お椀淵
 
 
 お椀淵というのは椀や膳を貸してくれるという不思議な淵である。
 冠婚葬祭の前の日に紙にお客の数を書いて沼に浮かべると翌日には必要な数だけお椀が浮いているのだった。

 使ったら返すのが決まりだったが、祭りのたびに借りに行くのは面倒だからと返さずにおいた。
 別の者がいつものようにお椀を借りに行ったが、待てど暮らせど椀は浮いてこない。

 きっと、村の者が横着をして椀を返さなかったせいで、淵の主が怒っているのだろうと、人々はたいそう残念がった。

 このような話が日本全国に伝わっている。下はそのごく一部の例。椀を貸してくれるの者が誰なのか、わからずに終わることも多いが、竜宮の乙姫様であるとする物語も多く見られる。
 

●富山県下新川郡西入善

 その村は海辺の砂丘にあって、正月になると砂の下から鐘の音が聞こえてくる。そのため、誰言うとなく、砂丘の下には竜宮があると伝えられていた。

 ある年のこと、村の善称寺で盛大な報恩講を営むことになり、お膳とお椀が足りなくなった。寺の女将さんが乙姫様に手紙を書いて松の根元に置くと、翌朝には美しいお膳とお椀がすっかり用意されていた。
 おかげで法要はとどこおりなく終わり、おかみさんは竜宮から借りた食器を丁寧にあらって松の根もとに返した。

 それからは毎年のように竜宮から食器を借りるようになったが、ある年のこと、お椀が一個だけ見あたらなくなり、仕方なくよく似た椀を用意して返した。
 翌日見に行くと、本物のお膳とお椀はなくなっていたが、偽物の椀だけがその場に転がっていた。

 それ以来、いくらたのんでも乙姫様は食器を貸してくれなくなり、善称寺の報恩講には必ず雨が降るようになったという。
 

●群馬県利根郡・吹割の滝 未来社『日本の民話8』

 群馬県利根郡追貝村(おっかいむら)の吹割の滝は底が竜宮までつづいており、滝のほとりで話したことは、竜宮まで筒抜けだった。

 ある人が祭りで客が大勢くるのにお椀やお膳がなくて困っていた。滝のほとりでぼやいていると、水の中から美しい娘があらわれて、
「乙姫様があなたの願いを聞いてくださるとおっしゃっています」
と言った。

 男がお椀とお膳を貸してくれるように言うと、
「明日の夜明け前にここへ来てください。お椀とお膳を淵に浮かべておきましょう。用が済んだらきっと返してくださいね」
と言って、娘はずぶずぶと水に沈んで行った。

 翌朝また来てみると、娘の言うとおりお膳とお椀が浮かんでいた。
 男は借り物の食器で客人をもてなしたが、立派な食器を返すのがおしくなり、朱塗りの椀をひとつだけ残して、ほかの食器を淵にうかべておいた。

 村へ帰ってみると何やら騒がしい。
 見ると自分の家が燃えているではないか。
 竜宮の椀は燃えさかる火の中に残されたまま。
 すべてが燃え尽きてゆくのを、男は黙って見ているしかなかった。

 それ以来、吹割の滝の底は閉じてしまい、竜宮のお使いが現れることもなくなった。
 今でも追貝村には竜宮の椀と言われる古い食器があるが、誰があの火事の中から持ち出したものかは伝えられていない。
 

参考 河童の恩返し(群馬県群馬郡)
 河童は馬糞が大好きで、よく馬の尻に手をつっこんで馬糞をとって食べた。そのまま川に引きずり込んで馬を殺すことが良くあった。

 ある日、村の者が膳棚石(ぜんだないし)のところで馬を洗っていると、馬が暴れて逃げ出したので慌てておいかけた。

 やっとの思いでつかまえたところ、年老いた河童が馬の尻に手をつっこんでぶら下がっていた。

 村の者は河童を捕まえて殺そうとしたが、河童が二度と悪さをせず、村のためになることをすると言うので許してやった。

 それからというもの、村で祝い事があるときに、全棚石のところでお膳の数を言って注文すると、必要な数だけお膳が用意されるようになった。
 

●山梨県巨摩郡清春村

 釜無川の曲淵は、人寄りの時にたのむとお膳とお椀を貸してくれる。

 ある日、清泰寺の二十五代住職白雲和尚は、一体だれが食器を貸してくれるのか気になって、わざと返さずに催促が来るのを待っていた。
 すると、背の高い美しい女が現れて、早く膳を返してほしいという。

 和尚が刀で女の腕(足とも)を切りおとすと、女は大蛇になって逃げて行った。あとにはヘビの鱗のついた腕が落ちていた。

 それ以来、いくら頼んでも曲淵は椀を貸してくれなくなったが、催促に現れた女の骨は今でも清泰寺に秘蔵されている。この骨に水を注ぐと必ず雨が降る。
 

●山梨県南都留郡 未来社『日本の民話8』

 桂川の上流におなんガ淵というところがある。
 おなんという娘が奉公先で失敗をしでかし、主人に責められたのを苦にしてこの淵にとびこんだ。

 そのこととなんの関係があるか誰も知らないが、村で祝い事があるときに膳や椀が足りなくなると、村人はここへきて紙に必要な個数を書いて淵のそばの岩に置く。翌朝には、必要な分だけの膳椀が用意されている。

 用がすんだら丁寧にあらってもとの場所にもどせばよいが、ある時、十人前借りて五人前しか返さない者がいて、それ以来どんなにたのんでも借りられなくなった。

 このとき返さなかったお膳が鹿留の光照寺と、神部さんという家に保管されている。黒い漆塗りで朱の蒔絵があるという。
 

●竜宮淵(山梨県北都留郡) 未来社『日本の民話8』

 巌村悉聖寺(上野原町→上野原市)の杵岩(きねいわ)のあたりで桂川が深い淵になっている。ここにまさかりを落とした農夫が飛び込むと、水の底に立派な御殿があり、美しい乙女が現れた。

