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和名 サツマイモ(薩摩芋)
別名 カンショ(甘藷)甘い芋
カライモ、トウイモ(唐芋)中国から来た芋だから
リュウキュウショ(琉球藷)沖縄から来た芋だから
学名 Ipomoea batatas
科名 ヒルガオ科
沖縄口 イモ、ンム(芋)
アイヌ語  
中国名 甘藷、甜藷(甘いイモ)
朱藷、赤藷(皮の色が赤いことから)
金藷(身が黄金色だから)
番藷
地瓜
 …など別名が多数ある。

紅藷、紅山芋(ムラサキイモのこと?)
黄藷、白藷等(皮の色が白っぽい品種?)

英名 sweet potato(甘いイモ)
エスペラント batato または patato
その他 patate douce(仏)
patata dolce(伊)
batata-doce(葡)
batata(西)
本州ではほとんど花をつけない
原産地 中米
 
 
サツマイモにまつわるいろいろ
 サツマイモは主にメキシコで栽培された中米原産のヒルガオ科の植物で、コロンブスによる新大陸発見以前にもポリネシアの島々で栽培されていたという。
 16 世紀には東南アジアにもちこまれ、在来のタロイモやヤムイモにとってかわるほど盛んに栽培された。
 日本には中国・沖縄を経て、17 世紀に渡来した。薩摩の国で盛んに作られていたことからサツマイモの名がついた。18 世紀に蘭学者・青木昆陽(1698〜1769)が救荒作物として普及させたことでも知られている。

 食用にするのは根茎で、芋のまま加熱して食べるほか、澱粉やブドウ糖の原材料としたり、アルコールや焼酎の原料ともなる。東南アジアではつるの先も食用にする。

 TBSの『世界ウルルン滞在記』で、ニューギニアはラニ族の村に金時芋(サツマイモの一品種)を土産に持っていき、お正月スペシャルではサツマイモ栽培のプロを呼んでラニ族の人々にサツマイモの作り方を教えていた。

 その村には肥料になりそうなものもなく、苗に覆いをしたくともワラさえなく、栽培のプロはこんなところで暮らしているのかと、感極まって泣きながら、その場にあるものを使ってサツマイモを作る方法を教えた。そこには日本のお百姓さんと、ラニ族の男たちとの間に芽生えた美しい友情があったし、サツマイモひとつのために涙まで流した百姓魂もまた感動的だった。

 けれど、冷静に考えてみれば、何もなかった村に(村長からのリクエストとはいえ)金時芋なんて新しいものをもちこんでしまい、農作業の技術革新まで行ってしまったのは番組の主旨と照らしたときどうなのだろう?

サツマイモにまつわる言葉・文学作品等
(すべて「いも」と読む)
 あまり明確に使い分けられてはいないようだが、芋といえば芋の総称、またはサトイモのことで、薯といえばジャガイモ(=馬鈴薯)のこと。藷はサツマイモ(=甘藷)のことである。

サツマイモ(薩摩芋)
 薩摩で多く作られていたことから。サツマイモには渡来経路をあらわす別名が多い。琉球(沖縄)を経由してきたことから琉球藷、中国から来たから唐芋などとも言う。

芋神さま甘藷先生
 青木昆陽のこと。凶荒対策として大規模なサツマイモ栽培に成功したことからそう呼ばれるようになった。

八里半
 サツマイモのこと。クリのように甘いので、クリ(九里)に近い、八里半だという言葉遊び。宝永年間に京都で焼き芋を商っていた業者が考えたと言われている。

十三里
 サツマイモのこと。京都で「栗(九里)に近い、八里半」と言われていたことを受けて、江戸は小石川の焼き芋屋が「栗(九里)+より(四里)うまい十三里」と言いはじめたのが最初だと言われている。
 また、江戸から丁度十三里のところにサツマイモの産地である川越があったため、川越のサツマイモは栗よりうまいと評判になったともいう。半里つけたして、十三里半と言う場合もある。

芝居・蒟蒻・芋・南瓜(しばいこんにゃくいもかぼちゃ)
 江戸時代の女性の好物を並べたもの。「芋・蛸・南瓜(いもたこなんきん)」というのもある。

芋づる式
 サツマイモのつるを引っ張ると、次から次へと芋がでてくるように、あることに関連している人や出来事が次々に解明されてゆくこと。

Ipomoea batatas
 サツマイモの学名。ipomoea は ips(芋虫)+homoios(似た)の意味で、つるが這い上ってゆく様をあらわしているとも言う。batata は芋類をあらわす南米の現地語から。

『吹雪』←このタイトルはうろおぼえ
 白土三平の短編漫画。飢餓にあえいでいた村の娘 吹雪が大凧にのって山を越え、山向こうの村からサツマイモの苗を持ち帰る、羽衣伝説を織り込んだ切ない物語。白土氏によれば、かつて吹雪という品種名のサツマイモが実在したというが、作品自体は創作である。小学館の文庫サイズの漫画本に収録されていたはずだが…

  
 
珍獣様が食したサツマイモたち