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この辺に季節の絵を入れる
 

平成十六年 西暦 2004 年 甲申(きのえさる)
水無月(7月17日〜8月15日) 壬申(節入り 立秋 8/7)
旧暦新暦六曜干支月・天文節気(雑節)祝日・行事等
水無月一日7月17日(土)赤口丁酉朔(新月)
 今日から旧暦の六月(水無月)で〜す。
 京都のほうでは祇園祭が行われる頃みたいですが、そっち方面に行ったことがないのでピンときません。日本ってなんだかんだ言って広いですわよ。その土地その土地で季節の風物詩はまったく違うんだから。

水無月二日7月18日(日)先勝戊戌
 中国のナゾナゾ。金をなくしたというけど、そいつはもともと金じゃない。さて何だ?[鉄(金を失うと書くから)]

水無月三日7月19日(月)友引己亥海の日 土用の入り
海の日
 今日は 7月の第三月曜日で海の日です。海の日は1996年(平成8年)から始まった国民の祝日で、最初は毎年 7月20日の固定祝日でした。その後また法律が変わって、2003年(平成15年)から 7月の第三月曜日ということになってます。

 海の日は「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」だそうです。お休みが増えるのはいいことですが、由来がどうもハッキリしないし、いまいち影の薄い祝日ですよねえ?

 ところで、海の日はなぜ 7月なんでしょう。夏休みの開始にあわせて適当に決めたのかと思ってたんですが、実は歴史的に意味があるらしいんです。1876年(明治9年)、明治天皇は東北と北海道を巡幸されたのだそうですが、函館から横浜への長い船旅の最中に波が荒くなり、三日間も船がゆれてお付きの人たちが船酔いでバタバタと倒れてしまったそうです。ところが明治天皇だけは気をしっかりもって椅子に座り、お付きの者たちが心配して「どうか横になってお休みください」と必死になってすすめたのだそうです。こうして、厳しい船旅を終えて横浜に到着したのが 7月20日のことでした。

 …でも、この話のどこが「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」なのって思うでしょ。たしかに明治天皇は近代日本を繁栄させるために、良くも悪くも尽くした人だし、まったく関係ないとは思わないけど、なんとなくピンとこないんですよねー。

 実は海の日を決めるにあたって、ほかにも候補があったんだそうです。中でも幕末に太平洋の荒波を乗り切り、アメリカまで行って帰ってきた咸臨丸の帰国の日なんかは、説得力もあってかなりいいと思うんですけど、この日は新暦になおすと 11 月にあたるんだそうで、こんな涼しくなっちゃった時期に海の日なんかやっても気分が出ないんですよね〜。それで、明治天皇ゆかりの 7月20日ってことに決まりました。

 そういうわけで、歴史的に意味はあるけど、いまいちピンと来ない日だったりするので、ハッピーマンデー法が出来たときにタチマチ移動休日にされてしまったのも納得だったりするわけで、今では 7月の第三月曜が海の日ってわけなんですよ。とりあえず夏ですねー。

土用の入り
 中国の五行思想では、春は木、夏は火、秋は金、冬は水の属性ですが、これでは土属性が余ってしまいます。そこで、立春・立夏・立秋・立冬の当日から18日(19日の時もある)前までの期間を土用といって、土の神様が支配する時期としていました。というわけで、土用は夏だけじゃなく一年に四回あるという話はこれまでに何度もしていますが、やっぱり有名なのは夏の土用ですよね。

 夏の土用は暑さの厳しい時で、農繁期でもありますから、特に注目されて夏土用にまつわる言葉が沢山あります。今でも良く聞く言葉としては「土用波」なんてのがありますよね。夏も終わりに近づくとそれまで静かだった海岸に大波が来るようになります。これが土用波です。遠く南のほうで発生した台風の影響だとか言われてます。逆にこの時期にしては波が静かな時を「土用凪(どようなぎ)」とか言ったりします。「土用干し」なんてのもあります。夏のあいだ身につけた服や本を干して虫がつくのを防ぎます。ナツフジ(夏藤)といって山に生える藤に似た植物のことを「土用藤」と言うこともあります。普通の藤は 5 月ごろに花を咲かせますが、ナツフジは土用の頃に花をつけるからです。「土用餅」といって砂糖を入れてついた餅を食べる地方もあるみたいです。厄よけになるそうですよ。夏休みを「土用休み」と言う人もいます。土用の頃に始まりますからね。