 乙女は農夫が日ごろから正直者であることをたたえて、不思議な玉を与えた。その玉を人に見せず、大事にしていれば、ほしいものを紙に書いて淵になげた時、必ず手に入るだろうと言いそえて。

 男が家に帰ってみると、ちょうど三年たっており、男はすっかり死んだものだと思われていた。男は淵の底であったことを話したが、玉のことだけは秘密にしていた。

 男は玉を納戸にかくし、ほしいものがあると紙に書いて淵に投げては手に入れた。ある時、妻が勝手に納戸に入り、男がかくしていた玉をみつけてしまう。それからと言うもの、願い事の紙を淵に投げてもかなうことはなくなったという。
 

●お姫の井戸(岐阜県) 未来社「日本の民話9」

 長良川の川原に、頼むと膳椀を貸してくれる井戸があったという。底が竜宮につながっていることからお姫の井戸と呼ばれていた。

 ある男が母親の葬式用に井戸で膳椀をたのんだ。すると井戸の中から声がして、男の名前を聞いた。ちかごろ椀の数をごまかして返さない者や、使ったものを洗わずに井戸に放り込む者などがいて、乙姫様がご立腹だという。そういった事があっても名前を聞いておけば、その者にお叱りがあるはずだと。男は井戸に名を告げて椀を借りた。そうして、葬儀がおわると丁寧に洗い、きちんと数をかぞえて井戸に返した。

 やがて男は隣村の娘を嫁にもらうことになった。婚礼の日に井戸へ行き、来客の数だけ膳椀をたのむと、井戸の中から声がする。以前の葬儀の時に、膳椀を丁寧にあつかってくれたことを乙姫様が大変およろこびで、今回は特別に良いものをお貸しくださるというのである。こうして男は婚礼の宴を無事終えて、借り物の前腕を洗って返そうとした。ところが嫁は自分がやるといってきかない。仕方なく任せると、嫁は椀を返したふりをして隠しておき、村人に貸してお金をもうけていた。

 それからというもの、いくらたのんでも井戸は膳椀を貸してくれなくなったという。
 

●お椀淵(岐阜県) 未来社「日本の民話9」

旧吉城郡の広瀬という村にもかつて膳椀を貸してくれる淵があったという。貧しい百姓が父親の葬式に膳椀も用意できずにいると、謎の翁が青どんぶちの岩で頼めば欲しいだけ貸して貰えると教える。この話が評判になり村中で膳椀を借りるようになるが、ある者が返さなかったため二度と借りられなくなった。
 

●岩屋古墳の隠れ座頭(千葉県印旛郡)

 岩屋古墳には隠れ座頭と呼ばれる妖怪が住んでおり、近隣の村人にお椀を貸したといわれている。ある時、椀を返さなかった者があり、それ以来、いくらたのんでも妖怪はお椀を用意してくれなくなった。

●竜宮に行った神主(静岡県) 『日本の民話7』
 天竜川沿岸に椎が脇神社がある。神主が柴かりの途中で淵に大鉈を落としてしまい、取り戻そうとして自分も淵に入った。気がつくとそこは竜宮城で、鉄を嫌う乙姫様がご立腹である。二度と金気のものを落とさないと誓い、ここでのことを口外しないのならば、今後は淵にむかって欲しい物をとなえれば授けるという。神主が誓うとご馳走でもてなされて帰宅を許された。ある日、村に殿様が来ることになった。神主が淵へ行き、上等の膳と椀をたのむと、目の前にそれが現れた。この幸運を貧しい村人に分け与えたいと考え、口外できないので文字で書いて人に教えたところ、その後は頼んでも願いはかなわず、神主は字が書けなくなった。

# 天竜川沿岸には椎ヶ脇神社と、椎河脇神社があり、どちらのことかよくわからない。

●貸し椀ヶ池(静岡県)
 由比の立田峠の筏場という池ではお池様に頼めば膳や椀を貸してもらえるといわれていた。お池様は池のほとりに住んでいた坊さんの名前で、竜神様に頼めば良いと村人に教えたのはこの僧侶である。

●白鞍の淵(栃木県) 『日本の民話5』
 足利郡山辺町(今の野州山辺駅あたり)の東の山寄りに白鞍の淵があり、八雲神社・鍬柄祇園の季節になると竜宮の祭器が淵に浮かんだ。渡良瀬川が増水して祭器が流された時、上野国山田郡只上村の男が泳いで取りに行き祭りを済ませた。以来この男が祭器を届けるようになった。この淵では祭りにかぎらず村人がたのんでも膳椀を借りられた。前日に水に向かって必要な数を言っておくと翌朝岸に用意されている。用事が終わったら膳椀を岸に置き、後ろを見ずに立ち去らなければならない。ある時欲深い者が椀をひとつ返さなかったため、二度と借りられなくなったという。

 

◆こぼれ話◆

 吹割の滝は東洋のナイアガラ(陳腐な例え^^;)と呼ばれる美しい滝で、群馬県利根郡利根村に実在している。竜宮の椀も利根村のどこかに展示されているらしいのだが、どこで見られるかは未確認。利根村の公式サイトには「保存されている」としか書かれておらず、まるで役にたたないので関係者のみなさん見てたらなんとかしてください。

 山梨県の清泰寺も実在するらしい。雨乞いの蛇骨の存在については不明。

 富山県の善称寺も、伝説の当時とは場所が変わっているものの現存しているという。しかも、報恩講の日は今でも雨になる確率が高いとか。

 富山にはもうひとつ「もととり山」という椀貸伝説がある。

 
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