里離れた山で静かに暮らしていましたが、羊飼いたちが娘を見つけ父親のディオスクルスに引き渡そうとしました。バルバラが父親に連れ戻されると、山で放牧中だった羊が一頭残らずイナゴにかわり、飛びさってしまいました。
 ディオスクルスは異教に転んだ娘を役人に引き渡しました。バルバラは黄桃の枝を手折って壺に活けると、総督のマルキアノスのもとへと連行されていきました。  マルキアノスはバルバラを拷問にかけ、キリスト教を捨ててローマの神を信じるように迫りました。バルバラは信仰を捨てず、彼女が祈ると不思議なことに拷問の傷が見る間に治っていきます。時には剣で切りつけられたこともありましたが、彼女は死ぬことはありませんでした。傷つけることができないのならと、裸にして人前で鞭打つ刑に処せられることになりましたが、バルバラが祈ると天使達がやってきて、雲で彼女の裸体を隠しました。
 バルバラがキリスト教を捨てようとしなかったので、マルキアノスは父親に娘の首を切るように命じました。父親のディオスクルスは大きな刀をふりあげて、バルバラの首を切り落としました。すると突然、落雷があり、ディオスクルスは雷に打たれて死んでしまいました。バルバラが死んだその時、彼女が投獄される前に壺に活けた黄桃の花が開いたと言われています。
 ヨーロッパでは聖バルバラの日に麦を水にひたしクリスマスまでにどれだけ発芽するかで翌年の麦の豊作を占うそうです。また、聖バルバラの日に降る雪を、白い衣装のバルバラと呼び、雪の多かった年は暖冬だとか、翌年は豊作になるとか、さまざまな言い伝えがあるということです。

神無月廿四日12月5日(日)先負戊午下弦
バミューダ・トライアングルの日
 1945年(昭和20年)の今日、アメリカのフロリダ州沖、マイアミ、プエルト・リコ、バミューダ島を結ぶ三角形の海域で、アメリカ海軍第 19 飛行小隊が失踪、捜索にあたった飛行機も次々に失踪するという怪事件が発生しました。行方不明になった飛行機は残骸すら発見されず、その後もこの海域で同じような失踪事件が多発したため、魔の三角地帯バミューダ・トライアングルとして有名になりました。
 次元のゆがみがあるのではないか、UFO に撃墜されたのではないかなんて、いろいろ言ってますが、最近だとメタンハイドレード説が有力になってるみたい。海の底でシャーベット状に固まっているメタンが何かのきっかけで一気に気化してわき上がり、海上のものを海の底に引きずり込んでしまうことがあるらしいです。
 諸説ありますが、バミューダ・トライアングルでの失踪事故そのものがかなり脚色されている可能性もあって、真実はまったくの闇の中らしいんですけどね〜。

神無月廿五日12月6日(月)仏滅己未
音の日
 1877年(明治10年)の今日、エジソンが自作の蓄音機で録音と再生に成功しました。なので今日は音の日。エジソンの蓄音機は円筒状の物体に蝋を塗り、音で振るわせた針で蝋管をひっかくだけという簡単な作りのもので、材料さえそろえれば小学生でも作れそうなものです。大人の科学にもエジソン式蓄音機のキットがあるので偉大なる発明家に思いをはせつつ作ってみるのも楽しいかも。詳細は このへん から探してみてね。

神無月廿六日12月7日(火)大安庚申
大雪
 二十四節気のひとつ大雪です。冬も深まり地方によっては雪の日が増える頃。寒いですが頑張りましょう。

庚申
 庚申と書いて「こうしん」または「かのえさる」と読みます。
 六十日に一度めぐってくる日です。この日は体の中に住んでいる三尸(さんし)という虫が出てきて「こいつはこれこれこういう悪いことをしました」と閻魔大王に報告に行くといわれてます。誰だってささいな過ちをおかすもの。そんなこといちいち報告されたら世の中の人は全員地獄行きです。それじゃ困るので今日だけは寝ずに朝を迎えます。平安時代に日本にひろまった行事で、仏教では帝釈天をまつるお寺に縁日がたったりします。神道だと猿田彦(さるたひこ)と関係のあるお祭りになってます。

