狼の眉毛
 
 
 あるところに貧乏な男がいて、ちょうど夕ごはんがおわったころに、となり近所に鍋(なべ)をかりにいくのでした。

「たびたびすまんこってすが、鍋をかしていただけませんか」
「そりゃかまわないけど、まだ鍋を洗っていないんだよ」
「おかまいなく。こちらで洗っておかえししますから」
 そうやって男は、洗いもののすんでいない家から鍋をかりては、きれいに洗ってかえしていました。

 ある日、男があんまり鍋をかりにくるものだから、となりの家のものがこっそりようすを見にきました。男は鍋にお茶をそそいで鍋をこすって、その洗い汁をのんでいるのでした。

 次の日、男が鍋をかりにいくと、どの家でもなにかしら理由をつけてかしてくれませんでした。こりゃあ、鍋を洗ってのんでいるのがバレたのだろうと、男ははずかしいやら、なさけないならで、自分のようなものは狼にでも食われてしまったほうがいいと思って、夜中に山へのぼっていきました。

 山のなかで、男が大の字になってねていると、狼があつまってきて、男の顔をのぞきこんでは通りすぎていきます。
「狼どん、わしのような男は生きていてもしかたがない。どうか遠慮せずに食うてくれ」
男がそういうと、一匹の狼がちかづいてきて、
「ここらにお前を食う狼はおらん。お前は真人間じゃ。わしら狼は心の良い人間は食わん。お前には狼の眉毛(まゆげ)をやるから、とっとと山をおりろ」
といって、自分の眉毛をぬいて男にわたすと、仲間の狼といっしょにどこかへいってしまいました。

 男は狼の眉毛をもって山をおりました。村にかえったところで暮らしてゆくあてもないので、どこかとおくへいこうとあるいてゆくと、見しらぬ町にたどりつきました。

 男は狼にもらった眉毛をかざして道行く人をみると、きれいな着物をきてあるいている人たちが、おそろしい獣の顔に見えました。どうやら狼の眉毛には人間の本性をみぬく力があるようです。

 そこへ町いちばんの長者がやってきて
「狼の眉毛とやらを、わしに貸してはもらえませぬかのう」
と、いいました。

 男が眉毛をわたすと、長者さんは眉毛をかざしてあたりを見まわしました。
「おやおや、世の中に真人間の少ないこと。この町でまっとうなのはお前さんだけのようじゃ」

 その人には息子がありませんでした。そこで、誰でもいいから心の正しい人間に自分の財産をゆずろうと思って、あちこちたずねあるいていたのです。

 こうして、貧乏な男は長者さんの養子になって、使っても使い切れないほどの財産をうけつぎ、幸せにくらしたということです。
 

◆こぼれ話◆

 日本人は欧米のように大規模な牧畜をしていなかったせいか、狼をかならずしも敵だと思っていないようだ。恐ろしい存在であることは間違いないのだが、この話ように心の正しい人間には味方をしてくれる神に近い存在としてとらえられている。

 送り狼という言葉がある。山で狼につきまとわれ、いつ襲われるかとビクビクしていると、人里に近づいた頃に狼はすっと姿を消す。考えてみれば、狼がついてきてくれたおかげで盗賊も寄ってこないし、悪いもののけに化かされることもなかったのだから、あの狼は神様の使いで自分をまもって人里まで送り届けてくれたのではないかと。

 これは狼の縄張り意識によるものらしいのだが、見なれない生き物が自分たちの縄張りに入り込むと、それが獲物になりそうなら襲って食うのかもしれないが、とりたてて食べ物に困っていないときなどは、早く出ていってほしいと思うらしい。縄張りの中で妙な動きをされても困るので、見張りの狼が少し離れたところからじっと見ている。相手が縄張りから離れれば見張りは帰ってしまう。

 そういった狼の習性から、良い人間を襲わないと思われるようになったのだろう。
 

 
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