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郡山の昔話茶屋で聞いた話 #昔話

 郡山駅の2Fにある「おばあちゃんの昔話茶屋」で聞いた話を思い出して書いてみます。実際の語りは福島県の方言で、とても味があって面白いのですが、再現できるほどちゃんと覚えていないので無味乾燥なあらすじですみません。しかも耳で聞いて覚えたものだし、外は駅の通路なのでけっこううるさくて聞こえなかった部分も多いです。そんなこんなで細かい設定は違ってるかもしれないですが、まあやってみます。


『口無し女』

 これは『二口女』とか『飯食わぬ女房』とか呼ばれている話でした。わたしはこの話の途中から聞き始めたので、最初がどう始まってたか、ちょっとわからないのですが、広く流布してる話だと、ひどくけちん坊な男の話です。

 ある男は、ケチが高じて「嫁はめしを食うからいらん」といって、誰にすすめられても結婚しませんでした。ある日、見知らぬ美しい女が現れて「自分はご飯を一切いただきませんから嫁にしてください」と言うので、とうとう夫婦になりました。

 この嫁は、とてもよく働き、本当にご飯を食べません。しかも美しいので、亭主は上機嫌です。しかし、どうもおかしい。なぜか米の減りがいつもより早いのです。怪しんだ亭主は仕事へ行くふりをして隠れて様子を見ていました。

 するとどうでしょう。嫁が大量のお米を炊いて握り飯を作り始めました。それから嫁は自分の髪の毛をほどき始めるのですが、なんと嫁の後頭部には大きな口があるのです。普段はきれいに結い上げてあるので見えなかったのですね。嫁はその口に、次から次へとにぎりめしを放り込んで、大量のご飯をぺろりと食べてしまいました。これでは米が減るはずです。(わたしはこの辺から聞き始めました)

 すっかり食べてしまうと、嫁は髪の毛をもとどおりに結い上げました。亭主は何食わぬ顔で家に帰ります。見れば嫁の腹は大量の握り飯でぽっこり膨れていました。それを見た亭主は「こんなに腹が膨れてやゝ子でも出来たのかい」と、わざと上機嫌でかまをかけるのですが、嫁もしおらしい声で「そうよ、あんたのやゝ子ができたのよ」なんてこと言って甘えてくるわけです。そのうち嫁は腹が痛いと言い出して(完全に食い過ぎです)、亭主のひざまくらで腹をさすってもらったりするのですが、そこで亭主が何気なく子守歌をうたいはじめて、即興の歌詞で嫁が隠れて握り飯を食べてたのを歌っちゃう。

 それで「みーたーなーっ」てなことになります。たしか、その家には巨大な桶があるんです。亭主の仕事が桶屋…いや、それは別の話だったかも。とにかく、亭主に見られたことに気づいた嫁が、言葉巧みに亭主を桶の中に誘い込みます。穴がないか入ってよく見てくれとか言うんだったはずです。嫁はその桶をエイヤッと担いで山へ走って行きます。

 亭主は桶の中で、このままだと食われちまうってぶるぶる震えているんですが、嫁が小便をするために立ち止まったところで逃げ出します。亭主が逃げたのに気づいた嫁は、小便をじゃーじゃー垂らしながら(このへんは子供にバカウケするシーンだと思う)ものすごい形相でおいかけてくる。亭主は逃げる、嫁がおいかける。

 そうするうちに、菖蒲とヨモギが生えている野っ原までやってくるのですが、なぜか嫁は亭主に近付けなくなって、悔しがりながら逃げて行ってしまいました。どうやら鬼婆というのは菖蒲とヨモギの臭いが嫌いなようです。

 そこで亭主はこれらを刈り取って持ち帰り、家の屋根などに刺しておきました。それからというもの、村には鬼婆が来なくなったということです。


 語り手さんが言うには、自分が子供の頃に聞いたのはこうなんだけど、別の町の話だと『やきめしかぶり』というタイトルだっていうんです。やきめし、というのは、お釜で炊いたときにできるおこげを握ったものらしいんですが、昔はお姑さんに「今夜はどのくらいご飯を炊きますか」と聞くと「一升五合かね」なんて答えるわけですが、その中にお嫁さんの分は入ってないらしいんですよ。でも食べなきゃ死んじゃうでしょ。どうするかっていうと、お釜に焦げ付いたご飯をこそげおとして、こっそり握り飯にして、畑に行くとき隠れて食べたんだって。