 ところで、夏の土用といえば土用の丑の日が一番有名なのですが、それについては 7月21日 を読んでください。

水無月四日7月20日(火)先負庚子
2000年前の蓮の花
 1952年の今日、2000年前(弥生時代)の遺跡から発掘された種から育てた蓮の花が開花しました。この種を発掘した東京大学農学部教授の大賀一郎氏で、その名にちなんで大賀蓮と呼ばれています。その後、この蓮は日本中に株分けされて、あちこちで見られるようになりました。ピンク色の大きな花を咲かせる蓮です。余談ですが、わたくしこと珍獣様も群馬県の多胡碑記念館で大賀蓮を見ました。昔の人もこれと同じ色の花が風にゆれるのを見ていたのだと思うと不思議な気分になりますよ。

水無月五日7月21日(水)仏滅辛丑土用の丑の日
土用の丑の日
 今日は土用の丑の日です。土用については 7月19日 に書きましたので興味のある人はご参照ください。

 で、夏の土用のうち、丑の日にあたる時に、ウナギを食べると夏バテしないと言われています。この由来はいくつかあるんですが、昔から丑の日にウのつくものを食べると夏負けしないと言われていて、江戸の発明家である平賀源内がそれをヒントに「丑の日にウナギを食べると夏負けしない」と言いはじめたら大ヒットしてしまったという話が有名です。ちなみに、冬土用の丑の日に女の人が口紅を買う習慣もあるそうなので、もともと「丑の日」には特別な意味があったんだと思います。

 ちなみに、丑の日はどうして決まるかというと、今年は申年(さるどし)といように、日にも十二支をあてはめて「今日は丑の日」なんてことを言うわけです。土用は18日(ないし19日)間ありますから、年によっては丑の日が二度まわってくることがあります。今年は 8月2日に土用の丑の日がもう一度ありますので、ウナギ好きのみなさんはラッキーですね。

水無月六日7月22日(木)大安壬寅大暑
 今日は大暑。暑さはどんどん厳しくなります。昨日はウナギを食べましたか?

水無月七日7月23日(金)赤口癸卯
 中国のナゾナゾ。これはちょっと難しいかも。その家ではブタを一頭売り、ウシを買い入れました。すると、あら不思議、家だったのに家じゃなくなっちゃった。一体何になったでしょう。[牢(家から豕(いのこ、ブタのこと)をなくして、牛(ウシ)を連れてくると…)]

水無月八日7月24日(土)先勝甲辰
琵琶湖が国定公園に
 1950年の今日、日本で最初の国定公園として琵琶湖が指定されました。国定公園は「国立公園に準じる優れた自然の風景地」だそうです。ちなみに、琵琶湖にいるゲンゴロウブナは、人間なのに雷さんの弟子になった源五郎が、雲の上から雨を降らせているうちに足を滑らせて琵琶湖に落ち、溺れて魚になったものという言い伝えがあります。

水無月九日7月25日(日)友引乙巳上弦
ルービックキューブ日本発売
 1980年の今日、六面体パズル・ルービックキューブが日本で発売されました。日本での販売元はツクダオリジナル…この会社は2002年にバンダイに買いとられてなくなっちゃいましたけど。
 ルービックキューブはハンガリーの建築学者ルービック氏が考案したパズルで、解き方を知らずに解くのは不可能じゃないかってくらい難しいです。早解き名人なんかも現れて、当時はものすごい人気でした。わたくしも持ってましたけど、ツクダオリジナルの純正品じゃなく、露店で買ったパチものです(爆死)
 ちなみに、ルービックキューブは、バンダイグループの PALBOX ってところで今も売られてます。攻略本とかもまだ買えるみたいですよ。>PALBOX のサイト

水無月十日7月26日(月)先負丙午
 中国のナゾナゾ。昔のことを語れば涙を禁じ得ない。私の家は十人家族で(我家十口人)、身を被うのは草ばかり。[苦(分解すると十・口・くさかんむり)]

水無月十一日7月27日(火)仏滅丁未
 中国のナゾナゾ。半分は二本足、半分は四本足。四本足には角がある。[件(左側はにんべんなので人で二本足、右側は牛なので四本足で角がある) 中国のナゾナゾでは単純に「件」という文字のことを言っているのだが、日本の妖怪で件(くだん)というのに繋がりそうで面白い]

水無月十二日7月28日(水)大安戊申
 中国のナゾナゾ。左を見れば二十日。右を見れば三十日。毎日来るもの。これは何?[朝/この文字の左側は十十日で二十日。右側は月でだから一カ月はおよそ三十日]

水無月十三日7月29日(木)赤口己酉みずがめ座δ流星群の南群が極大
パリの凱旋門が完成する
 1836年の今日、パリの凱旋門が完成しました。ナポレオン一世時代の戦勝記念碑で、1806年に皇帝の命令で建造計画が始まりましたが、ナポレオンは 1811年に亡くなっているので凱旋門の完成を見ていません。