 珍獣様の住んでるところでは、柴又の帝釈天(「寅さん」で有名なところね)で庚申のお祭りをします。ちょうど土曜日だし、この日はご本尊さまのご開帳もあるのでお近くの方はぜひどうぞ。柴又の帝釈天は木像じゃなくて、黒い石版に線刻されたものです。門前には縁日の屋台も出るし、庚申とその他のお祭りの日にしか開かない草団子屋なんかもあります。

 帝釈天は申(さる)と関係のあるところですが、映画『男はつらいよ』の主人公は「寅(とら)」さんなんですよね。十二支をまるく円を描くように配置すると、申と寅は正反対の位置にいます。申年の人は寅年の人、寅年の人は申年の人と関わりが深いって昔からいいますけど、やっぱりそこらへんから名前を決めたんでしょうか。

神無月廿七日12月8日(水)赤口辛酉
新暦の事納め
 今日は事納めといって、その年の農作業を終えることを祝う日です。昔は旧暦の十二月八日の行事でした。お正月を迎える準備を始める日でもあります。

新暦の針供養
 事納めなので、女性も縫い物などの普段の仕事を一段落させる日だったのだと思います。といっても、炊事や洗濯、縫い物などの女の仕事には休みなんかありっこないんですけどねー。それはともかく、事納めなので、いつもいつも固い布を貫いてがんばっている針を、豆腐や蒟蒻などのやわらかいものに刺して供養するのが針供養です。淡島神社、粟島神社、淡路神社などという名前の神社でやってることが多いです。淡島神(あわしまのかみ)という神様を祀った神社です。
 淡島神は女の人の病気をなおしたり、裁縫仕事の上達を手伝ってくれたりする神様です。由来はいくつかありまして、
1. イザナギ、イザナミの二番目の息子。最初の子は蛭子(ひるこ)で、次の子が淡島(あわしま)。どちらも出来損ない(?)で海に流された。
2. 海の向こうから来た少彦名神(すくなひこなのかみ)の別名。粟(あわ)の穂にはじかれて常世の国へ行ってしまったことから。
3. 住吉神の奥さん←なんで淡島と呼ばれるのか理由は良くわからないが、この神様は住吉のほうから海を流れてきて女性の守護神となったらしい。流し雛のルーツとも言われる。
…と、それぞれ別の由来に見えますが、みな海を流れてきたという点で一致しているようです。ちなみに針供養は二月八日にする地方もあります。

 ところで、埼玉では、十二月八日と二月八日(どちらも針供養の日)にひとつ目の鬼が来るといわれており、庭先に背の高い棹をたてて、その先に笊(ざる)をかかげて鬼をおっぱらうそうです。笊には目がたくさんあるので、ひとつ目の鬼よりも強いというわけです。ふと思いついたのですが、ひとつ目の鬼と、針には共通点がありますね。どちらも目(孔)がひとつ。針は金属でできているし、金属を扱う職業と言えば鍛冶屋さん。日本の鍛冶屋の神様は天目一筒命といって、名前のとおりひとつ目だと言われてます。

神無月廿八日12月9日(木)先勝壬戌
p>漱石忌
 『吾輩は猫である』『坊ちゃん』などで有名な小説家・夏目漱石の命日。
 漱石って「負け惜しみ」という意味だって知ってた? ある人が「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまったのに間違いを認めず、「石にそそぐのは歯を磨くためだし、流れに枕するのは耳を洗うためだもんっ」と言いはったという中国の故事からとった名前です。