 『口無し女』も『やきめしかぶり』も、そういう女の耐え忍ぶ暮らしから生まれた話じゃないかってことでした。『やきめしかぶり』のほうは、嫁の正体が山姥ではなく大蛇で、正体を最初に見たのは隣の家の男だそうです。となりのヤツ、きれいな嫁さんもらって、うまいことやりやがったな、という嫉妬からのぞき見して、大蛇だって事に気づいて「おい、お前の嫁は大蛇だぞ」って教えるんだそうです。
 

『ひめいたか』

 この日は観客が、どこかの町の市民団体か、趣味のサークルかなにかの人たちで、話の合間に熱心に質問したりして会話がはずんでました。会話の途中で、するっと次の話が始まるので、ついさっきまで現実だったのに、気づいたらもうお話の中にいるという、不思議な状態でした。

 で、この話も気づいたらもう始まってるんですよね。だから最初どんなふうだったかよく覚えてないんですが、とりあえず、ひめ、というのはお嫁さんのことらしいです。

 亭主の留守のあいだに「ひめいたかー」っていいながら山姥が来ます。山姥は家にあるものを飲み食いして、また明日来るっていいながら帰っちゃう。

 震え上がったお嫁さんは、恐くて家にいられないから、明日は自分も連れて出てほしいと頼むんですが、亭主はとりあわない。しかしお嫁さんも恐くて恐くて、次はきっと取り殺されてしまうって言うわけです。そこで亭主は “きんびつ” の中にお嫁さんを入れて、山姥に気づかれないように、天井から紐で下げといてやるっていうんですよ。きんびつ、というのは木櫃(きびつ)のことだそうです。衣装を入れたりする四角い木の箱だってことでした。

 それから、”とうち” だったか、そんな名前のものをお嫁さんに与えて、山姥がきたらこれをカチッと歯で噛みなさいって言うんですが、この言葉はかなりうろ覚え。客席から「トチの実ですか」って質問があって、語り手の方が「トチの実は歯でかめないくらい皮が固いので違うと思います」って言ってた。たぶん、クリを茹でて、やわらかくなった先のほうに糸を通して乾燥させた “とおしぐり(かちぐり)” じゃないかって言ってました。

 で、その “とうち” を歯でかんでカチッと言わせると、山姥が家が傾いで潰れそうになってると思うはずだっていうんですよね。なんでいきなりそういうことになるのかよくわからないんですが、とうちを食べる時の音が家鳴りにでも似てるんじゃないですかね。わたしは食べたことがないのでわからないんですけど。

 そうして亭主は出かけてしまいます。もともと嫁の話をろくに信じてない亭主なので、きんびつを天井に吊るしたあとに、はしごを片づけないで出かけてしまいました。

 やがて山姥がやってきて「ひめいたかー」っていう。お嫁さんはきんびつの中で息を殺しているのですが、はしごが置いてあるのでとうとう山姥にみつかってしまいました。お嫁さんは震えながらとうちをかじります。カチッと音がすると、山姥は家が倒れると思って一瞬ひるむのですが、音がやむとまたはしごを上ってきます。

 カチッ、ひるむ、カチッ、ひるむ……これを繰り返してるうちに、山姥も家が倒れる音じゃないって気づいちゃう。とうとうはしごをのぼりきって、きんびつを吊るしている縄を切ってしまいました。

 どしゃーんと床におちて、きんびつはバラバラになってしまいます。山姥は、中にいたお嫁さんをつかまえると、バリバリ食べ始めて「手の指の爪は固いからまずい、足の指の爪も固いからまずい」っていいながら指の先だけ残して、山へ帰ってしまいました。

 そこへ亭主がもどってきてびっくり。そこいらじゅう血の海で、指の先だけが残っています。ああ、もうちょっと真剣に嫁の話を聞いてやればよかったと思っても後の祭り。お嫁さんは山姥の腹の中。二度と帰らぬ人なのでした。


 完全にバッドエンドでそうとうホラーな話です。指だけ残すってあたりがリアルで恐過ぎますね。語り手の方によれば、この話も家で耐えてる女の生活から生まれたんだろうって言ってました。亭主は山でヘェという魚(ハヤのことらしい)をつかまえて、町へ売りに行くんですが、町へ行ったら当然遊んでくるだろうっていうんです。だからお嫁さんが必死でたのんでも連れていこうとしなかったと。