水無月十四日7月30日(金)先勝庚戌
雫石で飛行機事故
 1971年の今日、岩手県の雫石で全日空機と自衛隊機が衝突しました。ものすごい事故だったらしいです。

 事故そのものの記憶はあんまりないのですが、知人が雫石のなんとかいう会社に勤めていて「このあたりで事故があったらしくて霊感の強い同僚が残業のたびに怯えている」というような話をしてたのが印象的でした。

水無月十五日7月31日(土)友引辛亥
 今日で新暦の 7 月もおしまい。明日から 8 月です。

水無月十六日8月1日(日)先負壬子望(満月)新暦の八朔
新暦の八朔(はっさく)
 今日は新暦の八朔。別名をたのみ節といって、田の実を意味しているとか、頼み事の意味だとかいわれています。田の豊作を祈願したり、知人や親戚筋に贈り物をする日として、鎌倉時代以前から行われていたお祭りだそうです。
 鎌倉時代から幕府や朝廷でも八朔の行事をしていたそうですが、特別熱心だったのは徳川幕府です。なんでも徳川家康が江戸城入りしたのが天正十八年の八月一日だったとかで、民間でおこなわれていた八朔のお祭りと同じ日ということもあって、特におめでたい日になりました。

 行事的には八朔(八月朔日、つまり新月の日)ですが、今日は満月です。八朔という行事は本来旧暦でするものです。今年の旧八朔は 9月14日です。

水無月十七日8月2日(月)仏滅癸丑
土用の丑の日パート2
 今夏二度目の土用丑です。「えっ、土用の丑の日が二度あるの?」と思ったあなたは ここらへん をどうぞ。
 土用の丑の日に食べるといいものは、頭に「う」のつくものだそうです。ウナギはその代表格ってところですけど、個人的にはウリ類なんかおすすめ。キュウリ、ニガウリ、スイカ、メロン…水分が多くて食べるとさっぱりするものが多いです。ニガウリなどは体を冷やす作用も強いので暑い日にはもってこいです。ウリ類については http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/uri/00_index.htm 
をどうぞ(と、ありものをフル活用してみるテスト)。

水無月十八日8月3日(火)大安甲寅
ねぷた祭り(ねぶた祭りとも)
 津軽では毎年この時期にねぷた祭りというのをやるそうですが、行ったことがないのでピンときません(^^; 青森市と弘前市で別々にお祭りをしてるみたいですね。青森では「ねぶた祭り」、弘前では「ねぷた祭り」と呼び分けているようです。
 ねぷたとは、眠たい(ねぶたい→ねぷた)という意味で、夏の暑い時期におそってくる睡魔を灯籠にのせて流したのが始まりだと言われています。七夕のお祭りとも関係しているようで、ねぷた(灯籠)に雲漢と書くのはそのなごりです。雲漢とは、空の川、つまり天の川のことです。

水無月十九日8月4日(水)赤口乙卯
はしの日
 8と4の語呂合わせで「箸の日」だそうです。箸を正しく使おうと、わりばし組合が制定したものだそうです。千代田区永田町にある日枝神社では、毎年この日に箸供養を行います。

 箸といえば、何とか言うお経に箸の話が出てくるんです。ある人が仏様にお願いして極楽と地獄を見せてもらいました。最初は地獄へ行ってみると、そこは思ったよりずっといいところで、どうしてここが地獄なんだろうと不思議なくらいです。ところが地獄の住人はみなやせ細ってひどい有様です。その秘密は食事風景にありました。地獄では 1 メートルもある長い箸でご飯を食べなくてはならないので、うまく口に入れられず、みんな飢えているのでした。次に極楽へ行ってみると、そこは特別いいところでも悪いところでもありません。地獄と同じでした。ところが、極楽の住人はみな楽しそうで顔色もよく、いい具合に太っているのです。食事風景をのぞいてみると、驚いたことに極楽でも 1 メートルの長い箸を使っているのです。こんな長い箸でどうやってご飯を食べるのでしょうか。様子を見ていると、極楽の住人たちは箸で食べ物をつまむと、向かい側に座っている人の口に入れました。そうやってお互いに食べさせあっているので、充分にご飯をたべて幸せに暮らせるというわけです。
 この話は学校の先生から聞いたものです。その後何かの本で同じ話が紹介されているのを見たことがあるのですが、なんというお経に出てくる話かメモするのを忘れてそれっきり。検索すると同じ話があちこちに紹介されているので、本気出して片っ端から読んで行けば、どっかに出典くらい書いてあるのかもしれませんが調べたことはありません(なまけぐせ)。おもしろい話なので印象に残っていて、ことあるごとに書いたり話したりしてしまいます。

