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乙女の陰部を突いて死ぬこと(その1)
 『古事記』より

 黄泉の国(死者の国)に妻を訪ねたイザナギ神は、妻の醜い姿を見て驚いて逃げ帰りました。
「ああ、びっくりした。まさか腐っちゃってるとは思わなかったしさあ、女の子も死んだらお仕舞いだねよ。えんがちょって感じー」
と、言ったかどうかはわかりませんが、きれいな川で禊ぎってやつをしました。つまり水浴びです。

 イザナギ神が左の目を洗うと天照大神という女神が生まれました。右の目を洗うと月読が生まれました。鼻を洗うと須佐之男が生まれました。たいへん立派な子供たちだったので、それぞれに役目を与えて神様としました。

 ところが末っ子の須佐之男は役目を忘れて泣いてばかり。彼はマザコンなんです。髭もじゃのオッサンになっても死んだ母親のことを忘れられずに「ママ、どうして死んじゃったの。ぼく、さみしくって仕方がないよ」と泣きつづけました。彼は海の神ですから、彼が泣くと大風が吹いて海は荒れ狂い、野山の草木も根こそぎ倒れて枯れてしまいます。

 これにはイザナギ神も困りはてて「君はもういいから、ママのところへ行っちゃってくれる? 二度と帰ってきちゃダメだからね」と、須佐之男をイザナミ女神のいる根の国(黄泉の国)へ送ることにしました。思うにこれが日本の歴史上はじめての「逝ってよし」ではないかと。

 こうして母親のところへ行くことになった須佐之男は、お姉さんの天照大神のところへお別れを言いに行きました。
 これを見て天照大神はびっくりします。髪の毛をふりみだし、髭だって伸び放題の暴れものの弟がやってくるのですから、良からぬことを考えているに違いないと思いこみました。
 女神は長い髪を御角髪(みみづら、男の髪型)に結いなおし、鎧兜に身を固め、
「どこからでもかかっていらっしゃい。高天原はわたくしが守ってみせるわ!」
と、勇ましく迎え撃つのでした。

 須佐之男はあわてて、自分はただお母さんのところへ行くのにお別れを言いに来ただけだと説明しますが、天照大神はなかなか信じてくれません。そこでとうとう、ある種の賭をすることにしました。ふたりで新しい神を生んで、自分の正しさを証明しようというのです。

 まず、天照大神が須佐之男の剣を三つに折って、きれいな水で清めたあとに噛みくだいて吐き出すと、たおやかな三人の女神が生まれてきました。
 次に、須佐之男が天照大神が身につけていた宝石をもらい、水で清めて噛み砕いて吐き出すと、五人の男の神が勇ましい姿で生まれてきました。

 天照大神は言いました。
「さきに生まれた三人の女神は、あなたの持ち物から生まれてきたのだからあなたの子です。あとの五人はわたくしの持ち物から生まれたのですからわたくしの子です」

 すると須佐之男は言いました。
「ボクの持ち物から生まれた子はみんな可愛い女の子だったよね。姉さんの宝石から生まれてきたのは戦の神ばっかりだ。これでボクに敵意がないってことわかってもらえた?」

 個人的にはこの理論にはなんらかのごまかしがあるような気がしてなりません。男の神を生んだのは須佐之男なのですから、神様の素が天照大神のものだったとしても、須佐之男にも悪い心があったと見るべきではないでしょうか。

 ともあれ、この勝負は須佐之男の勝ちということになりました。勝ったことに気をよくした須佐之男は、勝利の雄叫びをあげて姉さんが大事にしている田んぼの畔をけちらし、水路を踏みこわし、あげくの果てに姉さんが食事をする屋敷に糞尿をまき散らして大騒ぎをはじめました。

 それでも天照大神は「弟は酔って羽目を外しただけです。畔や水路を踏み壊したのは田んぼを広くするためです」と、須佐之男をかばってやりました。

 そんな姉の気持ちも知らず、須佐之男は姉さんの馬屋から連れ出した馬を殺し、尻から逆さに皮をはいで、姉さんが大事にしている機屋に投げ込んでしまいます。

 機屋では、ちょうど天の服機女(はたおりめ)が仕事をしていましたが、目の前に落ちてきた赤裸の馬を見て驚き、陰部(ほと)に梭(ひ)を刺して死んでしまいました。


 エロいのは最後のほうだけなので、字面の通りに読むとかなり物足りないと思います。でも、注意深く読んで見ると、実はものすごーーーくエロいんですよ、この話。どこがどうエロいかはメルマガにさんざん書いたので ここらへん でバックナンバーを読んでください。2004/08/05 のものです。
 
 『古事記』を読むと、イザナギ神は須佐之男に「海の国を治めなさい」と言いますが、そもそも鼻の穴から生まれてきた神様ですから風の属性がつよいのだと思います。海をゆく船が安全に目的地にたどり着くように、良い風を送るのが役目だったのでしょう。期待に反して嵐の神になってしまった須佐之男に、イザナギ神は母親のところへ行けといいます。死んだ母のところへ行けというのですから、死ねと言ってるようなものですよね。
 
 古代日本の神々は、かなーり辛辣なんですよ。そもそもイザナミ女神は「火」という大事なものを生みだしたことがもとで死んでしまうのに、その夫は焼けただれて腐った妻を見て哀れむどころか逃げ帰ってくるんです。すでに葬った死者に面会すること自体まちがっているのですが、汚れた姿になった女神のほうが悪いように書かれてます。まあ、親しい人が腐乱してるのを見たら、ショックのあまり逃げたくもなるでしょう。生きている側が主人公なので、きわめて現実的なものの見方と言えます。
 
 須佐之男が機屋に馬を投げ込む場面は、養蚕のはじまりと関係しているような気もします。中国の伝説に、娘とねんごろになった馬が殺され、娘もまた馬のあとを追って死に、馬の頭を持つ芋虫(カイコ)になる話があります。同じ話は「おしらさま」として日本の昔話にも見られます。
 
 カイコの幼虫は、吸盤状の腹脚で枝葉をつかみ、上半身を持ち上げてきゅーっと首をすくめるようなポーズをします。これが馬の頭に見えるらしいんです。下の写真は農家で飼ってる蚕の原種にあたると言われている野生種です。クワゴまたは野蚕といいます。デコッパチに見えるのは頭ではなくて胴体の一部です。オリオン座の馬頭星雲のシルエットに似ているでしょう?
クワゴ(野蚕)
 養蚕の起源を説明する伝説は、桑の木とセットで語られることが多いです。そのあらましを説明すると、
 
・娘が馬と男女の関係になる
・父親が怒って馬を殺して皮をはぎ、桑の木に吊す
・娘が馬の皮に近づくと皮が娘を包んで天にのぼる
・桑の木に馬の頭を持つ芋虫が発見される
 
となります。
 改めて須佐之男と機織女の話を要約すると、
 
・須佐之男が馬の皮をはぐ
・馬を見て娘が陰部を突いて死ぬ(性交を暗示)
 
となります。馬を見て(そそらくは性交のあとに)死んだのは機織女ですから、蚕や絹織物と結びつけて考えてよいと思います。
 
 …あ、今気づいた。養蚕の起源を説明する話って、けっこうエロかったのね。わたくしとしたことが、紹介するのすっかり忘れてた(笑)
 

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