 実際の生活でも、ちょっとしたお金を作るために、亭主が町へものを売りに行くことがあったんだと思います(笠地蔵のおじいさんも正月の準備をするために笠を作って売りに行くでしょう?)。男はそうやって町へ行ったついでに気晴らしもできるけれど、女はろくに家からも出ずに暮らしているから、こういう話が生まれるんじゃないかってことでした。

『猿と雀』

 これは『猿蟹合戦』の類話だと思います。

 雀が葦簀(よしず)に巣を作って、卵を七つ産みました。そこへ猿がやってきて「おまえは卵をたんと産んだっていうじゃないか。腹が減って仕方がないので、ひとつでいいからくれないか」って言うわけです。

 もちろん雀はいやがります。まだ卵とはいえ自分の子どもですからね。しかし猿は「くれないと巣を壊すぞ」といって葦簀をがさがさゆすり始めます。しかたなく雀は卵をひとつやりました。

 猿は卵をぱくっと割って、ぺろっと飲み込むと、もうひとつ、もうひとつ、と次々にねだり続けて、あと三つというところで「また明日くる」って帰って行きました。

 雀の母親は「このままじゃみんな食べられてしまう。はやく生まれておいで、明日までに生まれておいで」と一生懸命卵を温めるのですが、そううまくは行かない。やがて夜があけて、またもや猿がやってきます。

 前日と同じように、猿は巣を壊すといって卵を一個せしめますが、ここまでくると雀も覚悟を決めてもうやらないと拒否します。怒った猿は「そんならお前を食べてやる」と言いながら葦簀をのぼっていって、雀を捕まえてばりばり食べてしまいました。

 その騒ぎで巣が落ちて、残った卵のうちひとつは石の上で割れて流れてしまいました。もうひとつは、パリンと割れると、中から雀の子供が出てきます。

 雀の子は、お母さんの仇を討つんだといって、猿の家にむかってチョンチョン歩いていきますが、そこへ蜂が飛んできて、そういうことなら助太刀いたすってなもんで、雀がチョンチョン、蜂がブーンブーンと一緒に歩いていきます。

 途中で石臼なども加わって、チョンチョンブンブンドスンドスンみたいな音をたてながら、みんなで猿の家までやってきます。

 そこから先は猿蟹合戦とほとんど同じで、雀の子はみごとに仇を討ちました、という話。

『おりや』

 タイトルがよくわからないんですが、「おりや」というかわった名前の女の子が出てくる話です。

 おりやは五歳になる女の子です。ある日両親が一緒に出かけるので、ひとりで留守番することになりました。母親は「いいかい、こっちの瓶に蛇を漬けたのが少し残っているから、これは食べていいよ。だけど、こっちの瓶のは漬けたばっかりだから、絶対に食べちゃだめだ」と言い聞かせて出かけて行きました。

 蛇というのは、本当にあの長いニョロッとした蛇のことです。魚もろくにとれない山の中では、蛇をつかまえて塩漬け(いや、みそ漬けだったかな?)にして食べたそうです。おりやは、いろりで上手に火をおこして蛇を焼き始めました。よく脂ののった蛇で、焼け始めるとじゅぶじゅぶ脂が落ちてきて、それにポッと火がついて燃えるんだそうです。それがもう美味しくて、おりやは食べていいと言われた瓶の中から、蛇を全部食べてしまいました。

 それでもまだ食べたくて、母親がダメだといった瓶を開けてみました。そこには太くて美味しそうな蛇がいっぱい入っています。おりやは、一本だけならバレっこないよと言いながら、次々に蛇を焼いて食べてしまいました。

 そうして、蛇をすっかり食べてしまうと、今度は喉がかわいて仕方がないのです。庭に出て、山から樋で水をひいてあるところへ行くと、ぐびぐび、ぐびぐみ、水を飲み始めます。

 そのうち急に尻の穴が痒くなって、きものの裾をまくりあげると、ばりばり尻をかいて、また水をぐびぐび飲み始めます。

 飲めば飲むほど、尻がかゆくくて仕方がありません。ふと見ると、尻から蛇のしっぽが出ています。

 おりやはびっくりして、しっぽを引き抜こうとしますが、どうにも抜けませんでした。そうしうて、とにかく喉が渇くので、ぐびぐび水を飲み、飲むたびにしっぽがのびていき、ずるずる引きずるほどになりました。それでも喉の乾きはとまりません。