水無月廿日8月5日(木)先勝丙辰
 ナゾナゾ。寝ころべば川に足らず、棹(さお)さして鈴をつければ動物園にいる。箸でつまめば食いしん坊。これは何? [二という文字。寝ころべば川という文字に一本足りない。二に棹を刺せばキになって、鈴(りん)をつければキリンになり動物園にいる。箸でつまむと口になってものを食べる。]

水無月廿一日8月6日(金)友引丁巳広島平和記念日
広島平和記念日
 1945年(昭和20年)の今日、アメリカの爆撃機が広島に原子力爆弾を投下しました。いわゆる核兵器が実戦に使われたのはこれが最初のことです。核兵器は爆発の威力だけでなく、放射能という見えない力によって人や大地を汚染します。爆風で焼け死んだ人だけでなく、一見無傷と思える人たちが体の不調を訴えて死んで行きました。原爆によって死んだ人の数は 24 万人とも 30 万人ともいわれます。

 この悲惨な歴史を忘れず、世界の平和を祈るために、この日広島では原爆慰霊祭が行われます。

水無月廿二日8月7日(土)先負戊午立秋月遅れの七夕(仙台など)
 今日は二十四節気のひとつ立秋です。暦の上では今日から秋になります。

月遅れの七夕
 仙台などでは一ヶ月遅れの七夕です。七夕は本来旧暦で行うお祭りですが、今では新暦でやってる地方が多いですよね。でも、新暦の7月7日は梅雨明けしてないことが多いですから、なるべくだったら旧暦でやったほうがいいんです。とはいえ、新暦で生活している現代ではお祭りが毎年違う日にやってくるのは覚えにくいし不便です。そこで一ヶ月遅れで七夕をやるというわけ。同じようにお盆も旧暦でなく一ヶ月遅れでやる地方がたくさんありますよね。

 七夕は中国の伝説に由来したお祭りです。天の川のあちらとこちらに輝くわし座のアルタイが彦星(牽牛)、こと座のベガが織姫(織女)だといわれています。ふたりは仕事を怠けた罰に、一年に一度しか会えない決まりになっていますが、日本では先に説明したとおり七夕が三度あるので夏中お楽しみで良かったですね???。なお、七夕の伝説は このへん をどうぞ。

水無月廿三日8月8日(日)仏滅己未下弦
 今日は8/8の語呂合わせで、そろばんの日(パチパチ)、笑いの日(ハハハという笑い声)、パチンコ供養の日(パチパチと玉をはじく音)、親孝行の日(はは、パパ、さらにハチハチで母も父も含まれる)、米の日(米という字は八十八と書くから)などの記念日になっているそうです。おまけに8という文字からひょうたんの日、八という文字からヒゲの日、足が八本だからたこの日だそうです。やたらと記念日の多い日です。

水無月廿四日8月9日(月)大安庚申庚申 長崎原爆の日
長崎原爆の日
 6日には広島に原爆を落としたアメリカは、今度は長崎に原爆を落としました。長崎に落とされた原爆は広島のものより強力な爆弾だったそうですが、谷間の地形が幸いして広島よりも被害が少なくてすみました。それでも原爆が落とされてから数ヶ月のうちに 7 万人もの人が亡くなり、後遺症で時間がたってから亡くなった人を加えれば 15 万人以上と言われています。
 広島の平和記念日と同じように、この日の記憶を失わずにいるために、世界の平和を祈るために、長崎では平和記念式典が開かれます。

庚申
 今日は庚申。体の中に住んでいる三尸という虫が抜け出して、その人がおかした罪を閻魔大王に報告しに行く日です。虫たちは寝ている間に抜け出すので、この日は眠らずに過ごすと大丈夫らしいですよ。この日は柴又の帝釈天では縁日がたちます。普段は見られないご本尊様のご開帳などもあります。

水無月廿五日8月10日(火)赤口辛酉
エクアドルの独立記念日
 1822年の今日、南米のエクアドルがスペインから独立しました。
 残念ながらエクアドルの独立そのものには大した感慨はないのですが、ネタがないので蘊蓄ってもいいかしら。日本ではこの国の名前をエクアドルって書くけど、綴りは Ecuador なので耳で聞くとエカドール(エクァドール)に近いのよ。ちなみにエカドールはスペイン語で赤道という意味です。赤道直下にある国だからでーす。でも標高が高いから涼しいんですって。行ってみたい〜。

