旅学問
 
 
 あるところに、いくらか頭のよわい息子がいました。父親は息子も旅でもさせれば一人前になるだろうとおもって、わずかなお金をもたせて家から出しました。

 どんどんあるいてゆくと、人々があつまって、なにか話していました。ちかづいて話をきいてみると、
「長者さんの娘が上洛するそうだよ」
「ほう、上洛ですか」
「天子さまのお召しで都へのぼるとは、これ以上めでたいことはありませんな」
 これをきいて、愚かな息子は「なるほど、のぼることを上洛というのだな」と、なっとくしました。

 それからまた、どんどんあるいてゆくと、うなぎ屋がうなぎをさばいているのに出会いました。
「すばらしいお手なみですな」
「へえ、おそれいりやす」
「私は見聞をひろめるために旅をしています。ひとつ、うなぎのさきかたを説明してはいただけませぬか」
「なに、大したこたぁないんですよ。このように魚頭を目打ちしてうごけねぇようにしたあとに…」
 うなぎ屋はくわしくせつめいしてくれましたが、頭のよわい息子はほとんどおぼえられず、ただ魚頭ということばをきいて「なるほど、アタマのことは魚頭というのが正しいんだな」と、なっとくしました。

 さらにあるいてゆくと、川のほとりで人々がさわいでいます。
「ほれ、また朱椀が流れてきた」
「こんだ朱膳だ。そらひろえ」
 見ると、上流から、赤いお椀、赤いお膳がぷかぷか流れてくるのでした。洗い物をしていて、うっかり流してしまった人がいるのでしょう。これを見て、頭の弱い息子は「なるほど、赤いものを、朱椀・朱膳と呼ぶのだな」と、なっとくしました。

 こうして息子は家にかえり、父親にいいました。
「父上が旅に出してくださったおかげで、おおくのことを学びました」
 息子がしっかりした口調でそういうので、父親も安心して、旅に出してよかったと思いました。

 ところがある日、父親が庭の木にのぼって、うっかり足をすべらせて落ち、頭から血を出してたおれてしまいました。使用人に医者をよびにいかせるのに、状況をしらせる書きつけをもたせなければならず、頭のよわい息子はつぎのように書きました。
「父が柿の木に上洛し中ごろより下洛し、大石に魚頭を打ち付け、朱椀・朱膳に相成り候」
 これを見た医者はなんのことかわからず、使用人からわけをきいて、おおわらいしたということです。
 

  
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