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岩宿の遺跡のことを語りまくってみるよ

 えー、語るといいましても、わたくしの語りはくだらない思いで話ばっかりです。古代史についての熱い語りではないので念のため。

 わたしはゆとり世代よりずっと前の年齢で、詰め込み教育はイクナイとか言われていた時代なんですが、小中学校の授業を思い出すと、どのへんが詰め込みなのかよくわかんないくらい、先生が無駄話をしてた。おかげで高校受験の時なんか、この部分を授業でやった時、先生がどんな冗談を言ったかまで思い出してしまうほどでしたよ。

 中でも思い出すのは小学三年生の時の担任の先生である。女性で年齢はよくわからないけれど、定年間近だったかもしれない。地元に長く住んでいるらしく、群馬県内の話をよくしていた。

 が、その話のほとんどが噂話のレベルで、いちいち面白いんだけど、常に何かとまざっていて、どこまで正確なんだかわからない。

 例えばどんな風かって言うと、社会科見学の前に聞かされた話に「三共電器(今のサンデン)は三人の兄弟がはじめた会社だからサンキョウ」というのがある。大人になってから思い出して、サンデンのサイトを見に行ったけど、会社の歴史を紹介するページを見ても、そんな話はさっぱり書かれていない。

 峠のかまめしで有名なおぎのやは、物のない時代におかみさんが自ら山で山菜をとり、釜飯にして売ったのが話題になったっていうのもある。これは遠足の前に聞かされた。陶器の釜に弁当を入れるアイデアが女性の発案だというのは本当みたいだけど、山菜のくだりとかがそうとう怪しい。

 そして今回語りたいのは岩宿の遺跡についてだ。

 その先生が社会科の授業で言ってた話を思い出して箇条書きにしてみる。

・日本には石器時代がなかったと言われていた。縄文時代によそから人がやってきて住み着いたのが最初の新しい国だと思われていた。

・ところが桐生の岩宿というところで石器がみつかった。

・それを発見したのは「あいざわちゅーよー」さんで、本当の名前は忠洋(ただひろ)だけど、昔の人はみんな音読みでちゅーよーさんと呼んでいる。

・彼は学者でもなんでもなくて、勉強しながら働いている貧しい若者だった。

・仕事に行くのに毎日通る道端に、どうも自然のものではないものが落ちている。道行く人たちは、誰一人そんなものには目もくれないが、ちゅーよーさんだけは「これは貴重なものに違いない」と考えて、東京の偉い学者に見てもらった。

・それが原始人が使った道具だとわかり、日本にも石器時代があったことが確かめられた。

・貧しくとも勉強をつづけていたからこそ大事なものに気がついたのだから、人は勉強しなくちゃいけない。

・原始人は岩が張り出した崖下に身を寄せ合って住んでいたはずだ。そういう崖があるからそのあたりを岩宿というのである。←このへんがそうとう怪しい。


 …という話を、それは自慢げに、繰り返し聞かされた。

 たしかに学者でもない若者が、仕事の行き帰りに世紀の大発見をするなんて話は今聞いてもワクワクする。それが苦学生だったりすると、貧しさに泣いた昔の人ならなおさら胸熱だったに違いない。

 「日本にも石器時代があった」というのも昔の人のハートをわしづかみにしたポイントだ。日本がぽっと出の新しい国みたいに言われるのが屈辱的だったんだと思う。

 いや、縄文時代は十分古くて、ちっとも新しくはない。しかし、何かと言えば欧米に劣ると思い込んで暮らしていた世代にとっては、この国には原始時代もないのかよ、みたいなガッカリ感があったのかもしれない。

 そんなこんなで、先生の無駄話によって、わたしの頭の中では、岩宿というのは道端に原始人が暮らしていた崖のあるところ、苦学生偉い、旧石器時代バンザーイみたいなストーリーができあがっている。

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▲超想像・岩宿遺跡:こんなところを想像していた。池沿いの小道、原始人が住んでた張り出した崖、チューヨーさんは腰に手ぬぐい。なぜ池沿いだと思ったのかは自分でも謎。