水無月廿六日8月11日(水)先勝壬戌
ガンバレの日
 1936年(昭和11年)の今日、ベルリンオリンピックの女子 200m 平泳ぎ決勝戦で前畑秀子が優勝しました。このときのラジオ中継で NHK の河西三省アナウンサーが「前畑ガンバレ、前畑ガンバレ!」と絶叫したことから、今日はガンバレの日ということになっています。
 当時はテレビじゃなくラジオの時代です。アナウンサーの役割は冷静に状況を伝えることでした。なんせ聞いてるこちらは絵が見えないんですから、現場がどうなってるか伝えてくれるのはアナウンサーだけなんです。そのアナウンサーが興奮してしまい、仕事を忘れて応援しちゃうんですから、現場は大変な熱気だったんでしょうね。
 ガンバレとは関係ないですが、オリンピックの聖火リレーが始まったのはベルリンオリンピックからです。ナチスドイツが国力を見せるために催したイベントでした。ついでに各国の情勢を探る目的もあったと言われています。オリンピックにつきものの聖火リレーが、実はナチスのまねだったなんてちょっと意外でしょ。

水無月廿七日8月12日(木)友引癸亥
茜雲忌
 1985年(昭和60年)の今日、日航機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落しました。乗員乗客 524 人のうち、生存者はたった 4 人でした。犠牲者の中には歌手の坂本九もいたということです。

 飛行機が行方不明で群馬と長野の県境あたりに落ちてるらしいというニュースがあった日、わたくしは群馬に住んでいたわけですが、午後からものすごい雷雨で空が荒れ狂っていたのを覚えています(事故現場からは遠かったので、事故への影響はよくわからないけど)。飛行機が落ちたあたりは林業が盛んでないところだそうで、山道もろくになく捜索が難しかったらしいです。夜になり、セスナで飛んでいた人が写したという写真に、真っ暗な山に火が上がっている様子が写っていました。場所はナントカいう山のあたりだと言われていましたが、実際にはそこではなく、上野村の近くにある名もない尾根に落ちていたようです。翌朝、明るくなってから捜索が再開されたようですが、テレビ局のカメラも入っているのに映像がちっとも送られてきませんでした。それもそのはず、群馬は東京から半端に遠いので、山の中に行くとテレビの電波が届かないのです。東京からの電波は榛名の山にあるアンテナで中継して UHF で流しています。技術的なことはよくわかりませんが、現場からの中継もその逆のことをしないとダメなんじゃないかと思いました。前日からテレビにかじりついて一日中見ていたのですが、たしかフジテレビが一番最初にヘリに中継器を乗せて映像を送ってきたような気がします(その後すぐにほかの局でも映像が流れてましたけど)。
 名もない尾根だったところには御巣鷹山という名前もついて、立派な慰霊碑もたっているそうです。遺族の方たちがつくったメッセージ集のタイトルをとって、飛行機の墜落した日は茜雲忌と呼ばれています。

ペルセウス座流星群
 明日の夜明け前なので、今夜ってことですが、ペルセウス座流星群の極大日です。深夜 2 時ころから 4 時頃まで流れ星が盛んに流れます。

水無月廿八日8月13日(金)先負甲子ペルセウス座流星群極大盆の迎え火
月遅れ盆の迎え火
 お盆を月遅れでやる地方の迎え火の日です。お盆は「七月十五日にお坊さんを招いて供養すると死んだ人たちが救われる」という盂蘭盆経の教えに由来しています。詳しくは このへん を読んでね。
 本来は旧暦の七月十五日の行事でしたが、太陽暦が採用されてからは、新暦の7月15日にやる地方と、一ヶ月遅れの8月15日にやる地方と、数は少ないですが旧暦の七月十五日にやる地方があるようです。お盆の作法も地域ごとにちがいます。お盆のやりかたばっかり調べて集めたら、それはそれでおもしろそうですね。

水無月廿九日8月14日(土)仏滅乙丑
聖マクシミリアン・コルベ神父の祝日
 1941年の今日、ポーランドの神父マクシミリアン・マリア・コルベ神父が亡くなりました。
 と、書いても「誰それ?」って思う人のほうが多いですよね。コルベ神父については このへん をどうぞ。

水無月卅日8月15日(日)大安丙寅月遅れ盆
月遅れ盆と終戦記念日
 第二次世界大戦で、日本がアメリカと戦ってたことを知らない若い人とかもいるらしいんですけど、それもこれも平和な時代が長く続いた証拠でしょうね。今日は終戦記念日。第二次世界大戦が終わった日です。月遅れのお盆と重なっているのが皮肉というか、象徴的というか、不思議な偶然です。

文月一日8月16日(月)先勝丁卯朔(新月)盆の送り火
 今日から旧暦の七月です。

月遅れ盆の送り火
 この時期は田舎に帰ってる人も多いと思います。昔はお正月とお盆になるとアクセス数がガタッと落ちて、みんな帰省してるんだなぁなんて思ったものです。今じゃモバイル時代で「田舎からアクセス中でーす」なんて人も普通にいたりして、時代は変わったのねえと実感させられます。