神無月廿九日12月10日(金)友引癸亥
三億円事件
 1968年(昭和43年)の今日、白バイ警官に扮した何者かが輸送中の三億円を盗んで逃走するという事件が発生しました。この三億円は東京都府中市の東芝工場の従業員に支給されるボーナスだったということです。
 犯人は警官のふりをして輸送中の車に近づき「爆弾が仕掛けられている可能性があると通報があったので調べます」といい、車に乗っていた銀行員を遠ざけて、そのまま輸送車を奪って逃げました。銀行員たちは車が走り去るまで自分たちが騙されたことに気づかなかったといいます。
 結局この犯人は、誰かを武器で脅したり、傷つけたりすることもなく大金を盗み出したので、これほどの大事件にもかかわらず、仮に捕まったとしても罪としては軽い窃盗罪で裁かれることになります。その手口は悪事とはいえあまりにも鮮やかでした。
 一体犯人は何者で、なんのために大金を盗んだのでしょうか。輸送中の紙幣はナンバーがひかえられており、犯人がお金を使えばどこかで発見されるはずですが、現在にいたるまで一枚も発見されていません。事件から7年後に時効が成立し、36年後の現在でも、犯人は捕まっていません。

神無月卅日12月11日(土)先負甲子
百円玉記念日
 1957年(昭和32年)の今日、百円硬貨が発行されました。それまでは板垣退助の肖像が印刷された紙幣でした。当時の100円玉は表に鳳凰、裏に桜がデザインされていました。昭和34年に稲穂のデザインの硬貨に変わりました。現在のデザインになったのは昭和42年のことです。

霜月一12月12日(日)大安乙丑朔(新月)
漢字の日
 12/12 いい字、一字の語呂合わせで1995年に制定されました。毎年、世相を表す一字を公募で決定し、この日に清水寺で発表されます。去年は「虎」でした。今年は何に決まるでしょうか?

霜月二12月13日(月)赤口丙寅
松迎え・煤払い
 門松用の松を伐りに行く日です。また、正月に使う薪もこの日に集めてくることになってます。江戸時代の中頃まで使われていた暦は十二月十三日(旧暦)の二十八宿が必ず「鬼」になるように作られていました。二十八宿というのは月の通り道のことです。鬼だなんてずいぶん恐そうな宿ですが、意外なことに結婚以外の何をしてもよい吉日だと言われてます。そこでこの日がお正月の準備を始める日に選ばれましたが、後に暦の仕様が変わり、十二月十三日と鬼宿が一致しなくなりました(さらに太陽暦になり、旧暦の日付ともずれちゃってるんですけどね)。
 また十二月十三日は江戸城で煤払いを行う日でもありました。これに習って普通の家でも煤払いをしていたようです。今では神社仏閣でこの日に煤払いをしているところがあります。

聖ルチアの日
 紀元304年の今日、聖女ルチアが処刑されました。ルチアはシラクサの生まれで、それなりに裕福な家の生まれでした。母親が重い病気にかかり、聖女アガタの墓にお参りすると病が治るという噂をききシシリア島に渡りました。そこでアガタのお告げを聞き、母親の病もすっかり癒えたため、キリスト教に帰依したと言われています。
 ルチアには婚約者がいましたが、彼女はこの世での幸福を望まず、信仰と奉仕に専念する決意をして婚約者に別れを告げました。ところが、彼はルチアの美しい瞳を忘れることができずに苦しんでいました。そこでルチアは自らの眼をくりぬいて彼に渡たと言われています。その気持ちが神に通じ、くりぬいたはずの眼はたちまち癒えて元通りになりました。
 それからのルチアは自分の財産を少しずつ使って貧しい人々を助ける仕事にはげみました。彼女に財産があるうちは、なにくれとなく協力してくれる人もいましたが、やがて彼女が無一文になると協力者のひとり(婚約者だったとも伝えられています)が、ルチアがキリスト教徒であることを役人に密告するのでした。
 当時のイタリアはローマの支配下にあり、時の皇帝ディオクリティアヌスはキリスト教を禁じ、信者を迫害していました。ルチアは激しい拷問にかけられましたが信仰を捨てなかったので、とうとう処刑されてしまいました。
 ルチアという名前は光を意味していることから、きらめくガラスを作る職人たちの守護者ということになっています。また自らの眼をくりぬいたことから、眼に関係する病を癒すと言われています。

