記事一覧

お玉ヶ池(岩本町)と於玉稲荷(新小岩)

http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=648&continue=on#continue
 この記事で、新小岩にある於玉稲荷のことを書きました。

 新小岩4-21-6 駅からちょっと離れてわかりにくいところにありますが、かなり立派な稲荷神社があります。昔は松枝町というところにあったそうですが(正確な場所は、ちょっとわかりません)、明治の頃に今の場所に移りました。

 昔、松枝町のあたりにおおきな池があり、近くの茶屋にお玉という娘がいました。ふたりの武士がお玉をめぐって決闘することになりましたが、お玉は自分の身が争いのもとになることを悲しんで、池に身を投げて死んでしまいました。

 お玉は池のほとりに葬られ、その目印として柳の木が植えられました。明暦三年の大火事で柳の木は燃えてしまいましたが、そのあとに稲荷神社を建てました。それが於玉稲荷のはじまりだそうです。

 その縁起は「新選東京名所図会」神田之部所引の於玉稲荷大神の由来に記されていると、神社の由来書にありました。

 この文章は『葛飾百話 葛飾区の民話と伝説』という昔話の本と、新小岩にある於玉稲荷の由来書を参考にして書きました。

 お玉さんの茶屋があったという松枝町というのがどこのことなのか、あまり気にしていなかったのですが、ある時、ともだちとこんな会話をして、偶然その場所がわかってしまったのです。

「ちょっと前から神田岩本町で仕事をしてるんだけど、仕事場の近くにお玉ヶ池駐車場という看板があって、なんか伝説があるらしいよ。お玉さんという…」

「あー、それ知ってる。お玉さんという茶屋の娘に、二人の侍が言い寄って争いになり、板挟みになったお玉さんが池に身を投げて死んだという話でしょ」

「えっ、なんで知ってるの?」

「だって、そのお玉さんゆかりの神社が新小岩にあるもん」

 これも何かの縁ということで、見に行ってきました。松枝町というのは昭和四十年ごろに町名が変わっていて、神田岩本町の一部にあたるとか。

ファイル 1233-1.jpg
▲お玉ヶ池駐車場の看板

ファイル 1233-2.jpg
▲同じ場所を引いて写したもの。池は江戸時代末期には埋め立てられていたそうです。

ファイル 1233-3.jpg
▲史跡、神田お玉ヶ池畔の看板。千葉周作の玄武館道場跡でもあるそうです。

◎千代田区総合ホームページ
千代田区 町名由来板ガイド:神田松枝町
http://www.city.chiyoda.lg.jp/service/00010/d0001002.html
 帰ってきてからこのページの解説を読んだのですが、お玉さんゆかりの稲荷社が岩本町にもあるようです。おそらく知ってて行かないとわからないような小さなお稲荷さんなんだと思います。

ファイル 1233-5.png
▲葛飾区新小岩の於玉稲荷


『江戸名所図会』より

於玉が池
 旧名を桜が池といふ。いま、神田松枝町人家の後園に、於玉稲荷と称する小祠あり。里諺にいふ、於玉が霊を鎮ると。

 その傍らに、少しく井のごとき形残れり。昔の池の余波なりといへり(往古は、大いなる池なりしが、江戸の繁昌にしたがひ、やうやくに湮滅してかくのごとしとなり。)

 里老伝へいふ、昔、この地は奥州への通路にて、桜樹あまた侍りけるところにありし池なるゆゑに、桜が池とよべりとぞ。その傍らの桜樹のもとに、玉といへる女出で居て、往来の人に茶をすすむ。容色おほかたならざりければ、心とどめぬ旅人さへ、掛想せぬはなかりきとなん。

 中頃、人がらも品形もおなじさまなる男二人まで、かの女に心を通はせける。されば、切なる方にと思へども、いづれ、おとりまさりもあらざりければ、わが身のうへを思ひあつかひて、女はつひにこの池に身を投げてむなしくなりぬ。

 さながら津の国の求塚の故事に似て、いともあはれなればとて、里民うち寄りて、亡骸を池の辺に埋み、しるしにとて柳を植ゑて、記念の柳とは号けけると、云々(その旧址、明暦の回禄に亡びぬるとぞ。いまは名のみを存せり。このゆゑに、お玉が池とは呼びならはせりとなん)。

# 求塚の故事は、万葉集にある菟原処女伝説のこと。
# 明暦の回禄は1657年の大火のこと。
# 新小岩の於玉稲荷の由来書にある『新選東京名所図会』は『江戸名所図会』をベースにして明治時代に作られた別の本だそうです。



おまけ:伝説は今でも生まれつづけている

 お玉ヶ池は桜の名所だったので、桜ヶ池とも呼ばれていたそうです。ある会社のビルの前に下のような看板が立っていました。
ファイル 1233-4.jpg
 字がびっしり書いてあって解読が難しいのですが、かいつまんで説明すると、

・お釈迦様が法華経を説いた時に傍らで聞いていた八大竜王のひとりが西暦800年ごろこの地に降り立ったらしい。
・それを記念する石碑が池の近くにあり、信仰を集めていたらしい。
・1600年ごろ、徳川家康が江戸幕府開設の街作りのために桜ヶ池を埋め立てたらしい。
・その頃から石碑が見当たらなくなっており、池に沈んだのではないか。今では文献も失われて残っていない(!)。
・…ということを山形県の霊能者に教えられて(!!)、神を冒涜したままでは縁起も悪いので、なんとか本物の神様であることを証明しようと念じていたら、ラップ現象が起こり、大願成就したことを感じた。
・長く音信不通だった霊能者とも連絡が取れて、それはまさしく神様だ、ということになった。
・元桜ヶ池の竜王様と念じれば、心が正しい人にはかならず良い計らいがあるはず。

ということらしいです。どこまで本当かはわかりませんが、これが何世代も言い伝えられたら立派な伝説だと思います

タグ:伝説 地元(葛飾周辺)

    はてなブックマーク - {entry_title}
  • 2011年12月02日(金)13時34分
  • 語り部屋関連

コメント一覧

コメント投稿

投稿フォーム
名前
Eメール
URL
コメント
削除キー