文月二日8月17日(火)友引戊辰
 ナゾナゾ。木は地に植えて、やぶいて火をつければ華氏 451 度。風からはぎとった衣に一滴の墨を落とし、林におけばブラフマン(インドの神様)。皿を分ければ中元の行事。これらをなんと読む? ["ぼん"と読む。木を地に植えると本(横棒を地と見る)。華氏 451 度は紙の燃える温度。本をやぶいて火をつければ、頁(ぺーじ)が燃えて煩になる。風の衣、すなわち「かぜがまえ」に墨を落とせば凡になり、林におけば梵になる(梵天さんはブラフマン)。すべて"ぼん"と読める文字ばかり]

文月三日8月18日(水)先負己巳
 今日は猛暑の特異日らしいです。でも、検索すると今日は何の日系のサイトばっかり引っかかってしまうの。こういうネタなら気象関係のサイトがヒットしてもよさそうなのにねえ?
 そもそも「猛暑の定義」ってのがよくわからないのよ。気温何度以上を猛暑とするとかいう決まりはあるのかしら。それに、何をもって特異日とするのかもわかりません。「猛暑の定義」に一致する日になりやすいのか、それとも「一年で一番暑い日」になりやすいの??? 「今日は何の日」本の受け売りじゃなく気象学的な説明をしてくれる人はいないんでしょうか。森田さんに手紙書いちゃおうかなぁ。

文月四日8月19日(木)仏滅庚午
 ナゾナゾ。勉強もしないのに、どこの国の言葉でもしゃべれちゃう。それって誰のこと?[やまびこ(こだま) テープレコーダーでも正解]

文月五日8月20日(金)大安辛未
蚊の日
 蚊の何を記念する日なのよと言いたくなるような記念日。1897年の今日、イギリスの細菌学者ロナルド・ロスがハマダラカの胃の中からマラリアの原虫を発見したのを記念する日だそうです。だったらマラリアの日にすればいいのにねえ?

文月六日8月21日(土)赤口壬申
 ナゾナゾ。横になったままできる、愛さえあればできる、終わった後ちょっと気持ちがよくて、なんとなく疲れたりもすることなんだ。[愛の献血]

献血の日
 売血制度をやめて、献血だけで輸血用の血液をまかなうことにした日です。それまでは民間の血液銀行が健康な人たちにお金を払って血を買って病院などに売っていました。ところが、お金のために短期間に何度も血を売る人が現れます。そういう人たちの血液は赤血球が少なく、輸血してもあまり役にはたちません。そこで献血制度を作って、血液銀行を廃止しようという取り決めが閣議で決定しました。1964年のことです。
文月七日8月22日(日)先勝癸酉旧七夕
旧七夕
 旧暦の七夕です。七夕の説明も三度目になるとだんだん飽きてきますね、あははは。でも、もっと本腰を入れて伝説やら風習やらを集めると、七夕もかなり深くておもしろそうです。みなさんのところではどんな七夕をしているのでしょうか。

 ところで、最近ではあまり行われませんが、七夕には笹に飾りを付けるだけじゃなく、キュウリや白瓜など、瓜類をお供えするものだそうです。瓜はひとつの株に雄花と雌花が別々につく植物ですから、七夕伝説でいえば織り姫と彦星のように男女が離ればなれになっているわけです。また、実や茎に多量の水分を含んでいるので、ふたりを隔てる天の川の水を連想させるのではないでしょうか。天の川を挟んだ逢瀬に思いをはせながら、七夕には  を用意しましょう。

文月八日8月23日(月)友引甲戌上弦処暑
 今日は二十四節気のひとつで処暑。厳しい暑さがやみ、朝夕の気温が少しずつ下がってくる時期だそうです。

文月九日8月24日(火)先負乙亥
ポンペイ最後の日
 西暦 79 年の今日、イタリアのベスビオス火山が噴火しました。小プリニウス(大プリニウスの甥)が書き残した噴火当時の様子から考えると、今の言葉で言えば火砕流のようなものが発生したようです。麓にあったポンペイの街では、突然の噴火に避難する暇もなく、市民は街もろとも火山灰の下に埋もれてしまいました。噴火後に大プリニウスが調査に向かいましたが、火山性のガスにより窒息して帰らぬ人になったと言われています。
 それから 1600 年あまりの歳月が過ぎたある日、井戸掘りをしていた人が土の下から大理石の柱を掘り出します。これをきっかけに、どうやら地下に古代都市の遺跡が眠っているらしいことが人々に知られるようになりますが、本格的な発掘が始まったのは 1748 年のこと。当時のナポリ王国を支配していたカルロス三世の命令により、ポンペイの街は灰の中から掘り起こされました。
 掘り起こされた街は、おどろくほど当時の状態をたもっていました。大理石で舗装された道路や、計画的に作られた町並み、今しがたまで男たちが酒をひっかけていたような居酒屋の跡、エロティックな壁画でかざられた娼婦館。どれも状態がよいことから自然に廃墟となった街ではなく一瞬で灰に埋もれたことがわかります。
 灰の中から出てきたのは街だけではありません。逃げ遅れ、生き埋めになった人たちの形が空洞になって灰の中に残っていました。石膏を流し込んでみると、恐れおののき逃げまどう人たちの姿がありありと再現されました。
 ポンペイ遺跡の発掘は現在でも続けられており、時おり新しい発見があったとニュースになります。