霜月三12月14日(火)先勝丁卯
南極の日
 1911年(明治44年)の今日、ノルウェーの探検家・アムンゼンと4人の隊員が世界で最初に南極点に到達しました。イギリスのスコット隊より一カ月も早い到着でした。彼が南極点到達に成功したのは、馬ではなく犬ぞりを導入したことなどがあげられるそうです。彼はカナダで現地人から犬ぞりの使い方を習って極地での移動に備えたそうです。今では常識的なことでずが、当時としては画期的な発想でした。
 その後アムンゼンは飛行船で北極点を通過するなどの探検活動を続けますが、1928年、北極圏で遭難した別の探検隊を捜索中に行方不明になってしまいました。

四十七士討ち入り
 ご存じ忠臣蔵。1702年(元禄15年)の今日、赤穂の浪士たち47人が吉良邸に討ち入って主君の仇を討ちました。
 浪士たちの主君である浅野内匠頭は、江戸城出仕のおりに吉良上野介に愚弄され、思わず刀に手をかけてしまいます。江戸城内で刃傷沙汰をおこしかけたわけですから、浅野内匠頭は切腹、お家はお取りつぶしになってしまいました。これに腹をたてた赤穂藩の浪士47人は、本所の吉良邸におしかけて吉良上野介を殺害します。
 浅野内匠頭は庶民に人気があり、浪士たちのしたことも一応は主人の仇討ちという名目でしたから人々の同情も集まりましたが、江戸城下での出来事とあっては幕府もほうっておくわけにもいかず、翌年の2月、全員に切腹命令が下りました。
 赤穂浪士の討ち入りといえば雪のちらつく夜と決まってます。でも12月の東京に雪なんか滅多にふりません。12月14日といっても旧暦の話なので、今の暦に換算すると一月末か二月はじめってとこじゃないでしょうか。この時期ならたまには雪がちらつくことがありそうです。

霜月四12月15日(水)友引戊辰
 今日から郵便局で来年用の年賀状の受付がはじまります。表に年賀と書いてポストに入れれば元旦に届きます。

霜月五12月16日(木)先負己巳
念仏の口止め
 正月は歳神様をお迎えする祭りですが、歳神様は念仏がお嫌いなんだそうです。明日から正月の15日まで念仏を唱えないので、今日は念仏納めの日なんだそうです。
 そういう説明はあっちこっちにあるんですけど、知りたいのはそんなんじゃなく、なぜ歳神様が念仏を嫌うのか、念仏の口止めの日に、何か特別なことをするのか、地方ごとにどんなしきたりがあるのか知りたいんですよぉ。  あのー、世の中のみなさん。自分では当たり前と思ってるようなことでも、よその地方の人から見ると「何ソレ、すっげーめずらしいよ!」というような言い伝えやしきたりがけっこうあるものなので、もし志があるようでしたら流行のブログなんかおはじめになって、お祭りの記録なんかしておいてくださるとうれしいなっと。念仏の口止めで検索すると、一字一句違わないコピペったみたいな文章ばっかり出てきちゃうこの状況に泣けてきます。ああなさけない。って似たようなことやってる自分がすげーイヤ。

霜月六12月17日(金)仏滅庚午
ライト兄弟初飛行
 1903年(明治35年)アメリカのライト兄弟が動力付きの飛行機で人類初の飛行に成功しました。おっ、するってえと今年は初飛行 100 周年なのか。へー。
 ちなみに、ライト兄弟の偉業は動力飛行機で成功したってことで、グライダーでの成功は 1896年の8月6日にリリエンタールが成し遂げています。
 実はそれより前に日本人の浮田幸吉(鳥人幸吉)が1785年(天明5年)にグライダーでの滑空に成功していたとも言われてます。幸吉が作ったグライダーの設計図は残っていないのですが、竹で作った骨組みに和紙を貼って作ったと伝えられています。幸吉の他にもグライダーで空を飛んだと言われる人の記録が世界中にあるそうで、人間はけっこう昔から空を飛んでたのかもしれません。

