大洪水
 
 
 むかし、人間は獣のように毛むくじゃらで、互いにたたかって強いものが弱いものを食べてくらしていました。生きる力も獣のようにつよく、せまい土地にひしめきあいながらくらしていました。

 神さまは、人間の心がいつまでたっても獣とかわらないのにがっかりして、この世から人間をほろぼしてしまおうと思いました。けれど、心のやさしい娘と、その兄だけはたすけてやることにしました。

 そこで神さまは、子供たちに、
「わたしはこれから、油雨というものをふらせる。この雨にあたったものは、誰でもすぐに死んでしまうだろう。けれど、おまえたちはこの鍋の下にいればたすかるはずだ。雨がふっているあいだは、けっして外に出てはいけないよ」
といって、おおきな鍋の下に、子供たちをかくしました。

 それから、地上には雨がふりはじめました。ふつうの雨ではありません。油のような毒の雨です。この雨にふれた人間たちは、ばたばたと死んでいきました。雨をさけてくらしていた人たちも、つぎつぎに病気になって死にました。

 そうして、何日かすぎると、地上には人間がいなくなり、雨があがりました。雨の音がきこえなくなると、子供たちは鍋の中から出てきて、だれもいなくなった地上でくらしはじめました。

 やがて、子供たちもおとなになり、世界でたったふたりきりの人間ですから、結婚することになりました。きれいな真水がわく海辺に、小屋をたててしあわせにくらしていましたが、さいしょにうまれた赤ん坊はは毒のある魚にそっくりでした。

 それからふたりは、陸のほうに小屋をたててくらしはじめましたが、まもなくうまれたのは蛇のようにからだの長い赤ん坊でした。

 どうして、こんな化け物ばかりうまれてしまうのかと、ふたりは泣きながら神さまにいのりました。すると、ある秋の夜に、四角くならんだ四つの星がのぼってくるのを見て、あのような四角い家をたてなければならないのだとさとり、立派な家をたてると、次にうまれた赤ん坊は、今の人間のように、体に毛がなく、うつくしい姿をしていました。

 それから、ふたりは、たくさんの子供をうみ、その子供がまた子供をうんで、世界中に人間がふえてゆきました。
 

 
◆こぼれ話◆

 沖縄の昔話。沖縄では、あちこちの島に、創世伝説と洪水伝説のまじった昔話がのこっている。少しずつ変化はあるが、洪水でほろびた島に男女がいきのこり、最初にうまれた子供はばけものであることは共通している。世界でたったふたりというシチュエーションは聖書のアダムとエヴァのものがたりに似ているが、沖縄では洪水のあとに創世伝説がくるところが面白い。

 もっとも、これは沖縄特有のものではなく、日本の神話にも言えることかもしれない。日本神話には、はっきりと洪水があったことは記録されていないが、イザナギ・イザナミの夫婦神が現れる前は、日本列島は脂のように形がなく二神が天の沼矛で海をかきまわすと固まって大地になったとされている。この伝説を、大洪水後に水がひき、大地が顔を出したと解釈すれば、日本の神話も洪水後からはじまる物語だといえる。

 イザナギ・イザナミの神もまた、たったふたりで地上におりて子供をもうけるが、最初にうまれた子供はくらげのように骨なしで、立って歩くことさえできなかった。そこで結婚の儀式を正しくやりなおし、ふたたびもうけた子供は、それぞれ立派な神になる。

 北海道アイヌもコタンカラカムイがドロドロの大地を固める伝説をもっている。できあがったばかりの大地に火の女神チキサニと夫である雲の神が下りてくることになっているが、奇形誕生のくだりをふくむ話は聞いたことがない(わたくしが知らないだけかもしれないが)。
 

 
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