文月十日8月25日(水)仏滅丙子
世界初の即席ラーメン
 1958年(昭和33年)の今日、日清製粉からチキンラーメンが発売されました。世界初の即席ラーメンの誕生です。現在でも「すぐ美味しい、すごく美味しい」というキャッチコピーで有名なチキンラーメンは、麺にスープをしみこませ、油で揚げて乾燥させたもので、お湯をそそぐだけで食べられる魔法のラーメンとして大ヒットしました。事業に失敗した安藤百福が「安くて美味い、簡単に作れるラーメン」を目指して奮闘する様子は ここ で見られます。

文月十一日8月26日(木)大安丁丑
 ナゾナゾ。愛はどこにある?[五十音表の最初。 辞書の1ページ目に載ってる言葉よ…って歌もあったけど、辞書の最初のページには凡例が載ってるし]

文月十二日8月27日(金)赤口戊寅
『男はつらいよ』の日
 1969年の今日、映画『男はつらいよ』の第一作目が公開されました。渥美清が演じる寅さんは、的屋といって縁日で妙なものを売る商売をしながら全国をまわってます。はっきりいってヤクザな渡世人ってやつですが、人情に厚く困ってる人を見るとほっとけない。そんな寅さんのふるさとは葛飾柴又。映画はフィクションですが、映画に出てくる帝釈天は本当にあります。渥美清が亡くなって映画も終わってしまいましたが、帝釈天のそばには「寅さん記念館」も作られて、柴又は今でも寅さんの町としてにぎわってます。

文月十三日8月28日(土)先勝己卯旧盆の迎え火
民放テレビ放送スタート
 1953年(昭和28年)の今日、日本テレビが民間のテレビ局として初のテレビ放送をはじめました。民放といえばコマーシャル。日本で最初のCMは精工舎(現在のセイコー株式会社)のもので「精工舎の時計が正午をお知らせします」ってやつだったそうです。時計屋さんらしいですね。

文月十四日8月29日(日)友引庚辰
 8月29日は829(やき・に・く)で焼き肉の日だそうです。おいしい焼き肉食べたいなあ。

文月十五日8月30日(月)先負辛巳望(満月)旧盆
旧暦のお盆
 今日は旧暦のお盆です。お盆は七月十五日の行事ですから、旧暦でやればこの日の夜は満月になることが多いです。次第に満ちてくる月を見て迎え火をたき、丸い月の下でご先祖様をもてなして、欠けゆく月とともに送り火をたくのだと考えると、お盆にドラマを感じるでしょう? 新暦や月遅れのお盆では、満月の演出効果は得られません。旧暦のお祭りは月や太陽の動きと関係しているものもあるので、新しい暦に無理矢理換算してしまうとムードが出ないのですよねー。
 新暦のお盆 の時に仏教由来のお話をしましたが、お盆のもとになった行事はほかにもあるみたいです。中国の伝説で、あるところに陳子椿という美しい青年がおりまして、竜王の三人の娘がそろって彼に恋をしました。子椿は三人とも妻にして三人の男の子をもうけました。子供たちはそれぞれ神通力を持っていたので、原始天尊という偉い神様が三人に神の位を与えました。長男は一月十五日生まれで人々に福をあたえる天の神さま、次男は七月十五日生まれで罪を許す地の神さま、三男は十月十五日生まれで厄をはらう水の神さまです。
 この神様のことを三官大帝といって、人々は神の誕生日にお参りをするようになりました。特に罪を許す次男の神さまの誕生日には、親しい人に「日頃ご迷惑をおかけしてすみません」と贈り物をする習慣ができました。これが今でいうと「お中元の贈り物」にあたります。この習慣と仏教の盂蘭盆がまざって今のようなお盆になったということです(しまった、お盆じゃなくてお中元の説明になってしまったぞ)。