霜月七12月18日(土)大安辛未
東京駅の日
 1914年(大正3年)の今日、東京駅の完成式が行われました。
 東京駅といえばオランダのアムステルダム中央駅を模して作られたという話が有名ですが、どうやらその話自体が都市伝説らしいのですよね。どちらも赤煉瓦造りでぱっと見よく似ていますが、模して作ったというような記録は残っていないそうです。

霜月八12月19日(日)赤口壬申上弦
日本初飛行の日?
 1910年(明治43年)、日本で日本人が操縦する飛行機が初めて空を飛びました。この時操縦科の握っていたのは徳川好敏工兵大尉で、のっていた飛行機はフランス製のファルマン機でした。飛行会場は所沢を予定していましたが、滑走路になりそうな場所で芋を作っていたために注し、代々木錬兵場(現在の代々木公園)で行われました。飛行時間は4分、最高高度は70m、飛行距離は3000mだったそうです。

 きちんと記録に残る形での初飛行はこの日ってことになってますが、桜屋幸吉という人が江戸時代(1785年)に竹の枠に和紙を貼って作ったグライダーで空を飛んだと言われています。幸吉は「人を騒がせた罪」をきせられて岡山から所払い(つまり追放)とされてしまいました。

霜月九12月20日(月)先勝癸酉
シーラカンスの日
 今日はシーラカンスの日なんですが、何を記念した日なのか資料があやふやでびみょーです。たぶんシーラカンスの本格的な学術調査が始まった日なんだと思うんですけど(汗)

 シーラカンスは化石でその存在が知られた古代魚で 7500万年前に絶滅したと思われていました。ところが、1938年(昭和 13 年)12月22日、南アフリカのイーストロンドン沖で生きたシーラカンスが漁師の網にひっかかったというので大騒ぎになったそうです。

 それから、14 年後の 1952年(昭和 27 年)に、アフリカのマダガスカル島沖でシーラカンスが再び捕獲されました。すでに存在は確認されていましたが、本格的な学術調査が始まったのはこの年のことです(それが12月20日のことだったんだと思うんですが、今いちハッキリしません)。

 ところで、シーラカンスって今でもまだ生きてると思います? 生きた個体が発見されたのだって、もう何十年も昔じゃないですか。ひょっとして、すでに絶滅してたりして…と思って検索してビックリ。1998年というからつい最近のことですが、インドネシアのスラウェシ島近海で生きたシーラカンスが捕獲されたそうです。
 まだ生きてたってのもビックリなんですけど、アフリカじゃなくてインドネシアですよ。現地では「ラジャ・ラウト(海の王様)」と呼ばれていて、普通に売り買いされてたらしいですよ。
 でも、アフリカのシーラカンスと同種かっていうと微妙で、近い仲間の別種として扱うべきだと言われてるみたいです。詳しくは> google 

霜月十12月21日(火)友引甲戌
冬至
 冬至は北半球で昼が一番短くなる日です。
 冬至にする行事はいろいろありますが、有名なところでは柚子湯に入ったり、カボチャを食べたりすることでしょうか。
 柚子湯は家でも楽しめるけど、全国のお風呂屋さんでもやってるはずなので、たまには大きなお風呂に入りに行くのも楽しそう。寒いから湯冷めには気を付けて。
 外国でも冬至は重要な日です。クリスマスも、もとは冬至のお祭りだったものを「12月にキリスト教のお祭りがないのでキリストの誕生日ってことにしてお祝いしよう」と決められたものだそうです。ブッシュ・ド・ノエルってケーキがあるじゃないですか。あれは冬至の日に、早く太陽の力が元にもどりますようにとお祈りしながら火にくべた薪をかたどったものだそうです。