 おりやはしっぽを引きずって川へ行き、ボチャンと川に飛び込むと、頭だけ水から出して、ぐびぐび川の水を飲みつづけます。しっぽはどんどんのびていき、そのうち、手も足ももげてなくなってしまい、長い蛇の体に、頭だけ可愛らしいおりやのままくっついているのでした。

 やがて町から両親が帰ってきました。しかし家におりやがいません。いろりを見るとすっかり冷えています。炎が消えても、熾き火に灰をかぶせておいたらそう簡単には冷えないものなのです。こりゃ何かあったな、と思った両親は、おりやを探し回りました。

 両親は、冷たい川の中で頭だけ出してるおりやをみつけます。一体何があったんだい、そういう両親に、おりやは泣きながら自分の姿を見せました。ああ、お前は漬けたばかりの蛇を食べてしまったんだねと、両親はおいおい泣き始めました。蛇というのはよく漬けてから食べれば美味しいのですが、漬かりが浅いうちは蛇の強い “しょう(精?)” が抜けておらず、食べると体が蛇になってしまうのです。

 両親はおりやを山へつれていき、もう村へは帰ってきてはいけない、と言い含めます。おっとうと、おっかあは、これから信心して、神様におまえをもとにもどしてくれるように頼んで、それから迎えにくるから、それまでは山で、鳥や獣をとって食べなさい。ここには食べ物はいくらでもあるから心配はいらないよ、と。それはただの気休めで、元にもどす方法なんかないのです。

 そうして、何年かたったある日、目の見えないあんまさんがやってきました。峠を越えたところで一休みしていると、ひどく生臭い風がふいてきて、耳元で女の子の声がします。
「あんまさんは、これからどこへ行くの?」
「ああ、これからあっちの村へ行くんだよ」
「それならついでに、あたしのおっとうと、おっかあに、伝えてください」
「おまえの親は、あの村にいるのかい」
「そうよ、あたしはおりやっていうの」
「おりやって、あの蛇になったっていう、おりやかい」
「そうよ。この山につれてこられて鳥や獣をとって暮らしているうちに、山を七巻半するほど大きくなりました。これから山を壊してここに大きな沼をこしらえます。その沼の中で静かに暮らしていきますから、もう心配しないでくださいって伝えてください」
「ああ、わかったよ。ちゃんと伝えるよ」
 あんまがそう言うと、おりやは山へ消えていきました。

 この山をくずされたら、下の村は潰れてしまうにちがいありません。あんまさんは大慌てて山を下りて、村の衆におりやを退治するように言いました。

 村人たちは、栗の木で千本の杭を作り、煙草のヤニを大量に集めて山へ向かいました。村人総出でおりやを探し出して、太い蛇の体に杭を打ち込んで、煙草のヤニをぶちかけて、とうとうおりやを殺してしまいました。おりやの体から流れた血は、滝のように流れて、そこいらじゅう真っ赤になったそうです。


 これはそうとう恐いですね。蛇のしょうにあたって蛇体になり、手足がとれて顔だけおりやのままってところも恐いし、何より目の見えないあんまの前に出てくるところが恐い。あんまさんには見えてないけど、その名前で蛇になった娘だとわかる。平静を装いながらも「今おれが話しているのは大蛇のおりやか」って思ってるわけです。そのおりやは、大蛇になっても幼い子供の心のまんまで、こんなに大きくなれて、もう心配ないからって親に伝えてっていうわけですよ。その素直さっていうか、子供らしい一途さが恐いですね。親に心配かけまいとしてすることで、故郷の村が潰れちゃうとか、そういうことにまで頭がまわらないわけです。
 
 福島県内でも地方によりバリエーションがあって、よその町では山をこえてくるのは目の見えない琵琶法師で、おりやは自分と出会ったことを誰にも伝えてはいけない、言えばお前の命はないぞ、と言って姿を消すそうです。しかし、放っておいたら村は山崩れに飲まれてしまうでしょう。琵琶法師は自分の命より村を救うほうが大事だと決心して村人に話したそうです。おりやを退治して村は救われましたが、村人が気づいた時には琵琶法師は死んでいたそうです。

タグ:伝説

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  • 2014年10月19日(日)21時18分
  • 語り部屋関連

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