 実際の岩宿遺跡がどんなところかっていうと…

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▲すっかり整備されてこんな感じ。っていうかコントラスト強過ぎて、これじゃ様子がわかんないですね、はいはいすみません。そんなに高くない丘沿いに石碑があるだけです。

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▲発掘当時の写真だそうですが……光って見づらい。ですよねえ。でも天気良かったんだもん、どう撮影してもこうなっちゃうんだったら。

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▲岩宿博物館:めちゃくちゃ立派な施設だった。この施設の向こうに池はほんとにあった。博物館には石器が沢山あったけれど、沢山あるだけ、かもしれないです。建物のわりに展示が地味でわかりにくい、かもね。ごめん嘘のつけない体質で。

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▲岩石ドーム:崖から地層をはがして保存してるところ。穴蔵みたいになってるのはただのデザインだと思うたぶん。



 …と、まあ、こんな感じでした。博物館ができたのが20年くらい前だそうなので、その頃かなり整備されちゃったようです。それ以前の様子はよくわからないけれど、少なくとも「原始人が暮らしてた崖」は妄想以外の何ものでもないと思われます。

 だって、チューヨーさんが発見した石器が旧石器時代のものだと判明したのは、関東ローム層の古い地層から出てきたからであって、剥き出しの崖下に転がってるわけないですし。先生が言ってた崖っていうのは、発掘現場の写真からの想像じゃないかと思います。

 岩宿という地名の由来はわかんないけど、石器が発見される前から岩宿だったんじゃないでしょうか(笑)


 岩宿遺跡、岩宿博物館、岩石ドームは、それぞれすぐ近くにあり、いっぺんに回れます。JR岩宿駅から徒歩で20分くらい。岩石ドームと岩宿遺跡は無料で見られます。博物館は大人300円。

 ちなみに、相沢忠洋さんの記念館が岩宿博物館とは別の場所にあるみたいです。苦学生偉いに洗脳されてるわたしとしては、そっちを見てみたいです。みなさん、チューヨーさんみたいに社会に出てからも勉強をわすれずに、会社の行き帰りに大発見して有名になってくださいね。

タグ:群馬

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  • 2014年10月22日(水)14時23分
  • 日記

コメント一覧

武邑くしひ 2014年10月23日(木)11時33分 編集・削除

わたしとチューヨーさんとの出会ひは、小学校のころ買はされてゐた、いまでいふディアゴスティーニのシリーズみたいな「わたしたちの歴史」の、どの巻だつたかに載つてゐた岩宿遺跡発見のエピソードを書いたものでした。いまでも念頭を去らないその挿し絵は、(新聞配達の?)自転車を押したチューヨーさんが、切り通しの崖を観察して居るといふものでした。私自身は、通つてゐた附属小学校に隣接する大学構内の水道工事の際に、大量の弥生式土器が棄てられてゐるのを帰りみちに発見し、土器収集に熱中したことがあり、チューヨーさんに勝手に親しみを感じて居たのかもしれません。gabotyan

珍獣ららむ〜 2014年10月23日(木)12時06分 編集・削除

岩宿遺跡の石碑があるところは、今だと道路に分断されているけれど、もとは琴平山の一部だったかもしれないので、昔は切り通しの崖だったかもしれないです。弥生式土器が捨てられてるところに行き合うなんて羨まし過ぎますね! gabotyan

武邑くしひ 2014年10月23日(木)12時35分 編集・削除

いまでも、鹿児島大学構内を歩いて、道端の石ころを観察すると、竹の節で水玉模様をスタンプした土器片だつたり、表面に朱が残つてゐる高杯のカケラの筈です。ちやんと発掘すれば、登呂遺跡なみの大集落なのだらうけど、いまさらだれも言ひだせないんでせうね。オマケに、さいきん大学構内の土堤で生きたタランチュラが捕獲されたので土器の観察も注意が必要です。gabotyan

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