柚子湯の作り方
 こんなもんに決まった作り方はないのですが、いくつか紹介します。
 まずは豪華版。柚子を 20 個ばかり用意して、それぞれに包丁で十文字に切れ目を入れます。手ぬぐいで袋を縫って柚子を突っ込んで口を紐でしばります。これを熱いお風呂に入れるだけ。袋をもみもみしながら湯船であったまりましょう。いい香りですよ
 柚子は高いからそんなに買えないって人は多いはず(珍獣様もそんな豪華な柚子湯は一度しかやったことないです)。そういう場合は柚子を 2 個くらい(5〜6 個あったらもっといいですが)輪切りにして、洗面器に熱湯をそそいで浮かべてお風呂場においときましょう。お湯がさわれるくらいまで冷めたら、手ぬぐいかガーゼで作った袋に輪切りの柚子を詰めて口をしばって湯船にボチャン。もちろん洗面器のお湯も捨てずに湯船に入れてください。それなりに楽しめます。

霜月十一12月22日(水)先負乙亥
シーラカンスの生存が確認される
 1938年の今日、南アフリカのイーストロンドン近くのチャルムナ川沖でシーラカンスの生存が確認されました。

霜月十二12月23日(木)仏滅丙子
天皇誕生日
 1933(昭和8年)の今日、皇太子明仁親王が生まれました。明仁親王というのは現在天皇をやってる人です。昭和天皇の息子さんですね。そんなわけで今日は休日。

霜月十三12月24日(金)大安丁丑
クリスマス・イブ
 クリスマス・イブというのは、クリスマスの夕方(イブニング)のこと。あたかもクリスマス前夜祭のように言われてますが、イエス・キリストのふるさとイスラエルの昔の暦では一日が日没から始まるので、24日の夕方は、25日の始まりってことになります。
 でも、イエスがいつ生まれたか、聖書にはハッキリ書かれてないんです。手がかりになることといえば、マリア様が身ごもっていた頃、大々的な人口調査があって、人々が生まれた町や村に大移動したこと、羊飼いたちや、宿にあぶれた人たちが荒野で「野宿」をしていたことです。砂漠の国は夜になると想像以上に冷え込むし、12月に野宿なんてかなり無理があるそうです。
 冬至 のところでも書きましたが、この日がキリストの誕生日だと言われるのは、12月にキリスト教のお祭りが少ないので、ヨーロッパで昔からしていた冬至のお祭りをキリストの誕生日ってことにしちゃったからです。キリストの誕生日は(ハッキリわかりませんが)、農作物の収穫が終わったあと、寒くなる前の秋ごろというのが有力な説です。でも今となっては年末のこの時期、クリスマスが来ないとなんか落ちつきませんね。

 ところで、クリスマスはキリスト教のお祭りですから、イスラム圏の国々ではクリスマスを祝いません。でも、こないだ読んだ本によると、トルコのデパートにはこの時期サンタクロースが出没するんだそうです。サンタクロースのモデルになったと言われるセント・ニコラウス司教はトルコの人なのです。この人は貧乏ゆえに人買いに売られそうになっていた子供に金貨をあたえて救ったり、飢饉で困っている人を助けるなどしました。キリスト教の偉人なので、特別に尊敬されたりはしてないのかもしれませんが、デパートの販売促進用キャラとしてイスラム圏のトルコでも活躍しているそうです。

霜月十四12月25日(土)赤口戊寅
昭和の日
 1926年(大正15=昭和元年)の今日、大正天皇が崩御しました。つまり今日から昭和になったってことです。

霜月十五12月26日(日)先勝己卯
聖ステパノの日
 聖ステパノ(ステファノ)はイエス・キリストと同時代の人で、ギリシア語を話すユダヤ人でした。イエスが昇天して何年かすると、キリスト教は信者も増えてイエスの十二人の弟子たちだけでは集団を管理するのがとても大変な状態でした。教団では未亡人たちに日常品を配給していましたが、ヘブライ語を話す信者たちが多くとり、ギリシア語を話す信者たちが配給にあずかれないということもあり、トラブルがたえませんでした。そこで配給品を管理する者としてステパノと数人の信者が選ばれました。
 彼はとてもまじめに働きましたが、ある時キリスト教に反対するユダヤ人たちに憎まれ、あらぬ罪をきせられて役人に引き渡されてしまいます。ステパノは石打ちの刑にしょせられて亡くなりました。