文月十六日8月31日(火)仏滅壬午(二百十日)旧盆の送り火
二百十日
 立春から二百十日目です。この日は台風が多く襲来する日として昔から知られ、各地で風鎮めの祭りが催されます。
 ちなみに、統計上もっとも台風に襲われやす日(いわゆる台風の特異日)は9月17日頃と26日頃だと言われてます。



 また来てしまいました、このコーナー。ターゲットの関係でカレンダーの下に無駄な空白を大量に入れなきゃいけないのでついでになんか書いちゃえという、ただそれだけのための穴埋めコーナーです。


 今月はコルベ神父のお話です。コルベさんを知らなくても、ゼノさんなら知ってるって人多いんじゃないでしょうか。ポーランドの修道士で長崎で布教活動をしてた人です。コルベ神父は第二次大戦前にゼノさんと一緒に日本にやってきて、長崎で布教活動をしていたことのある人です。

 ゼノさんは日本にとどまりましたが、コルベ神父はヨーロッパで会議があるので帰国しました。ちょうどそのころ第二次世界大戦が始まって、ポーランドはヒトラー率いるナチス・ドイツに侵略されてしまいました。

 当時のドイツは、まるで何かに取り憑かれたように「世の中で一番優秀なのはアーリア民族。なのに自分たちの生活が苦しいのはユダヤ人のような劣等民族が経済を牛耳っているから」とかなんとか言い始めて、ユダヤ人をかたっぱしからつかまえて、家畜小屋のようなところで強制労働をさせていました。アウシュビッツ強制収容所はその一部で、ヨーロッパの各地に同じような収容所が作られました。『アンネの日記』で有名な、アンネ・フランクもナチスによるユダヤ人迫害の犠牲になりました。

 収容所に入れられたのはユダヤ人ばかりではありません。ナチスドイツに非協力的な人たちも政治犯として収容所送りにされました。コルベ神父はポーランド人でしたが、ナチスのやり方に協力しなかったのでアウシュビッツ強制収容所に入れられてしまいました。

 収容所では、人は人として扱われることがありません。ヨーロッパ各地で捕まえられた人たちは、家畜用の貨車に立錐の余地もないほど詰め込まれて収容所に到着します。運ばれている間に死んでしまう人もいました。収容所につくと、全員が裸にされ、体中の毛を剃られ、元気な者と、そうでない者に選別されます。元気なものは強制労働にまわされ、そうでない人たちはガス室で殺されてしまいます。

 コルベ神父はガス室をまぬがれて強制労働にまわされました。生き残ったからといって希望があるわけではありません。わずかな食べ物しか与えられず、長時間の重労働。夜は狭いベッドで何人も一緒におりかさなるように寝かされます。弱って死んでゆく者も少なくはありませんでした。

 そうしたある日、コルベ神父のいる収容棟から囚人が脱走しました。脱走者が出ると、残った者の中から 10 人が選ばれて見せしめとして処刑される決まりになっています。囚人たちは家畜のような扱いを受けつづけて誰もが希望を失い、処刑を宣告された人たちもすっかりあきらめきっていました。ところが、ひとりだけ「私には妻も子もいる、死にたくない」と大声で泣き叫びました。

 それを見てコルベ神父は「自分は年寄りで神父だから妻も子もいない。わたしを身代わりにしてください」と申し出るのでした。

 コルベ神父を含む 10 人の囚人たちには餓死刑が宣告されました。裸にされ、餓死室と呼ばれる地下室に入れられて、水一滴与えられることはありませんでした。ひとり、また、ひとりと仲間が死んで行くなかで、神父はみんなを励まし、祈り、賛美歌を歌いつづけました。14 日たって、最後まで生きていたコルベ神父は毒薬を注射されて亡くなったということです。

 そのような壮絶な死を遂げた人ですが、けっこうお茶目な面もお持ちだったそうで、月に行きたくて学生時代に月ロケットの設計図(というか想像図)を書いてたこともあったみたいですよ。小さい頃にマリア様の夢を見たという逸話もあるそうです。マリア様に「赤い花冠と白い花冠、どちらがいい?」と聞かれて「両方ください」と答えたそうです。赤は殉教、白は純潔の印だそうです。

 幼い頃の夢のとおり、純潔を通し、殉教したコルベ神父は、1982年にはポーランド出身の法王ヨハネ・パウロ二世により聖人に列せられました。

 コルベ神父については早乙女勝本の『優しさと強さと』という本が小学館から出ていて読みやすくてとてもよかったのですが、今は買えないようです。同じ作者の『コルベ神父〜優しさと強さとicon』というのが今でも買えるみたいです。こっちは実物を見てませんが、目次を見る限り内容はかなりかぶっていると思います。

 今月もこんな感じでいいかしら。そろそろ息切れしてきたので次回は空白行で埋めるかも(笑)

 

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