# 26日はステファノ殉教の日なのでしょうか。ハッキリ何があった日だと書いてある資料を見たことないんですけど。

ボクシングデー
 殴り合いをする日ではなくて、Boxing Day プレゼントの箱を開ける日です。イギリスでは公休日にあたります。クリスマスにカードやプレゼントを届けてくれた郵便配達の人にプレゼントをする日でもあります。

霜月十六12月27日(月)友引庚辰望(満月)
 今日は満月でーす。

使徒ヨハネの祝日
 教は聖ヨハネの祝日ってことになってます。でもヨハネが何をした日なのかはよくわかりません。たぶんなんかの記念日ってわけじゃないんでしょう。

 聖ヨハネはイエスの十二使徒のひとりです。もとは漁師で網の手入れをしている時にイエスと出会って弟子になりました。十字架にかけられるイエスは、母親のマリアの世話をヨハネに頼んだとも言われてます。

霜月十七12月28日(火)先負辛巳
チャイルドマス
 イエスは「やがて偉大なる王が生まれてユダヤ人を救う」という預言のとおりに生まれてきました。東方の三賢者たちは空に救世主誕生のしるしを見てイスラエルにやってきて「ユダヤの王となられる方はどちらにおいでですか」とたずねました。これを聞いたヘロデ王は自分の地位を脅かす者が生まれたのだと思い、ベツレヘム周辺の幼子おすべて殺すように命令しました。
 イエス自身は両親とともにエジプトに逃れて無事でしたが、殺された多くの幼子のためのミサを行う日が今日です。

# 今月はクリスマスの月なのでキリスト教関係の伝説を多めに拾ってみましたが、日付と伝説がむすびついてない祝日はいまいちおもしろみに欠けますね。

霜月十八12月29日(水)仏滅壬午
イギリスでコーヒー禁止令発布
 1675年の今日、イギリスでコーヒー禁止令が発布されました。酒やタバコならともかく、コーヒーを禁止って一体なぜでしょう。
 コーヒーはヨーロッパにない飲みのもでしたが、ローマ法王が「コーヒーはキリスト教徒が飲んでもよいものである」と宣言するとたちまち普及しました。街にはコーヒーハウスが作られ、市民がこぞって飲みに来るようになりました。無用に人が集まると治安が悪くなるという理由で、時の国王チャールズ二世はコーヒーハウスを閉鎖するように命令しました。
 こういった禁止令はイギリスだけでなくドイツでも発布されました。コーヒーは輸入品なので、通過の流出で経済状態が悪くなるのを防ぐためでもあったと思います。

霜月十九12月30日(木)大安癸未
お正月の松飾りはいつ飾ればいいの?
 伝統的には 12月13日 の松迎えに飾るものだそうです。でも、最近はお正月の前にクリスマスがあるので、そんなに早くからお正月の準備をするのもなんだか変な気持ちですよね。クリスマスの飾りをかたづけたあと、28日ごろまでに飾り付けるのが標準みたいです。29日は9が苦に通じるので苦立てといって嫌われます。31日に飾るのは一夜飾りといって、一夜で慌てて飾り付けるなんてお葬式みたいだといって嫌われます。
 今日は30日。ちょっと出遅れ気味ですが、特別なんの障りもない日なので松飾りをする最後のチャンスかもしれませんよ。

霜月廿日12月31日(金)赤口甲申
大晦日(おおみそか)
 晦日(みそか)というのは三十日のことです。旧暦の一カ月は二十九日または三十日なので月の最後の日ってことです。晦は「つごもり」と読むのですが、陰暦は月の満ち欠けを基準にして作られていますから、毎月必ず新月から始まって、中頃で満月になって、月末にはまた月が見えなくなってしまいます。月がどこかにこもって見えなくなってしまうから月ごもりつごもりという言葉になり、それが月末を意味するようになったと言われてます。

 さて、大晦日に蕎麦を食べるのは、江戸時代中期に始まったものだそうです。なぜ蕎麦を食べるかといえば、蕎麦の長さと末長い健康、末長い幸せなどが通じるからだってよく言いますよね。他に、蕎麦がうどんよりもろくて切れやすいので、過去の悪いものを断ち切って新たな気持ちになるという意味だとか、金箔職人が金箔の屑を集めるのに蕎麦粉を使ったことにもちなんでいるそうです。
 金箔職人説はあっちこっちで聞くんですけど、わたくし的には具体的にどうやって集めてるのか、さらに集めたものをどうやって使うのかが気になって気になってキモチワルイです。粉のまままいて使うのでしょうか。それとも水で練ったものでペチペチやって集めるんでしょうか。どちらにせよ蕎麦粉と混ざってしまうと思うんですけど、どうやって金だけより分けるんでしょう。ところが世の中の人たちは蕎麦粉で集めたって書いて満足してしまうらしく、その後職人たちがどうしてるのか追求せずに「へー」とかぬかすんですよ。それがまたキモチワルイわけです。ああ、イライラする。この件についてはそのうちなんらかの手を使って調べてみようと思います。現在11月30日であります。今日中に書いてしまわないとサイトにアップできません(笑)

 大晦日といえば除夜の鐘なんてのもあるわけです。人間の煩悩の数にあわせて108回撞くのが決まりです。一体何をどう数えて108かというと、これが、わかったような、わかんないような小難しい話なんですよ。
 ええと、仏教では、人間には六つの感覚があるってことになってます。見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触れて感じること、心で感じることの六つです。この六つがあるから人はいろんなことを望んで悩んだり迷ったりしてしまうわけです。この六つの感覚を六根といいます。富士山などの山にのぼるとき「六根清浄(ろんこんしょうじょう)」と言うのを聞いたことがある人も多いでしょうが、六根にまつわる迷いや悩みが消えますようにというような意味です。
 六根はそれぞれが三つの状態があるそうです。苦しい楽しいという極端な状態・苦しくない状態・楽しくない状態の三つです。苦しいのはいやだけど、苦しくないのは別にいいし、楽しいのはもっといいじゃんって思うんですけど、仏教ではぜーんぶが迷いもとだと考えるみたいなんです。楽しいことがあるから、楽しくなくなった時に苦しいってことなんでしょうか?? とにかく、六根に三つの状態があるので合計は十八です。
 さらに、十八の状態がそれぞれ染と浄という二つの状態に分けられるそうです。染というのは悩みに染まった状態で、浄というのは悟りすました状態です。えーーー、悟っちゃってるなら煩悩の数に数えるのは変なんじゃないのーって思うんだけど、これも数えるので合計三十六ってことになります。
 この三十六の状態が、前世にも今世にも来世にもあるので全部で百八ってことになるわけです。来世はともかく前世のものまで数えるなよって思うんですけどねえ。お釈迦様ってよっぽどの心配性なんじゃないかしら(^^;
 他に、十二カ月、二十四節気、七十二候を足すと百八になるので、煩悩の数ではなく一年間を象徴してるとも言うらしいです。


 ってなわけで一年続けたこのコーナーは今日で終わりです。かなり苦労してるわりに出来が粗くてイマイチでしたがご愛顧頂きましてありがとう。今後はここで集めた情報をもとに日記の下書きなどでさらに突っ込んで調べてみたりするかもしれませんし、しないかもしれないんだけど、そんなこんなで来年もよろしくね。




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